あちらを立てればこちらが立たない
兄弟姉妹で、または親子で、クラスルームで、友人同士で、会社やコミュニティーで、常に人間関係の狭間にある私たち。
人間関係なしでは世の中を渡っていく事はできない。
「自分の都合の良いように解釈し、波風を自分の中から取り去る」と、HSP(ハイリーセンシティブパーソン)と思われるVitiami E(次女)には伝えている。受け取り方がネガティブになっているなと感じる時は、そのやり方でしか落ち着かせることはできないかもしれない。
それはHSPとかでなくても、日常的に私たちの感情をアップダウンする作用を世間にはある。その環境を取り去る事はできない。
でもその都度、自分が今感情の波に対して、それは喜んでいるのか、悲しんでいるのか、苛立っているのか、自覚さえできれば、それに自分が対処するすべは学べる。
心が弱くて体が強いと、ガムシャラに体を動かして、鬱憤を晴らす。下手をすると喧嘩っ早く、攻撃的になりすぎて犯罪にすらなり得ない。心が強くて体を使わないと、これまた言葉で他人や自分自身を傷付けかねない。何事においても冷静かつ中庸でいるために、自分がどちらに偏っているか知る必要がある。
まずは自分の中で感情のバランスが取れるようになったら、一番近い周りの人、家族の中や友人関係、学校、職場ででバランスを取ることを考える。自分自身のバランスを失ったら、見守ってくれる人がいるという安心感が持てる場所を持つことが肝心。
その安心感を持てる場所というのは、自分自身について、ゆっくり考えられる環境というべきだろうか。
それは全てのことに通じる。
音楽で例えたら、自分自身の軸を鍛えて演奏技術を磨き、その後でアンサンブルを少人数でできるようになる。そしてその後、オーケストラの大人数の中でも、自分を見失わないで演奏できるようになる。
大勢の中だから、埋もれてわからないから気が楽だ、、、と思う人もいるかもしれないが、大勢の中で一人でもそう思う人がいると、全体のバランスはすぐに崩れる。器械体操で一人がバランスを崩すとみんなが倒れてしまうのに似ている。
常日頃、自分一人くらいは、、、という気持ちは取り払う。無意識で落ち込んでいたら、どれだけの人を巻き込んでしまうか、、、悲しい時は悲しいと伝えておけば、周りの人は無駄な詮索をしなくて済む。自分の影響力をもっと過信して、自分磨きに励もう!
もし自分の責任を重荷に感じすぎるのであれば、それはもう頭の中で作り上げた妄想に過ぎない。自分自身の価値は上がったり下がったりするものではなく、常に自分は一つ。ただあるべき姿を極めるのみ。自分自身で自分の価値を見出して行くのみ。
だから、「あちらを立てればこちらが立たない」と悩むことはない。悪意を持ってやっているわけではないのだから、自分自身が振り回されないように、しっかり自分自身の心が振り回されて折れないように、強く保てばいい。
誤解を生まないようにする知恵も必要だが、全ての心を尽くして起きてしまった結果なら、こればかりは受け取る側の受け取り方を変えるように促すことぐらいしか出来ない。そして、繊細かつ柔軟性に富んだ感性を持ちながら、その起こってしまった結果に振り回されない強い心を育てたい。これを体得するためには、どれだけ色んな人と接したかという経験値と、どれだけそのことについて考えたかという時間の掛け算のようなもの。
親子だけで伝えることは本当に難しいが、アカデミック以前の教育だと思う。