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激動の時代と大切な人

3月10日は東京大空襲の日。
その翌日3月11日は東日本大震災の日。

大震災の日に喪服を着ていたのは、東京大空襲を生きのびた103歳の祖父が3月10日に逝ったから。

激動の時代を生き抜いた人がまた一人行ってしまったなぁと思っていた3月10日の夜。

たまたま見ていたSNSに、その日は東京大空襲の日だったという記事。

翌日のお通夜の帰り。
従兄弟が祖母から聞いたという、東京大空襲の日の祖父の行動を聞いた。

持ちきれないものは庭に埋めて逃げたけど、一人で歩いて戻ったときには、家がどこだったのかもうわからなかった祖父。

何にもなくなってしまった焼け野原を、どんな気持ちで歩いたのだろう。

なんとなく「東京大空襲は祖父の中で1番強く印象に残っていることの一つなのかもしれない」とふと思った。

親戚づきあいというものがほとんどなかった私が、祖父のお通夜と葬儀で叔父叔母、従兄弟やその子供と、とてつもなく久しぶりに顔を合わせた。

みんなそれぞれ顔がわからない。

中には子どもの頃以来、何十年ぶりかという従兄弟もいたけど、名前を聞けば「ああ」となり、時間を感じないで話せるのは親戚だという不思議なのか、私が大人になったのか。

世話焼きで、気が強い女性が多いのも家系だなあ(わかってたけど笑)。

お通夜と葬儀に、おにぎり、お稲荷、巻き寿司、お漬物や蕗の薹、和菓子を持ってきているのがなんとも…日本では普通なのかもしれないけど、いいなぁと思った。

余れば持たせようとする。
食べていないといえば、なにか作るから家に寄っていけと言う。
思い返すと、「ふふふ」と微笑ましい気分になる。

背が高い男性が多いのも家系かな。
みんなもう縮んでる年齢(60代から80代)なのに、それでも180cm近い。

自分の意見がハッキリしているのは、全員同じ(笑)。
日本人としては珍しいかも。
従兄弟の子どもにもその片鱗を見て、遺伝子恐るべしと思う。

祖母が亡くなったとき、わたしは妹とニューヨークにいた。

亡くなったと連絡をもらったときは、なぜもっと早く知らせてくれないのかと2人で文句を言ったけど、今回も連絡は祖父が亡くなってからだった。

大切な人はいつまでもいてくれる。
会いたい人には、会えると思えばいつでも会える。

そんな風に思っていたら、ある日突然いなくなることがある。
後悔することがないように、会いたい人には会える内に会っておかないとね。


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