【ギャンブル依存症と共に生きる2】些細なことから始まった地獄

おはようございます、MEIです。

ちょうど今日でギャンブルを止めて7日目。
日々、「今日もやらなかった」ということを嚙みしめながら過ごしております。

さて、今回は前回でも触れたとおり、自分がギャンブル依存症に陥るまでの過去話を掘り下げていこうと思います(長くなりそうだったら分けます)

ビギナーズラックからの始まり

最初に触ったのは大学1年の時。機種は『ファインプレー』というパチンコの羽モノでした。
ただ、この時はゲーセンに行くような感覚でしたので、1回行ったきり期間が空いていたのですが、本格的に通うきっかけになったのは「友人からのスロットの誘い」だと記憶しています。

自身の性格上、周りに流されやすい。
そして、小さいころから自尊心が低く、ちょっと悪そうなグループに仲間意識を持ってもらえると、自分が強くなったような、、何というか、いじめられっ子気質にありそうな弱い性格なのもあったので、当時はなんの抵抗もなく、むしろ喜んでホイホイとついていきました。

さらにそこであっさりと勝ち、小一時間で1万円弱のお金を手に入れました。夜に時給800円のバイトをしていた頃の金銭感覚だと、とんでもないお金を手に入れた気分になり、そこから友人に誘われたら必ず行くようになりました。

遊びから仕事に

パチンコ屋通いが板につき、一人で通うのも抵抗がなくなりました。
しかも、当時はビギナーズラックが続いていたのか、大きく負けることもなく、資金も現状維持程度に遊べていたので、借金はしていませんでした。

そして、これが自分がスロットにのめりこむ最大のきっかけになったのが、ストック機という機能が流行り始めた時でした。

「特定のゲーム数に打つ」という、期待値を追う打ち方(ハイエナというやつですね)を覚えて、1か月続けたところ、もりもりとお金が増えていき、初めて月の収支が10万超えました。
『これだけやっていれば生活できる』というのを確信した瞬間ですね。

それからというもの、大学の授業もほったからかしにし、朝から晩までハイエナの日々。挙句の果てには県外のお店まで足を運び、収支はより安定し、新卒のサラリーマンより稼げるようにまでなったのです。

いつまでも続かない

ハイエナ稼業はおそらく4年ぐらい続けていたと思います。
当時はハイエア以外にも、パチンコ屋のイベントが盛んで、設定変更や公開も行っていたので、朝から並んで設定狙いもガンガンやっていました。
常連とも仲良くなり、学生時代は完全にパチプロと化していました。

しかし、そんな時代はいつまでも続きませんでした。
射幸心を煽りすぎということで、5号機時代が到来。そこからは出玉の規制に合わせて、イベントもなくなり、だんだんと勝率と稼働が落ちていきました。

もともと生活するためにハイエナをやっていたので、稼げなくなるとモチベーションも下がっていき、生活資金はバイトメインになっていき、ハイエナ行為も減っていきました。

と、ここまで読むと、パチンコからの距離が離れていき、まっとうな人間の生活に戻る、、と思いそうですが、きっと私は気が付かないうちに脳が焼かれており、ギャンブル依存症に陥っていたと思います。

それを思い知らさせる出来事は、次のブログで。。

お読みいただきありがとうございました。



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