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ヤマハのフォーカスは正しかったかどうか - No.230から YAMAHA TENERE700 ローレンス・ハッキング

パリダカールラリーから生まれたアドベンチャーバイクの世界でテネレは長い間そのアイコンとして君臨を続けてきた。現在の過当競争の最中、ヤマハが出したクレバーな回答がこれだ。必要充分な長距離性能と、どんなシチュエーションでもスポーツライディングをスポイルすることがない運動性能。ガレージに一台だけバイクを置くなら、こういうやつがいい。ISDEカナダ代表チームのメンバーとして複数のシルバーメダルを獲得。カナダ人初のダカールフィニッシャー。ジャーナリストのローレンス・ハッキングが語るテネレの世界。


「現代的ラリーアドベンチャー」

Text : Lawrence Hacking
Photos : Bill Petro, Yamaha official


舗装路ではフロントが21インチのダートバイクサイズであることを忘れさせる安定感。Bill Petro

舗装路ではフロントが21インチのダートバイクサイズであることを忘れさせる安定感。Bill Petro


ソノートヤマハとXT500

 1980年代から、アドベンチャーバイクのひとつのアイコンとして存在してきた「テネレ」という機種名に、私も親近感を持っているライダーの一人だ。しかし、この新しいスリムなアドベンチャーモデルは、すでに1年近く前にその詳細が明らかにされていて、雑誌でもSNSでもハードウェアについては、事細かに分析されつくし、私が解説したところで今さらという感が否定できない。

 私の役割としては、このテネレというブランドのヒストリー、それからどのようにして再び私たちの前に登場したのかを解説したほうがよさそうだ。

 テネレというのは、北アフリカ、サハラの一部、ニジェールとチャドにまたがる広大な砂漠地帯のことで、トゥアレグ語で「虚空地帯」を意味する言葉だが、ここが1979年に始まるパリダカールラリーにおける最大の難所になっていたことに由来してYamahaのモータサイクルに名付けられたものだ。

 当時、Yamahaのパリダカールラリーへの取り組みは、ジャン・クロードオリビエが率いるフランスのソノートヤマハに依存していたが、そのプロモ―ションは成功し、数千台のYamaha XT500がフランスを中心にヨーロッパで販売された。

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