人生最後の一台 海洋ジャーナリスト 内田正洋の場合
ある日、あなたの前に神様が現れてこう宣告する「あなたはこれまでにいろいろなバイクに乗ってきたが、ついに最後の一台を選ぶ時がきた。あなたが手に入れることができるのはあと一台だけ。その代わり、世界中に存在する、あるいは存在したことがあるどんなバイクでも選ぶことができる」。さあ、あなたが選ぶ人生最後の一台とは?
第4回 : BMW GS
海洋ジャーナリスト 内田正洋
Images : 渕本智信
人生最後の1台か。私(ワシと読んでね)の場合、まぁ当たり前にGSとなるわな。BMWのGSである。フラットツイン、シャフトドライブ。パリ・ダカール・ラリーで鍛えられた究極的ツーリング用オートバイ。
いわゆるスラッシュ無しのGSと出会ったのは、北南米大陸を3万キロにわたって縦断するツーリングが終わった直後だ。1988年のことである。前年の87年にデビューしていたR100GSとR80GSが日本に上陸したのがその年だった。
北米大陸の北端近く、アラスカハイウェイを起点にし、南米大陸のさらに南にあるフエゴ島を経てナバリノ島まで、5ヶ月かけて走り帰国した直後にGSのプレス発表会が行なわれた。そこには試乗車も用意されていた。当時の私にはオートバイジャーナリストなる肩書きがあり、専門誌を中心に寄稿を続けるフリーライターだった。しかも自身が走るモデルにもなって誌面に出ていた。
5ヶ月3万キロのツーリングを終えたばかりだったから、私の身体は完全なツーリング仕様。毎日のように数百キロを走る旅。生活自体がツーリング。しかもフォード・エコノラインのカッタウェイ・ヴァンを改造したサポートカーがフォローする体制だった。まぁ普通じゃないツーリングである。とにかく走ることが目的化したような日々だったけど、そんな身体がGSに跨がって走り始めた瞬間、脳天がしびれるような衝撃を受けていた。もう一度これで大陸縦断だぜ、そう真剣に感じた。そしてすぐにローンを組んで購入し、雑誌でR100GSのインプレッション記事を連載し始めた。タイトルは「GSドリーミング」。
私は1982年の第4回パリ・ダカール・ラリーに初出場した後、91年の13回目まで8回ばかり出場を続けた。基本的には4輪のナビゲーターだったが、1度だけはヤマハTT600改で出場。ちなみに北南米縦断ツーリングはホンダ・トランザルプ600Vのフランス仕様を提供してもらっていた。そして、ツーリングの途上では前年に引き続いてバハ1000に出場。やはりホンダからXR600Rを提供してもらっていた。バハにはそれから2回出場した。なんとも贅沢な時代だった。
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BIGTANKマガジンは、年6回、偶数月に発行されるエンデューロとラリーの専門誌(印刷されたもの)です。このnoteでは、新号から主要な記…
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