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英国のエンデューロが世界最強になった理由

英国はISDE、すなわちエンデューロの発祥の地である。1913年、カーライルで初めて6日間競技が開催されてから、モーターサイクル製造業の中心地でもあった英国は、しばらくは競技の分野でも強国として君臨した。しかし1950年代の半ばを過ぎると、次第に目立たない存在になっていく。

ISDEにおいて、最後に優勝したのは1951年、それからずっとワールドトロフィ獲得からは遠ざかっていた。決してエンデューロが盛んじゃなかった、というわけではない。エンデューロは、ロードレース、トライアル、モトクロスに並んで英国の人気スポーツのひとつであり、国内選手権も充実していた。

原因のひとつは競技のガラパゴス化だった。

エンデューロの開催には広大なエリアが必要で、そこを存分に走るための理解が必要である。英国は先進国の中でも環境保護意識が高い社会を持つ国である。同時にモータースポーツ(というよりも個人の価値観)に対する理解度も高いが、そうした社会環境の中でエンデューロ存続させるためには、エンデューロの側に一定の変化が必要だったのである。

まず、競技に使用するタイヤがトライアルタイヤに限定された。その後、それはブロックハイト13mm以下のFIMエンデューロタイヤに置き換えられるが、英国のエンデューロは全体として、特にスペシャルテストの内容がこじんまりとしたものになってしまい、それが標準化したのである。

地域性が強すぎると、外部との交流も少なくなり、次第に、英国のエンデューロはコミュニティとしても孤立するようになり、ヨーロッパ全体の中で存在感を小さくしていくことになった。これらのことが総合して、英国のエンデューロは弱体化していった、ということが言える。

英国のエンデューロは弱かった。

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