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ノースアイランドラリー - 何を求めて走るのか - No.242より

モーターサイクルによる旅、その喜びとは何か。それだけを追い求める4日間。ツーリング以上の体験、北海道を舞台にした冒険のラリー。

Text : Hisashi Haruki
Images : NIR Official, Jun Mitsuhashi



道北、知駒峠を日本海に向けて走る
NIRアンバサダーを務めて3年目のラリースト三橋淳。ムルティストラーダで気持ちよく飛ばす

時空を超える旅へ

何度か同じことを書いていますが、ノースアイランドラリーは、2014年に、初めて北海道とサハリンをつないだラリーとして開催されたものです。その後、海峡を渡り、2つの国、2つの島を舞台にしたラリーとして継続していくつもりでしたが、稚内とコルサコフ(大泊)を結ぶ定期便のフェリー航路が休止されることになり、このラリーも2015年で一旦休止することとなりました。
 自分のバイク、クルマとともに海峡を渡り、すぐに異国の地を走り出す。宗谷海峡を渡るフェリーは、ノースアイランドラリーの要であり、またこのラリーを始める動機を生むものでした。不思議と、宗谷海峡はいつも晴れ渡り、海は静かでした。サハリンを目指して滑るように進む船のデッキからは、遊んでいるつもりなのか、ペンギンのような姿のウミガラスたちが船に平行して飛んだり、海面にぷかぷかと浮かんで休んだり。私たちは、別世界に近づいていることを予感したものです。
 サハリンの景色を「百年前の北海道そのもの」と語る人たちがいます。州都のユジノサハリンスクを除いては、開発の手が及ばず、野生がそのままに残されている。そのことを言うのか、あるいは、旧日本統治下の遺構がたくさん残されていることを併せて言うのかもしれません。
 海を挟んで一方には、そんな世界があり、私たちは、わずか1日で、その両方に身を置くことができる。
 私たちは、このフェリーがタイムマシーンのようだと思っていました。
 奇しくも、北海道とサハリンは、ほぼ同じ面積を持つ島です。そして自然相にも明らかな連続性があります。例えば、島の西海岸には断崖が多いこと。東海岸はなだらかな砂浜が多く、サロマ湖のような汽水湖が多いということも、両方の島に共通しています。もちろん生息する動植物にも共通の種が多い。それらが織りなす景観もまたよく似ています。極東に、大きさも自然もよく似た二つの島が並んでいます。アムール河(黒竜江)から流れ出す流氷が、その2つの島を包み込み、たっぷりとした滋養を与えている。それは古来、この2つの島に生きる人たちに豊かな恵みをもたらしてきたのです。まるで母の愛に包まれたゆりかごのように。
 その様を、私たちは宇宙に浮かぶ双子の星のように思い浮かべることができます。
 ただひとつ不自然なことは、それを国境という見えない線が隔てていることです。その見えないが、強固な線が、2つの島に、文化的、そして時間的な隔絶をもたらしているのです。
 しかしながら、その隔絶が、ラリーと行為の同期になるのも事実です。時間的、空間的、そして文化的な異世界を横断することは、旅の魅力そのものといってもいいでしょう。ノースアイランドラリーは、極東に存在する2つ異世界を横断する冒険でした。

サロベツの夕景




宗谷丘陵


ライダーの根源的な欲求とは

旅の魅力にあふれるサハリンでのラリー。そのために何度となく彼の地を走るうちに、私たちは、次第に、北海道を違う視点で見るようにもなっていきます。コルサコフを離れたフェリーが稚内に着岸し、また南へと走り始めると、私たちはいつも、まだサハリンにいるように錯覚をおぼえます。やはり2つの島は兄弟だ。ただ、日本の文明(西側自由主義経済によるもの?)によって瀟洒にカバーされているが、自然はさほどかわらない。そして北海道も充分に広く、まだまだ未知であると。
 それに北海道には、サハリンでは期待できないツーリストを迎え入れるインフラがある。サハリンでの冒険も素晴らしいが、北海道にもまだまだ驚きがたくさんある。
 いつかは、という思いが実現したのは、サハリンの最北端から帰って5年後の2020年のことでした。新型コロナウイルスの蔓延で閉塞感に満ちていた時期。移動というライダーの根源的な欲求を抑えきれない人たちの希望が、ノースアイランドラリーを、北海道で完結するものとして復活させたといえるでしょう。
 それから3回目となったのが、この2022年のラリーというわけです。


進め、自分の力で

ノースアイランドラリーがサハリンで初めて開催された時、私たち主催者は、将来的に競技として発展させる計画を持っていました。競技性が無い、つまりタイムを競うセクションが無い形でのラリーは、その準備段階として実施するという認識でした。土地のことを良く知り、地元行政との信頼関係を強くし、運営体制を充実させる。そのうえで競技としてのラリーが準備される。しかしサハリンはそれほど競技に向いた土地、環境ではないと感じるようになります。砂漠、砂丘が無く、ピストは高速道路のように広く、直線路が多い。そもそも路線が少なく、閉鎖できる場所が少なく、あるとすればエンデューロコースのような山道になる。しかし、自分の力でナビゲーションし、未知のルート、未知の世界を切り拓いていく行為は、ライダーにとって充分にやりがいがあり、冒険的なものです。スペシャルステージがあるかないか、ということよりも、そちらのほうがラリーの根本にとって重要なのだ、ということを知るようになります。サハリン最北の小村を目指した2015年のラリーを通じて、それは確信に変わりました。
 もちろん、それがすべてのライダー、ラリー愛好家に共通するものとは思っていません。ラリーとは何か、という思いは、一人ひとり、少しずつ違って存在するものでしょう。


自由を求めて

サハリンでのラリーを準備する一方、私たちは北海道で競技として開催されるラリーの準備も毎年行ってきました。4日間で、毎日2~3カ所で、林道を閉鎖してタイムトライアルを行うスペシャルステージを実施し、合計タイムを競う。リエゾンをリラックスしたスピードで楽しみ、スペシャルステージでは限界のライディングを楽しむ。旅の楽しみと競技の興奮がミックスされた贅沢な遊びです。
 ただ、長い間こうした競技としてのラリーをやっていてストレスに感じ続けたことがあります。それは、ルート全体の計画が、スペシャルステージの場所とスケジュールに影響を受けすぎるということです。林道を閉鎖するなど、どこでも簡単にできるものではなく、関係機関の許可が必要なことはもちろんで、それには様々な制限もあれば、長い折衝の期間も必要です。必然的に場所が限られるわけですが、結果としてルートはスペシャルステージがどこでいつ行われるか、ということに引っ張られることになり、全体としての組立てを思うようにはできないのです。
 もちろん、北海道なので、田舎に行けばどこでもストレスのないクルージングができて、楽しいと思うのですが、スタートからゴールまで、どこをどう走ろうか、どう見せようか、というストーリーは作ることができず、とりあえずスタート、SS1、SS2、ゴールをつなぐだけのものになってしまうことになります。
 それでは北海道の魅力は伝わらない。スペシャルステージを考えずにやったらどうだろうか。きっと、北海道のいいところを思いっきり楽しんでもらえるのに!

宗谷丘陵をオホーツクに向けてダウンヒル!

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