シックスデイズとエックスアール - Parc Ferme 0802号
アメリカのオープンエリアやトレイルライディング、またはBAJAのようなデザートレースを楽しむライダーに供されるマシンというイメージが強いホンダのXRシリーズだが、この空冷のSHOC4バルブエンジンを積んだマシンが、シックスデイズやエンデューロ世界選手権の舞台に登場してきた時期がある。世界的な環境保護=エコロジー意識の高まりに呼応し、FIMがエンデューロの4ストローク化を進める一方、欧州のエンデューロマシンブランド各社による新しい4ストロークマシンの開発が途上にあった頃のことだ。特に、小排気量クラスでは2ストロークマシンに拮抗する出力と、6日間に耐える耐久性・信頼性を両立することができずにいた。日本製の小型4ストロークエンジンは、その点、コンパクトでそこそこの出力を発揮、抜群の耐久性を兼ね備えていた。
写真/文 春木久史
1996年から、4ストローク350ccクラスは、400ccに排気量が変更された。HusqvarnaやKTM、Husabergも、すでに戦闘力の高い水冷350ccエンジンを持っていたが、400ccに排気量が拡大されたことで、ちょうどデビューしたばかりのXR400Rは、なんとかこれに拮抗できる能力を持つことになった。欧州のエンデューロを走るXR400Rは、前後オーリンスサスペンションなどで武装し、まずまずの走りをした。しかし、XR400Rが活躍した時期はほんのわずかで、1998年に5バルブヘッドを搭載したYAMAHAの400、1999年にKTMのレーシング4ストローク"EXC-R"が登場してからは戦闘力を失い、ISDEからもほとんど姿を消してしまった。そんなか、フランスのシリル・エスクィロルは、XR400Rで奮戦。1998年のエンデューロ世界選手権では、400ccクラスのランキング2位を獲得した。この時のチャンピオンはフサベルのビヨン・カールソンだったが、ランキング3位マリオ・リナルディ(KTM)を抑えての快挙ともいうべきリザルトだった。
そしてXR250といえば、1998年に創設された4ストローク250ccクラスで初代の世界チャンピオンとなったジャンマルコ・ロッシを登場させないわけにはいかない。1993年まで存在した80ccクラスで、3度も世界チャンピオン(マニュファクチャラーはTM)を獲得した小排気量クラスのスペシャリストは、同じように非力な4ストローク250マシンを手足のように扱い敵なしの速さを見せた。翌1999年はカワサキKLX250のキトネンに破れてランキング2位に甘んじるが、ISDEでもこの新クラスを担当しイタリアチームを引っ張る活躍だった。だが、これも2000年にYAMAHAの5バルブWR250F、そしてフサベルのテクノロジーを導入したというKTMのレーシング4ストローク250ccが登場し、XRの出番は無くなった。ぼくが最後に見たシックスデイズのXRは、2002年のチェコを走っていたXR650R。雨の中、ワダチにつかまって白い蒸気を吹き上げている姿は、なにか場違いなものを見たような物悲しさ感じさせた。
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BIGTANKマガジンは、年6回、偶数月に発行されるエンデューロとラリーの専門誌(印刷されたもの)です。このnoteでは、新号から主要な記…
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