彼方へ - Go Beyond - 連載 Vol.1
ボクはそこに、生涯をかけて「追い求めるなにか」のうしろ姿を見た。 あの日から三十年もの時間を費やしながら「追い求めるなにか」のうしろ姿をたびたび見えたものの、まだ指がかからない。 そのうしろ姿は、きっと砂漠の陽炎のようなものなのか。 追うほどに遠ざかり、あざ笑うかのように、でもたしかに微笑みながら遥かな「彼方」に存在する。
著 / 山田 徹
【編集部より】
2017年12月に出版された山田徹氏の著書「彼方へ」を、このオンラインマガジンで連載させていただきます。パリダカールラリー、パリ-北京ラリーへの挑戦、ラリーモンゴリアの開催というストーリーに織り込まれた、著者ならではの視座から描かれた世界情勢も読者の楽しみになるでしょう。
プロローグ
パリ・ダカール一九八八から三十年が過ぎた。
あの日、スタートのベルサイユ宮殿はぞくっとするような凄絶な美しさで、未明のライティングに浮かび上がっていた。そこは興奮に満ちた大観衆と、参加者たちに埋め尽くされ、なにかとんでもないことが起きているようだった。
気温は低く、おそらく氷点下だったが、そこを歩くボクはひどく汗をかいていた。ボクの吐く息も白かったが、広場を埋め尽くした群衆の白い息が、古い機関車から吐き出される蒸気のように霧になってあたりに漂った。
夜空に突き刺さるサーチライトが、爆撃機の姿でも捉えるのかという勢いでせわしなく動いていた。
ポディウムの上には、このラリーの英雄オリオールの黒いバギーの姿があった。イヴ・サンローランの新製品のオードトワレのロゴ「COUROS」のグラフィックが素晴らしい。ブランドビジネスとこうしたラリーチームがコラボしている姿は、まさに先進を思わせた。白い蒸気のような排気ガスと乾いた音を残し、ポディウムのスロープを滑り降りて行った。
ボクはそこに、生涯をかけて「追い求めるなにか」のうしろ姿を見た。
それからの日々は「追い求めるなにか」を探す旅だったのだろう。しかしそれは一筋縄ではいかない。
あの日から三十年もの時間を費やしながら「追い求めるなにか」のうしろ姿はたびたび見えたものの、まだ指がかからない。
それは、かすかな匂いの後ろ髪のようなものだった。だからそれを、いまも追い求めつづけている。そのうしろ姿は、きっと砂漠の陽炎のようなものなのか。
追うほどに遠ざかり、あざ笑うかのように、でもたしかに微笑みながら遥かな「彼方」に存在する。
ところでこうした「夢」や「思い」に寿命はあるのだろうか。
ボクはただ、今このとき、その「思い」の記憶を「保存」しておきたいと思った。
その思いは、実際に存在していたのか。その時どう感じていたのか。手が届きそうだと思った幻は何だったのか。
あちらこちらに書き散らしたメモや日記や、Webに書き綴ったこの「彼方へ」という原稿などを取り纏め検証してみたかった。
少し立ち止まり、静かに振り返り、歩んできた道を俯瞰しがてら、本書にまとめた。
書くほどに、その「思い」や「夢」はまだ陽炎のようだ。
おおむね事実を記録に従って書いたのだが、誤記があればお赦し願いたい。
山田 徹
第一章パリ・ダカールの時代 其の一
一九九一年八月、ソ連崩壊
暑い夏の午後。
ニュースは松山の郊外にあるガレージで聞いた。そこは陸運局指定工場として営業をしていたものを買い取ったものだ。一〇〇坪ほどの高い天井の建物は、 ラリーマシンの秘密基地としてはいささか不似合いだったが、 手に入れた時の満足感は大きかった。友人たちは、どうしたのかと訊ねる。
「夢があるのだ。パリ・ダカール制覇の。スポンサー活動をし、広報活動に力を入れ、若いドライバーやライダーを育てる。こんな片田舎から世界に行く」
そう言うと、友人の多くは難しそうな顔をして、そこを辞した。
田園の中に建つそれは、鉄骨スレート造でそれでも4000万円もした。カッコよく改装してファクトリー然としたい衝動にもかられたが、いまは1円たりと惜しい。
モータースポーツは、馬鹿みたいに金がかかる。もちろんそんな金もなかったけど、夢は収支じゃ図れない。
さてその冒頭のニュースというのは「一九九一年九月一日スタート予定の第一回パリ・モスクワ・北京の大会が、 ソビエトのクーデターで急遽中止になった」というものだ。
実にスタートの三日前、八月二十八日のことだ。
赤の広場は、戦車に占拠され、通貨ルーブルは完全に麻痺。国家の終焉というものを目の当たりにしている。この大会に照準を合わせ、やっと間に合わせたチームは青天の霹靂だったろう。この年のエントリーリストに載って、翌年もエントリー出来た者は僅かしか居なかった。
この幻の一九九一年の大会に、 ボクは参加の準備ができなかった。だから暑い夏に一九九二年の新年にあるパリ・ダカールに向けマシンを作っていた。
結末から見れば、ボクはすこし幸運だった。しかし、歴史的なイベントのスタートに間に合わないと判断した時は、大きな挫折を感じた。けれどもそれが翌年のマシンづくりに没頭させるモチベーションになっていた。
間に合わなかった理由は資金的な問題と、マシンの問題だ。ボクはその半年前のパリ・ダカールに、新しく何の実績もないトヨタランドクルーザー80を2台、投入していた。
前年には徹底的に作り込まれたランドクルーザー60で、あと少しでシングルリザルト、というところまで善戦していたのにだ。せめてあと一年は熟成の進んでる60でやるべき、という声もあった。そんな周囲の反対を押し切るのはボクの得意技だ。
「だからやるのだ。チャンスだろ。ボクが道をつける」
そんなふうに啖呵を切った。こうしてこの80というマシンを競技用にセットアップすることに追われた。
どのくらい朝日が昇るのを、ガレージから眺めたろう。そしてひとつだけ自慢をするならば、世界中のどのチームよりも早くこの「ハチマル」というマシンを、ラリーの現場に持ち込んだ。
ボクが当時、畏敬の念で接していたトヨタフランスも、ひと世代前の70プロトの時代だ。トヨタ系の有力チームにしても、まだまだ模様眺め、といったところだった。
そしてその通り、ボクタチの2台のこのマシンは、ラリーを通じて大注目を浴びたし、トヨタフランスなどには、格好のデータを提供することになった。
とにかくよく壊れた。もう泣きたいほど。悔しさと無念さは、みんなの忠告の声と重なって怨嗟のように聞こえる。
フロントデフの容量が足りないのだ。リーフからコイルへの変更による軽量化と最適化をしたトヨタの開発陣はデフの容量を下げてしまった。
エンジンのパワーを少しは上げてはいたが、われわれの2号車はフランスのプロローグのいくつか目のコーナーの立ち上がりで、アクセルを開けた瞬間フロントデフを〝ガリッ〟とやってしまった。
簡単に説明をすると、デフというのは、コーナリング時に左右のタイヤの転がる量を調整し、内側が少なく外側が多めに転がりコーナリングをスムースにさせるものだ。エンジンが発生させた上下運動のエネルギーを、クランクシャフトを介して回転運動に変える。そして進行方向に対して、プロペラのような方向で回る。その回転を左右のタイヤをつなぐドライブシャフトと、デフケースの中で交わる。つまりプロペラ方向の回転を転がり方向に変換する。
プロペラシャフトの先にはピニオンというテーパーのついたギアがついていて、それを受けるリングギアが回転方向を90度変える。たとえるならコーヒーミル、手でグルグルと垂直回転方向に回しているのに、歯は水平方向に回る。要は回転の方向を変換する。
そこにある2個のギアには大きな力がかかる。ここでガリッという音がしたのは、この2個のギアがうまく噛み合わなかったのだ。原因はデフケースを止めるボルトの緩みか。いやそれは対策をしていた。やはり入力に対し 歯数による肉厚などが不足していたのだろう。
フロントデフを傷めるということは、4輪駆動で走れなくなるということだ。つまり砂漠や砂丘、そして湿地などにもがき苦しむことになり100%完走は不可能だ。
そしてそれ以外のトラブルも続いた。
帰国後トヨタの開発担当の責任者を訪ね、話しをしたところ
「それは、目的外使用だから」
と取りあわない。
「目的外使用? ランクルの目的は町の中を家族と犬を乗せて走ることか。それに大金を出して、2台も買っている。来年もさらに2台注文している」と出かけた悪態は飲み込んだ。ただ少しこのトラブルに興味を持ってほしかったし対策を考えてほしかった。そして目的外使用というのなら
「こういう目的以外では使用しないでください」とか書いておけ。怒りは収まらないまま席を立つこととなった。
それでも深々と頭を下げて
「そうですか、時間を取っていただきありがとうございました。なにかと言いたい事ばかり言って申し訳ありませんでした」
とボク。どうして謝らなければならないのか。それは、夢がまだあるからなのだ。
夢は男の子を大人にする。
続く
目 次
第一章 パリ・ダカールの時代
一九九一年八月、ソ連崩壊
一九九一年一月、パリ・ダカール
一九九一年十二月パリ
密林の死闘
キンシャサの奇跡とアンゴラの奇跡
第二章 パリ・モスクワ・北京
湧き上がる闘志
世紀のラリー、スタート
大転倒
ウスチウルト台地の脅威
この日がボクの人生を分けたかもしれない問題の九月十四日
最後の国、中国
凱旋の天安門広場
第三章 モンゴルへ
第一回モンゴル訪問
第一次試走
リスクマネジメント
永山竜叶死す
ルートブック
それはスピリット・オブ・セントルイス
ついにスタート、第一回日石ラリーレイドモンゴル一九九五
エタップ1
パニック
重大事故、起きる
緊急ブリーフィング
第四章 ラリーを主催するということ
緊急手術
マンダルゴビ
天空の町ツェツェルレグで
凱旋のウランバートル
第五章 パリ・ダカール一九九八
ふたたびベルサイユ宮殿
一日目リタイア
第六章 最終章
シベリア強制収容所
最後のラリーレイドモンゴル、はじまる
RRM二〇〇二 熱波の中の試走
エタップ1
ゼッケン♯30
緊急移送
ゾーモットへ
未着/遭難
捜索/ウランバートル対策本部
捜索難航ス/発見
3速
GPSの軌跡は語る
地図上の旅
ふたたび大陸へ
どうして困難にばかり挑戦するのか
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BIGTANKマガジンは、年6回、偶数月に発行されるエンデューロとラリーの専門誌(印刷されたもの)です。このnoteでは、新号から主要な記…
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