YAMAHA WR250F - リアルエンデューロ メイドインジャパン - No.237より
4ストローク250ccクラスに旋風を巻き起こしたチタン5バルブDOHCユニット。欧州のシーンを強く意識した構成。WR250Fはエンデューロ史に何を残し何を伝えるのか・
Text : Hisashi Haruki
1990年代後半の環境保護機運
エンデューロ世界選手権、ISDEを含むエンデューロ競技に4ストローク250ccクラスが創設されたのは1998年。世界的な環境保護機運の高まりの中で、FIMはすべてのカテゴリーで競技車両の4ストローク化を推進していた。多くのメーカーは競技に向いた小排気量4ストロークエンジンの技術を持っておらず、他社エンジンの流用や、400ccからのサイズダウンなどで急場をしのぐチームが多かった。そんな中で、日本製の4ストローク250ccエンジンはにわかにエンデューロシーンでの競争力を持つことになった。1998年は、ホンダXR250Rが、1999年はカワサキのKLX250の、それぞれ改造車がこのクラスでの世界タイトルを獲得している。2000年にようやくKTMが、OHCヘッドの250ccエンジンを搭載した250EXCRプロトタイプでタイトルを獲得した。ライダーはマテオ・ルビン。このエンジンは、350、400、450、500とも共通のコンポーネントを持つもので専用設計ではなく、4ストローク250cc仕様の回転レスポンスは鈍重なものだった。
2000年後半には欧州メーカーの開発も進み、Husqvarnaは自社製のチタニウム4バルブDOHCエンジンを完成して実戦投入を開始。tmレーシングもDOHCエンジン仕様を走らせるようになった。ISDEではホンダ、カワサキを走らせるプライベーターも少数残っていたが、移行期間は終わりに近づいていた。ヤマハはすでに5バルブヘッドのYZ250Fを市販していて、ISDEグラナダ大会では、これをエンデューロ仕様にしたマシンが他を圧倒する活躍を見せていた。
まもなく初代のWR250F 2001年モデルが発売される。
デビューから
4年連続でタイトル獲得
モトクロッサーのYZ250Fをベースとし、サスペンション、ギアボックスのワイドレシオ化、灯火類の追加など、エンデューロに適した基本的なチューニングを施したのが、WR250Fだった。強味は、軽量、コンパクトでハイパワーの5バルブDOHCエンジン。そしてやはり軽量な車体で、その運動性能は当時の同クラス車で群を抜いた。当時、日本にも、輸入車を取り扱うヤマハの関連会社であるプレストコーポーレーション等を通じて、ストリートリーガル仕様として販売され、日本でも人気のエンデューロモデルになった。
FIMエンデューロ世界選手権、現在のENDURO GPでは、デビューした2001年にステファン・ペテランセルがWR2250Fとともに4ストローク250ccクラスのタイトルを獲得。翌年2002年、2003年と続けてスウェーデンのピーター・ベルバルというライダーが同クラスのチャンピオンに、2004年は2ストローク125ccと4ストローク250ccが混走となったE1クラスで、ステファン・メリマン(オーストラリア)が、WR250Fでタイトルを獲得。つまり4年連続で、ヤマハはWR250Fによってエンデューロ世界タイトルを獲得したのである。
内山裕太郎とWR250F
真のエンデューロ仕様
WR250Fは、日本製のモーターサイクルとしては珍しく、欧州のエンデューロでの使用を強く意識した設計が細部に至るまで見られる車両だった。基本的にはYZ250Fのシンプルで軽量な車体の美点をそのまま活かし、一切のギミックを追加しない。エンジンはカムタイミングを変更するなどしてエンデューロ向きの特性にチューニング。ギアレシオの変更、リアホイールの18インチ化、サイドスタンドの追加などにとどまり、燃料タンク容量もあえて拡大していない。ホイールの脱着時に、ディスタンスカラーが落ちにくいように設計されることは、KTMを始めとした欧州車では常識的だったが、日本製としてはおそらくこれが初めてだっただろう。WR250Fは、欧州だけではなく、北米でも人気のモデルとなっていく。
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