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1-ON-1 馬場亮太 インタビュー No.246より

2021年のSUGO最終戦で突然のJECデビュー。小排気量マシンでトップタイムを叩き出し一躍注目を集める。翌2022年は初のフル参戦にして圧倒的な強さで全日本タイトル獲得。本誌が初めて迫る馬場亮太の素顔。

RYOTA BABA 馬場亮太
1997年7月9日 静岡県出身

中学生で全日本モトクロス選手権に出場を開始し、2014年にIB2クラスでランキング1位、翌年からIAクラスに参戦し、2018年に引退するまでフル参戦を続けた。2021年の最終戦SUGOでJEC初参戦。2022年はJECにフル参戦し全日本エンデューロIAクラスでタイトルを獲得した。有限会社ババナショックス所属。

Text : Hisashi Haruki
Images : Masanori Inagaki


高い目標に向けて走った

2014年にIB2でランキング1位、IBオープンでもランキング2位になって、翌年からIAを走るようになりました。2018年にちょっと大きな怪我をして、それでモトクロスを引退することになりました。5月の広島大会でした。スタート直後の接触で転倒してしまって…。結局、脾臓を取り除くことになったんです。
 しばらくして病院を出て、レースを観に行く機会がありました。スタートを見ていると、その時の怖かったことを思い出してしまって…。搬送されている途中、血が止まらず、失血性ショック死の危険もあったみたいで。この先も、こんなふうにやっていく自信がなくなったというか。すごく葛藤したんですよ。また走りたい、という思いもあったし。気持ちは本当に行ったり来たりしていましたが、結局、モトクロスからは引退することにしたんです。
 モトクロスでは、ワールドレベルで活躍するライダーになることを目標としていて、そのステップとして、まずは日本でファクトリーライダーとしてしっかり活動することを目標にしていました。
 そのシーズンも、冬にアメリカで2ヶ月近くトレーニングに参加していました。ヤニングという有名なトレーナーが主宰しているキャンプで。彼はフランス人なんですが、ムスキャンとか下田丈のトレーナーも務めている人です。彼のコーチングで得たことは、今でもすごく役に立っていると思います。
 その後、全日本の開幕前からタイのスーパークロスに出場して、九州の開幕戦、その翌週にまたタイのレース、という感じで、意欲的にやっていました。タイのモトクロスのレベルは、当時すでに高くて、ライダーはアグレッシブでした。ちょっとレースフォーマットが変わっていて…。レース当日は、全然練習する時間が無くて、サイティングラップで初めて乗ったらそのままグリッドについていきなりレース、という感じで…。日本は冬ですが、タイはもう蒸し暑くて、身体も全然調整できなくて、熱中症でレース走っているような感じで、リザルトは良くなかったです。3戦走って、大体5位ぐらいのポジションでした。


「感覚でいく、というよりも理屈で乗るタイプ」と自己分析。タイムアタックにもやりがいを感じるという



2022年は北海道大会(ルスツ)にも参加。初日はマシンラブルでDNF、しかし2日目はしっかりポイントを積んでタイトルを決定した

真の理由

 父がプロのモトクロスライダーだったので、小さい頃からバイクは乗っていましたが、レースが好き、とか、モトクロスライダーになりたい、と思ってはいなかったです。父も、そのように促してはいなかったと思います。ただ、家には自然にバイクがあって、普通にスポーツやレジャーの一種としてモトクロスみたいなことをしていたという感じだと思います。
 モトクロスでやっていきたい、と思うようになったのは、IBクラスに上がってからです。それからIAになって、2018年に引退を決めるまで、ですね。
 そのモトクロスを辞めることにして、どうやって生きて行こうかなといろいろ考えました。実家が浜松なので、オートレース場がすぐ近くにあるんです。レーシングスーツで有名なHYODに就職して、そこで働きながらオートレースの選手になる試験を受けることにしたんです。勤め先には、最初からそのことも理解してもらっていました。ただ、体重制限が厳しかったり、脾臓の摘出のこともあって不合格。採用試験は2年に一度しかないこともあって、結局、これはあきらめることになりました。
 確かにオートレースも危険な仕事ですよね。モトクロスから引退する決意をした時の葛藤には、このままモトクロスをやっていて、それで将来に渡って生活することができるかな、という、リスクと生活を天秤にかけた部分が大きかったんです。トップライダーになったとしても、何年やっていけるんだろう、って。IBになってからは怪我が多くて、まともに走れていることが少なかったというのも大きく影響していると思います。
 このままモトクロスに命をかけることに疑問を持ってしまった一方、オートレーサーならちゃんと職業として生活を成り立たせることができる。ある程度年齢がいった人も活躍している。そんな思いでした。

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