TIME TO RIDE 「オフロードという原風景」 大鶴義丹
同年代のオフロード仲間で酒を飲んでいると、自分たちが変わり者集団だということをいつの間にか忘れてしまう。この年齢でオフロードバイクを楽しんでいるというのは、好むと好まざるとにかかわらず、一般社会では変わり者の烙印を押される。ノーマルな生き方をしている方たちが、深く関わりたくないと偏見を丸出しにすることもあるだろう。
私の経験からすると、その手の「ハレーション」が起きるのは、他のレース愛好家全てにおいても同じで、また格闘技などにおいても似たようなことが起こり得る。あくまで私のうがった見立てであるが、危ないことを好む人種なのだと思われるのだろう。もう少し踏み込むと、商売相手としての、リスク管理の感覚を疑われるのかもしれない。
しかしそれも一理ある。同年代で派手にオフロードバイクを乗りまわしている仲間たちを見まわすと、多かれ少なかれ何かが麻痺している。仲間同士だと楽しいだけで済むかもしれない。だが巨額の費用が掛かったプロジェクトの運命共同体としてはどうであろう。安全に曲がれば良いのに、わざわざドリフトをして曲がるような感覚や、めくれるような崖を上る闘争心を、そのまま仕事に持ち込んで良いかは疑問だ。
私は商売相手に対してバイクの話をほとんどしない。若い頃は勇ましさを誇示するかのようにバイク趣味を語ったりもしたが、ここ10年くらいは逆にバイクの話は避けている。特に初対面の方などは、そうした方が円滑に進むことが多い。しかし後から、バイク雑誌の連載やSNSの写真等を見られ、「そんなことをしているのですか」と露骨に驚かれることもある。またその表情の奥には、明らかに批判めいた匂いも混じっている。そのときは「たまに乗るだけです」と踏み込んだ生臭い話は避ける。そうすることで相手も表面的に安心することが多い。
やはりバイクというものは、ゴルフや週末の草野球とは大きく異なっている。とくにオフロードバイクは幾らキレイ事を並べても、リスクが高い。里山歩きとは訳が違う。一般社会からした「狂気」に通じる響きがあるのだろう。その感覚を疑われるのは仕方がないことだ。いい歳をして、頭のネジが数本外れていると思われても仕方がない。しかしどう思われようが、見てきた風景に対する誇りや確固たる自信があるのも事実だ。だから私はその共感を、彼らと共に得ようとは思わない。
オフロードバイクの原風景について語るとき、私は、今は無き「神奈川県・丹沢林道群」に想いを馳せる。最近の若いオフロードライダーに話すときは、宮ヶ瀬湖に沈められたステージだと説明する。当時は神奈川県に住んでいたことがあり、家から1時間もかからずに通うことができた。80年代バイクブーム最盛期、同級生ライダーの大部分はヒザ擦りに燃えていたが、今でもバイク仲間であるT君と私だけはオフロードに熱を上げていた。
丹沢林道群は首都圏から近いこともあり、今では考えられないような「カオス」であった。週末ともなれば「ギャラリーコーナー」のような場所に250のトレールバイクにシニサロや旧JTを身にまとった地元系が怖い顔でたむろしていた。「挨拶ナシ」でそのコーナーを駆け抜けると一斉に追いかけてきては「ストリートファイト」が始まるのだ。こちらがスピードを緩めて「ゴメンナサイ」をするか、こちらが転ぶまでそれは続く。要するに峠族のヒザ擦り合戦が、そのまま林道にシフトしているだけである。大人になって知り合ったオフロード仲間と話していても、このような状況は首都圏から近い丹沢林道だけの特異な状況のようだ。良くも悪くも、それが昭和の丹沢林道群だった。
だがその「ストリートファイト」の御縁で、地元相模原にあった、BAJA1000にも精通していたTREADという有名エンデューロショップに通い出した。唯一の高校生チーム員として、ショップの社長にも可愛がられた。富士山の火山灰でしごかれたり、大人のチーム員たち履き捨てた5部山のエンデューロタイヤをタダで頂いたりしたものだ。
気がつくと40年近くも前のこと。もうそのショップも無くなってしまったが、林道を走るたびに思い出す一番大事な風景だ。
同世代のオフロードの仲間たちと走った後に、反省会と称して酒を飲むと、いまだに仲間が崖から落ちかけた話や、鹿とぶつかって骨折したなど、深い山奥でアドベンチャーバイクのエンジンが止まり、夜の林道を二時間歩いたなどの話で盛り上がる。だがそんな話を一般社会とは共有できないし、する必要もないだろう。
当たり前になっているので気がつかないかもしれないが、オフロードバイクでその道を走り続けるということは、私たちが考えているより簡単なことではない。一般社会から畏怖されても仕方がない勇ましき行為だ。自分も含め、そろそろ還暦が見えてきた仲間ばかりだが、そんな風景を共有できることに大きな喜びと共に、ここまでオフロードバイクを乗り続けてきた自分たちを、あらためて誇らしく思う。