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彼方へ - Go Beyond - 連載 Vol.2

ボクはそこに、生涯をかけて「追い求めるなにか」のうしろ姿を見た。 あの日から三十年もの時間を費やしながら「追い求めるなにか」のうしろ姿をたびたび見えたものの、まだ指がかからない。 そのうしろ姿は、きっと砂漠の陽炎のようなものなのか。 追うほどに遠ざかり、あざ笑うかのように、でもたしかに微笑みながら遥かな「彼方」に存在する。

著 / 山田 徹

第一章パリ・ダカールの時代 其の二
一九九一年一月、パリ・ダカール

 話はサハラ砂漠に戻る。実はこの年のこのイベントは一九七九年の第一回大会から数えて十三回大会だった。主催者は大会の表示のすべてから「13」という数字を外した。不吉なのだろう。
 ラリーの中盤、パリを立って12日目。ついにボクの1号車にもその不吉な瞬間がやってきた。マラソンエタップと呼ばれ、ゴールしてゴールしチェックカードを渡すや誘導され
 「そこに停めて早く車から離れろ」
 「はいはい」
 「機関銃を持った兵士が監視にあたるから朝まで近づくな」
 これを、パルクフェルメという。TSO(主催団体)はそのマラソンステージ+パルクフェルメをワークスとプライベーターの格差を埋める手法なのだといっていた。確かにワークスのメカニックたちによる作業は制限されるが、ボクタチのようなプライベーターはさらに過酷な運命なのである。その日のゴール手前、ラリーの中継地アガデスからティリアまでの休息日明けのステージだった。やや砂の深い赤いピストがまっすぐに天に向かって伸びていて長い砂ののぼりだった。
 傾きかけた午後の陽が砂の上に長く濃い影を作り、地上のすべての物体がコントラストの強い液晶の画面で見る映像のようだった。ゴールを示すフラッグが見えた。この時の安堵感を、不吉な音がかき消した。
 「ガツーン」
 その瞬間フロントデフは完全にロックされてしまった。意思を持ったその機械部品がボクにむかって「もう砂の深いところは堪忍して」といっている。慌ててフロントのハブをフリーにして、不吉な音が何を意味しているかを想像しながらゴールに着いた。チームに1個だけあったスペアのデフは、すでに2号車に使った。明日も砂の中を走り続けるには、どこかのチームから同サイズのリング・ピニオンギアを手に入れることのみだ。
 しかし残念なことに、ラリーのなかでたった2台しかいない80だったということ。チャレンジングであるということは、つまりこういうことでもあるのだ。
 もちろんそれらは手に入れることはできなかった。それは最難関の砂の深いモーリタニアを目前にギヴアップを意味していた。
 ボクはその敗退が容易に受け入れられない。
2号車は、さらに過酷な出来事が待っていた。それは悪魔の、と畏れられるモーリタニアの砂の深いステージで起きていた。

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