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彼方へ - Go Beyond - 連載 Vol.16

著 / 山 田 徹


第三章 モンゴルへ
其の五 それはスピリット・オブ・セントルイス

一九九五年六月三十日。
名古屋空港、まだ明けない梅雨のうっとうしさに加え、ラリーレイドモンゴルの参加者たちときたら、その多くは厳しい重量制限のための苦肉の策と思われる姿(ライディングウエアを身にまといブーツ姿、手にヘルメット)で、必要以上に喧騒をかもし出していた。明日スタートするラリーの熱気をはらんだ人いきれに、地中海を渡るときのマルセイユ港の風景が重なった。
TVのクルーも忙しく走り回っていた、見たこともない民放のキー局のクルーまでいる。まさに国際ラリーのカオスを演出している。チャーター機のB727は、ひときわ小さく、空港の隅にちょこんと駐機している。エンジンから立ちのぼる陽炎が、ついほどに着陸したことをうかがわせている。あのささやかで小ぶりの機体に、120名の参加者やオフィシャルそれに取材関係者が乗るのだ。
モンゴル航空の日本支社長は、元駐日大使館の一等書記官だった男だ。ラリーの企画段階では、いろいろと相談に乗ってくれたが、半年ばかり前にモンゴル航空の日本支社長に転進した。なんども事務所に足を運び、粘り強く交渉した日々が懐かしい。その彼が、こちらを見つけるや、小走りに駆けて来て、握手を求める。
「いよいよですね、やって来ましたねえ、この日が」
相変わらず流暢な日本語を話す。
「いやあ、大変お世話になりました。おかげで長年の夢が実現しますよ。たくさん無理も言いましたねえ」
「それはそうと、貨物の量が多くて積みきれません。それに重量もおそらく問題です」
この当時はモンゴル国内で、食糧などを十分に調達するのは困難だった。飲料水などは二ヶ月ほど早くコンテナ輸送で、参加車両とともに送ったのだが、医薬品と医療機材、それに食糧は、チャーター機で輸送することにしていた。先発のスタッフを増員し、エアに乗るメンバーを定員より10名少なくして、その分をペイロードの確保に努めた。しかし、奴ときたら、ちゃっかりその10席を一般客に売ってしまっている。
「チャーターしていても、あなたは空いてる席を売るのか」
「当然でしょ」
「話したはずだ。10席少なくするから1トン近くは貨物がオーバーしてもいいだろう、と。降ろしてくれよ、うちの関係者以外の10人を、このタコ」
「わかりました。何とか飛ぶようにしますから、許してください」
「だめだ」
「困りましたね」
「困るのはわれわれだ。機内でブリーフィングを予定しているって話したはずだ。それにその10人は、この便がラリーのチャーター機だってことは知っているのか」
「なんとかします」
「10人に、いくらでチケット売ったんだ」
男は、顔を曇らせて足早に駐機場へ去っていく。機体の下にはカーゴルームに収まりきらない貨物が山積みになっていた。
「そんなことより、これで安全なのか」
搭乗のアナウンスがかかった。関係者ではない10名のうち日本人は、4名ばかりだ。
「チャーター機だが、あなたの立場はわかっている。モンゴル航空に腹立たしい思いをされるだろうが、こちらも同じです。われわれは権利を行使しない、だから安心して乗ってください」
先ほどから遠まきに、われわれのやり取りを眺めていて不安そうだった旅行客は、安堵の表情を浮かべた。
「この状態では、乗らない選択もあるんじゃないか」
そう言ってやりたかった。不謹慎ながら、主催者として掛けた保険金の支払い総額を計算してみたりした。キャビンの真ん中に1本だけの通路がある。そこには驚いたことに、びっしりと荷物が置かれている。あの時のツボレフと同じだ。
やがてエンジンは回転を上げ、滑走路に向かうのだが、その動きからもオーバーウエイトを感じさせる。滑走路の一番端に着くや、機体を大きくバイブレーションさせ、出力を上げる。しかし加速をしない。ただゆっくりと走っているに過ぎない。
「おい、浮かないんじゃないか」
「いや、まじでやばいすよ」
「だろ、滑走路足りないぞ。これじゃあまるでスピリット・オブ・セントルイスだぜ」
「なんですか、それ」
「あれだよ、リンドバーグの」
「そんな歌ありましたっけ」
「ちがうよ、翼よあれがパリの灯だって」
「あー、大西洋横断の」
「そーだよ。燃料積みすぎて、飛ばないといわれながら飛んだんだよ」
「飛びますかねえ」
「さあ、わからん。いろいろ世話になったな」
「やめてくださいよ」
B727は航空史に残る良い飛行機であることは知っている。しかしどうもこれは、飛び上がる気配を見せない。一人で血の気が失せていく。
「飛べー、浮き上がれー」
心の中で叫んだ。その瞬間、タイヤの接地感が消えた。
「やったぞ」
機内から歓声が上がった。誰もが同じ不安を覚えていたのだ。あとは空港脇の林に足を引っ掛けないように、だ。少ししてグワンと、機体が沈み込み次の瞬間、大きな浮力を感じた。やがて急角度で上昇を続け、梅雨の雲を突き抜けると、あきれるほどの青空が広がっていた。ボクの脳裏には飛び散る木々の枝や葉の映像が浮かんだ。
「飛んだぞ、スピリット・オブ・ウランバートル」
この空の彼方へ、遙かなモンゴルの大平原に、ついに飛び立った。ひとりで安堵と興奮で震える心を抑えきれなかった。


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