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<タクドラ日記>歴史学者との出会い

先日、根津美術館付近で著名な歴史学者のM.I氏がご乗車された。高速が混んでいたので世田谷・砧スタジオまでの約33分の出来事。

先生曰く、「失礼な言い方かもしれないですが、僕はタクシー運転手さんを選ぶんですよ。ちょうど2台先に会社社長さんみたいな方が運転されてたのでフジムラさんが来るまで待ちました」
乗車と同時に僕の名前と誕生日まで乗務員証で確認されている。笑

それから砧スタジオまでの33分間はずっと会話が途絶えませんでした。

僕がユヴァル・ノア・ハラリ氏の「サピエンス全史」を賞賛して自分の歴史観について説明すると、「それ、ウチの母親も同じ事言ってました」と。特に宗教について言及したところは、天皇陛下へのご講義でもそんな内容を(公にはできないけど)話してしまった、と。笑

今日、宗教は差別や意見の相違、不統一の根源と見なされることが多い。だがじつは、貨幣や帝国と並んで、宗教はこれまでずっと、人類を統一する三つの要素に一つだったのだ。社会秩序とヒエラルキーはすべて想像上のものだから、みな脆弱であり、社会が大きくなればなるほど、さらに脆くなる。宗教が担ってきたきわめて重要な歴史的役割は、こうした脆弱な構造に超人間的な正当性を与えることだ。宗教では、私たちの法は人間の気まぐれではなく、絶対的な至上の権威が定めたものだとされる。そのおかげで、根本的な法の少なくとも一部は、文句のつけようのないものとなり、結果として社会の安定が保証される。
 したがって宗教は、超人間的な秩序の信奉に基づく、人間の規範と価値観の制度と定義できる。これには、二つの異なる基準がある。、、、以下の二つはとても重要なのでご自分で確認されてください。笑

ユヴァル・ノア・ハラリ氏「サピエンス全史」下巻10P


サピエンスが生き延びた理由を「認知」や「想像」する事のできる能力であるみたいな事を後ろの席で一生賢明説明されていたが、生憎、僕は運転しながらの会話なので100%聞き取れていた訳ではなく先生が文脈の中で何を言いたいのかを理解するのに必死でした。
途中で、僕の母方の旧姓から祖先が何をしていたのかを番組本番前だというのにいろいろ調べてくれたりもしました。

「フジムラさんのひいひいじいさんは、京都宮津藩の武士ですね」
「はい、免許皆伝だったそうです」
「この時代の武士の3分の1は免許皆伝なんですよ」
「あ〜、そうなんですか」笑
「ってことは上位3割には入っていたってことですね」って言おうとしたけど、運転に集中して言葉が飛びました。
「で、ひいひいじんさんの政人さんについては同志社大学が研究論文を出していて謝界新聞の記事になってます」
先生は特殊なサイトを検索して文章を読んでくれたが、概ね次のような内容だったような。
「なんでも宮津藩藩主の本庄宗秀の特命で京都?(堺だったかな?)に赴いて当時の日本一の医師であったボールドウィンの治療を受けようとしています。眼病治療という事です。でも、結果的に治療は受けられなかった、と」
あ〜、ここまで聞いた時に僕の眼に涙がうっすらと滲んだ。僕の祖先が堺の街で殆ど見えなくなった眼で彷徨っている姿が脳裏にちらついた。

先生は、調べ物に集中していて砧スタジオを過ぎてしまった事に気付きませんでした。先生が砧スタジオの降車場所を指示してくれる事になっていたので、僕も通り過ぎてしまった事に気付きませんでした。笑

降車の際の先生の眼は爛々と輝いていて続きの話をしたそうに僕に微笑んでくれました。しかしスタッフに出迎えられると別世界の人の後姿に変貌して貫禄ある歴史学者となって去っていきました。

僕は、「走り人」としてタクシー運転手をしています。爆

また、お会いできる日を楽しみにしております。

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