
その力があれば、すべてを売れると思った。
先日、勤務先の株式会社HubbleがシリーズBの資金調達を発表した。
このシリーズBの発表まで、私の入社から2年3ヶ月。あっという間とも言えるし、早かったとも言える。(同じ意味か)
YOUTRUSTさんに掲載いただいたこちらの記事で代表の早川が『町田さんが入社してから5倍成長した』と、今回のシリーズBの大立役者のように私を持ち上げてくれているが、私の所感としては決してそうではない。
ビジネスサイドも開発もコーポレートも、全員が超頑張り、私もその中の一人として超頑張ったというだけだ。
(なお、インタビューでもそう答えて、原稿チェックでもそう直したが、私の話が長いので割愛されてしまった。なんとなく同僚からの目線が痛いので、ここでまず触れておくことにする。)
私はたまたまシリーズA前半のタイミングで入社したに過ぎないし、そもそも今の市況では2年で5倍成長しないSaaS企業はシリーズBは難しいだろう。
前置きが長くなったが、今回の調達をネタにして経営メンバーでnoteを書く取り組みの順番が私に回って来たので、良い機会としてHubbleに出会ってからの約2年半を振り返ってみようと思う。
シリーズAの初期に2人目のマーケターとして入社した私が、現在は事業責任者という身に余る肩書きを拝命しこのシリーズBを迎えるまでの間、どんな事を感じ、考え、取り組んできたか、記憶にあるうちに脳内を共有しておく。
正直、スタートアップではよくあるつまらない話かもしれないし、読者に何も示唆はないかもしれない。
だけどもし、今キャリアに悩んでいる人や、どこかすっきりしない気持ちで働いている人が、少しでも前向きになれるような言葉が紡げれば嬉しく思う。
Hubbleに出会ったのは2022年だが、はじまりの話をするには、10数年ほど時を遡る必要がある。(全然2年半じゃなかった)
言い訳
新卒で電通に入社した私は、電通が大好きだった。
最強のチーム力で圧倒的な顧客体験を届ける。魅力的な仲間とバリバリ深夜まで働いて最高の提案を作り、競合プレゼンに大勝利。
派手なクリエーティブやメディアプラン、イベントを作り、圧倒的な消費者体験をお届けする。
打ち上げも一切手を抜かず大エンターテイメントのような宴席を作り、顧客との太く強固な一生物の絆を作る。
どんな顧客のどんな商材でも必ず売れる・顧客満足度の非常に高いマーケティング支援を、戦略から実行まですべて完遂する。
そんなチームを率いる営業としての自分。
『さすが電通』
この言葉が誇りだった。
この力があれば、すべてを売れると思った。
しかし時代は変化し、ホワイトになる社会では、私の好きだった部分のいくつかは許容されないカテゴリに分類されていく。
もともとブラックに働かされていた気は1ミリもなかったが、上司からさまざまな規則やルールを厳格に守れと言われたら社会人として対応せざるを得ないのは当然。
しかし白く美しく光る水の中においては、これまで効いていた踏ん張りを効かせるためのエネルギーは得られなかった。頑張りたいけど頑張れない、なんとも生きづらい世の中。
言い訳がましい陳腐な表現ではあるが、そう感じていたと思う。
新しい水に適応できないわけではないが、今まで自分が大切にしてきたことが、ここにいればいるほど否定されている気になる。
理想の電通マンだった自分は日に日に死んでいく。
心の中の火が、消えた。
今思えば子供だったと思うし、他にやり方もあったと思う。そんな環境でも生き生きと働いている仲間はたくさんいたし、熱い仲間は今でもたくさん電通にいる。
しかし弱い私は逃げ出すように、次のキャリアを探した。
その時にまず考えたのが、同世代の人間がバリバリ楽しそうに仲間と働いているスタートアップへの転職だった。自分の気質に合うだろうし、また心を熱くして働けるかもしれない。
何社か実際に話を聞いてみて、若くエネルギーに溢れる経営者が語るスケールの大きな事業計画や展望に心躍らせた。
しかしこの当時は個人的な理由でこのチャレンジには踏み切れず、最終的には当時担当だったEC系のクライアントへの営業スキルを買われ、Amazon Japanに転職する。
電通に入社して10年目。2019年のことだった。
鎖
大手企業へのAmazon広告のセールス担当として入社した半年後、世界が変わった。
新型コロナの影響による巣篭もり消費が一気に拡大し、各企業がECシフトを余儀なくされた。
このパラダイムシフトに伴い、顔も見たのことのないアメリカの上司から落ちてくる、とてつもなく高い売上目標数字。
未曾有の事態においては、クライアントもAmazonだけでなく自社サイトや他ECも拡充しなくてはならず、取り組むべきことの優先順位がある中において、クライアント事情を顧みない提案を余儀なくされる数字目標に、「アメリカは日本のマーケットやサービスを理解しているか」と周囲に尋ねれば、「外資なんてこんなものだ」と当然のように対応する優秀な同僚に囲まれる中において、その割り切りこそがこの会社の処世術だと感じた。
目標設定段階でいかにクライアントの見込み数字を隠し、上との目標数字のネゴシエーションをまとめる能力が最も重要なスキルだと周囲から説明され、そのやり方を踏襲してみれば、確かに成績が上がり、社内からも評価された。
しかしそのクレバーなエコシステムの中で多少活躍しても、心が晴れることはない。
消えてしまった灯火を夢幻に見る
欠如した生きている実感
にも関わらず感じる息苦しさ
生と死の間で彷徨う矛盾したわがままな私の心。
嫌ならやめれば良い。
しかし、そこから抜け出そうとは容易に考えられない。
外資ということもあり、給与が良い。
度々言い訳がましいが、結婚し双子の子供も授かり、片方の子が難病で障がい者認定される前だったので、治療や通院に金が必要だった。
妻も介護で復職見込みはない。
私が金を稼がなければと思うと、身動きが取れない。
正直、アメリカの高級なドッグフードで飼いならされた犬だったと思う。
太い鎖で繋がれた醜いピッドブル
それが、私。
クライアントへ往訪した帰り道
タクシーで流れ続けるスタートアップの広告。
同年代の人間が仲間と生き甲斐を持ってバリバリ働いている。
自分が好きだった世界に近いものがそこにあった。
なのに自分は身動きが取れず、社内報告用の数字台帳作りにエネルギーの大半を使っている。
モニターの電源をオフにする。
暗転した画面に映る悔しさで歪んだ顔を見るのは何度目か。
もう、考えることすらやめた。
しかしコロナも落ち着きを見せた2022年の春、事態は急展する。
それまで私は仕事、妻は育児で忙しく、家で仕事の話をすることはほとんどなかった。
だがある日たまたま、家で酒を飲んだ。
当時は娘の病気もあり、酒はほとんど飲まなかったのだが、なぜかその日だけは家で酔ってしまい、妻に悩んでいることを伝えた。
すると非常にクリアな回答が返って来た。
いや、そこまで辛いならやめて、新しいことしなよ。
お金は気にせず、やりたいことをやった方が良い。
私の貯金もあるし、なんとかなるし、なんとかしよう。
今振り返ると、一番の転機はこの時だったと思う。
私の人生は、間違いなく妻によって取り戻してもらった。
抜け落ちた太い鎖に、数年ぶりの光が射した。
出会い
「やりたいことをやる」
妻に背中を押してもらい、そう決意した私。
まだ世に価値を知られていないが、本当に価値のあるものをスタンダードにすることを目指すスタートアップで、熱い仲間とバリバリ働こうと決めた。
同時に、市場に対してどのようにサービスを戦略的に位置付け、伝えるかを考える、マーケティングの仕事をしようと思った。
しかし、これまでマーケティング支援をしていたとはいえ、基本的には代理店やECサイトの営業でのキャリアを歩んできた私を、スタートアップの貴重なマーケティング枠で採用してくれる会社はなく、基本的に書類で落とされまくった。(Hubbleの競合にあたる会社もいくつか受けたが、例に漏れず書類で落とされた。)
そんな折、あるエージェントさんが、友達の会社なら町田さんを紹介できるかもしれないと言ってくれ、せっかくなので受けてみることにした。
そこで組まれた面接で会ったのが、Hubble代表の早川だった。
ネットで早川について調べた情報を元に、最初の雑談をする私。
「SNSで見たんですけど早川さん大阪のxx高校ですよね。私近くに昔住んでいて、近くのxxっていう焼肉屋で働いてたんですよ。ご存知ですか?」
「あー。あの辺ヤンキーばっかで嫌だったんですよね。」
なんて失礼なヤツだと思った。
ただ話してみるとすぐに、失礼なのではなく、嘘がない、正直な人間なのだということがわかった。
それまで他社の選考でも代表が面接に出てくることはあった。
誰もが輝かしく魅力的で、とても偉大な存在に見える経営者ばかりだった。
しかし早川は昔からの友人に会ったかのように、等身大で素直な自分自身を最初から私に見せてくれた。
当時の早川が悩んでいたこと、Hubbleが困っていたこと、でもHubbleが創りたい世界について、早川の素直な言葉で、業界未経験の私にもわかるように丁寧に話してくれた。
返す形で私もマーケターとしての考え方、成し遂げたいこと、スタートアップでチャレンジしたい気持ちを話した。
あっという間の60分だったと思う。
一通り話し終えた後の早川の言葉を、私は生涯忘れることはないだろう。
『やっと会えましたね』
2年も一緒に働いていれば、言い争いになることもよくあるし、嫌になることもある。
しかしそれでも私が早川についていく一番大きい理由は、奇をてらわずに相手の心に染みることを一言に込めて言う力に凄まじいものを感じるからだと思う。
この時もそうだった。
電通時代から続く私の数年間の悩みや苦しみ。
そういったことは明確には話していないし、おそらく早川はそこまで理解しているわけでもない。
でも相手の心にあるものを無意識にトレースするイタコのような不思議な力で紡がれた早川の一言で、長らく沈んでいた私の心に火が灯るのを感じた。
加えて、かつて私自身が社会の変化において苦しんだ身として、綺麗な社会の代名詞とも言える「ルール」や「規則」の象徴である契約をビジネスの現場の手に取り戻すことができれば、自分のように苦しんでいる人間がまたバリバリ働ける世界を取り戻す一助になると思った。
自分が売らなくてはいけないプロダクトだと思った。
一方で私自身はこの重要性を実感していても、一般的に契約業務のDXを図るというプロダクトは経営優先性が高くないとも感じた。
何社か面接を受けてプロダクトの説明を受けた中では、最も売るのが難しいプロダクトだと直感的に思った。
だが、それが良い。
そんなプロダクトだからこそ、自分が売る価値があると思った。
クライアントに圧倒的な営業体験を届けてきた自分のセールス力
消費者に圧倒的な顧客体験を届けてきた自分のマーケティング力
その力があれば、すべてを売れると思った。
Hubbleも例外ではないと思った。
こうして最初の早川との面談で、私はこの船に乗る未来を確信した。
その後諸条件のすり合わせや各所への顔合わせも無事に終え、私は2人目のマーケターとしてHubbleに入社することになった。
既にリードGEN領域を担当するマーケティングマネージャーは在籍していたこともあり、私は2人目マーケとして戦略面を担当することになった。
こうしてHubbleでの私のキャリアがスタートする。
期待と夢に心を躍らせた。
ピンチをチャンスに
入社してから2週間。
マーケマネージャーが退職し、私は1人マーケとなっていた。
伴い、私はマーケティングマネージャーとなった。
入社2週間での大出世。
しかし前任マネージャーの退職に伴い、マーケティングチームでリードGENを担当する人がいなくなってしまった。
主に戦略部分を担うことになっていた私だが、戦略だけでは明日の飯は食えない。目の前の営業プロセスであるリードGENを回さなければ、ISに架電リストが渡せないのだ。
一旦戦略面はさておいて、広告やサイトリニューアル、LPの制作、セミナーの企画運営や媒体出稿、展示会の情報収集や準備等、リードGENと呼ばれるマーケの仕事は全部一人でやった。
地味な設定周りの仕事から各所との調整まで、広告会社も華やかな裏では地道な泥臭い仕事が多いので慣れてはいたが、Hubbleというプロダクトのことを学ぶ時間も殆ど取れず、ましてや腰を据えてHubbleのマーケ戦略を考えるには、どれだけ働いても時間が足りなかった。
正直、入社前に期待されていた成果は全く出せていなかったと思う。
入社後3ヶ月の振り返りを取締役陣とした際にもそれは感じた。
様々な言い訳を並べるも、業務で忙しい?それは本当にしなきゃいけないことなのか?本来事業にとってやるべき事ではないのでは?
まだ信頼関係がないゆえの、辛辣なフィードバック。
いやいや俺じゃなくて企画したのはあの人やんけ‥と思うこともたくさんあったが、私の社会人経験はこのピンチはむしろチャンスであると見逃さなかった。
じゃあxxさんをうちのチームにくださいよ!
どう見てもあっちのチームでは持て余してます。
私の方が絶対うまくやります!
1人でできないなら、みんなでやれば良いじゃない。
入社後3ヶ月、私の組織作りが始まった。
集まる仲間と足りない自分
当面の目標は私がマーケ戦略に時間を割けるチーム環境を作る事。
まず転職活動で縁を持った某エージェントに、紹介して欲しいメンバー像を明確にブリーフしてから人事に繋ぎ、さらに当時の自分が200%増しに見えるような採用記事も書いた。
同時にISでホワイトペーパー制作を担当していた方をマーケに仕事ごと貰い受け、『コンテンツ担当』というざっくりとした役割を任命し、セミナーやコラム制作など少しでも『企画』と名をつけられそうなものはすべて任せた。加えて業務委託でデザイナーをしてくれていた方にデザイナー兼ディレクターとして入社いただき、非常にヘビーだった自社サイトのリニューアルやデザインディレクション、映像制作までを全て引き継いだ。
この2人は今では会社の2大エースで、私にとってかけがえのない左脳と右脳なのだが、それはさておき、今でも相当根に持たれている自信がある。そのくらいの無茶振りをし続けた。
その後、仕込んでいたエージェント経由で展示会担当となるとにかく明るいナイスミドルを1名採用でき、私のマシマシ記事を読んで『町田さんに師事したい!』と連絡してきた謎の若手デジタルマーケターを1名採用できた。
今現在のHubbleの豊富なオンボーディングプログラムと比べると、この頃はほとんど何もメンバーには教えていない。引き継いだ時点の業務のやり方だけは伝えるが、その程度。
大量の仕事をこなしながら、なんとか形にする中で仕事の型を作っていくことの繰り返し。
加えてマーケティングチームは誰1人としてBtoBマーケティングの経験は無かった。
しかし気付けば強いマーケチームができていた。
振り返って、当時私がこれだけはやると決めていた事は『脳内共有』を大切にすること。自分の頭の中にあるアイディアや意見や悩みをきちんと相手に伝わる可能性の高い何パターンかの言葉にして繰り返し何度も伝えること。
それを私からだけでなく、メンバーからも、さらにメンバー間でもしてもらうことだった。
発信側の言語解像度と受け手側の理解力が試される方法だが、優秀なメンバーが集まってくれたおかげで強いチームになったと思う。
マーケティングチームを組織化していく中で、
Hubbleがどのような顧客のどのような課題を解決するのか、戦略的に没頭して考えることに私の時間を使うことができるようになってきたのは、入社から半年後のことだった。
当時の私たちのメッセージとしては、
・契約業務をミスなく迅速に。
・シンプルでミスのない契約業務を実現できる。
と言った文句の後に、契約書の締結の前から締結後の管理まで一気通貫に行えるので、具体的にオペレーションの中でどのような事を解決できるのかをクリアに伝えていた。
これは間違いではないのだが、あくまでも事象ベースに留まってしまうコミュニケーションが多く、顧客が「お金を払ってでも解決すべき」と思う根本的な問題に根ざしてHubbleの特長を伝える表現が作れていないように感じた。
Hubbleの提供価値を真に伝えるには、これまでのHubbleのメッセージを上書きする必要がある。
しかしHubbleがこれまで発信し続けてきたメッセージがある。
社内にその変化の必要性を認めてもらうためには、当時の私にはまだクレジットが足りない自覚があった。
特に実績も示せていなかったと思う。
そもそも『凡人』である私が入社して半年間でやってきたのは、地道なリードGENと組織作り。
コツコツと短い期間で色々と積み上げてきたので、『努力タイプの秀才』くらいには一部からは思われていたかもしれないが、今までのコミュニケーションを変えるずば抜けた社内浸透力を発揮するには、凡人である私にはまだ足りなかった。
有無を言わせぬ『天才感』が必要だと感じた
悩みに悩んだ、そんな2023年の初夏
私はゴリゴリの金髪にして出社した。
偽りの天才と小さな自分
突き詰めて努力して『秀才』と呼ばれるようになった凡人と、本物の『天才』の区別がつくだろうか。
おそらく周囲はほとんど見分けられないだろう。
しかしシンプルな見分け方がひとつだけある。
金髪か否かだ。
金髪の社会人。
世間や周囲からまずまともな評価はされないだろう。
しかしそのオーラは、周囲の評価なんて気にしない、自分は自分を貫くという圧倒的な主張力を纏う。
世間からの評価を捨てた世捨て人が紡ぎ出すロックな言葉は、まごうことなき自分の信念から生み出された言葉を発している感がある。
だから聞く人の心に刺さる。
凡人である私が
天才に偽装するためのわかりやすい手段
それが金髪だった。
というかまずそんなことしなくてもHubbleのメンバーは話を聞いてくれるのだが、めんどくさい性格の私が当時大切にしていたのは、自信を持てる自己認識だった。
黄金のたてがみを携えた私は、まず感じていた違和感を言語化した。
私たちの事業ターゲットとなる顧客/課題と、私たちの提供価値の微妙な位相のズレだった。
——————
Who = 導入検討者 = 法務の方々
What - 導入検討者が問題解決のために取り組みたい課題 =相談や契約審査のタスクやナレッジ管理による法務業務の効率化
is = 私たちが提供している価値 = ビジネス部門も契約業務に向き合うことで、法務や会社の生産性が上がる。
——————
このWho/What とisが根底では合致しているのだが、
一見すると少し位相がズレており、この位相をジャンプするメッセージが必要であると感じられた。
つまり目下業務課題を抱える法務の方々に向けて、
法務の方々が抱える業務課題意識を引き起こしている問題が何であるかを整理し、その問題の根本的な解決手段として、事業部門の契約業務体験を改善することで、結果として法務の皆さんの生産性も上がる。
こういったメッセージを伝えなければならない。
正直、長い旅になると感じた。
この三段論法的なコミュニケーションは複雑であり、伝え方も工夫と改善を繰り返さなければいけない。
マーケティングチームで何度も議論を重ねたが、マーケティングメッセージとしてだけではなく、セールスの現場でのコミュニケーションも変えていかなければいけないと感じた。
これを成果が出るまでやり遂げられるのか。
スタートアップの時間は限られている中で、世の中がこれを理解してくれるのか。
正直初めは全くと言って良いほど伝わらなかった。
顧客だけではなく、社内にすら伝わらないこともあった。
自分自身でも、何を言ってるのかわからなくなる時もあった。
私がこれまで積み重ねてきた営業やマーケティングの自信は、この時に崩れ落ちたと思う。
その力があれば、すべてを売れると思った。
Hubbleも例外ではないと思った。
しかしかつての私は、わかりやすいものをわかりやすいターゲットに売ってきた、ただそれだけの男であると思い知らされた。
事業と市場のドメインによって勝利を齎されていただけという、シンプルで屈辱的な事実を思い知らされた。
自信のあった私の力は、先人たちの積み上げてきたものでしかなかった。
非常に小さく感じた本当の自分の力
日に日に自分を信じられなくなる
足に纏わりつくねっとりとした感覚
逃げ癖のある弱い自分が、暗闇の底から手を伸ばす。
しかし、私は、やりたいことを、やっている。
応援してくれる家族や仲間がいる。
そもそも難しいのは承知の上だったはず。
やっと出会えた、居場所。
火は、消さない。
私が出した結論。
それは、私がこれまでの私を超えること。
大きな、強く、困難に負けない自分になることだった。
こうして私は『Big Mac』になった。
仮面の戦士 Big Mac
まず、ハンバーガーではない。
-------------------
「おはよう、Big Mac」
「よう、ナゲット。今日はシェイクは来てないのか?」
「シェイクは大阪に出張。ついでにポテトも一緒だぜ。」
-------------------
と某黒の組織よろしくコードネームで会話しているわけでもない。
BigなMachida、略してBig Macだ。
これは社内では「体がデカいから」ということで通しているが、本当はそうではない。
めんどくさい性格の私が自分の中の弱さを排除し、俺は強いと自分に信じ込ませるための魔法の仮面。
本当は小さな私を、タフな戦いに駆り立てるための強さの象徴、それがBig Macだ。
(なお、みんなは「町田さん」としか呼んでくれないが関係ない。大切なのは自分が自分をどう捉えられるかだ。)
Big Macとなった私がまず着手したのは、マーケだけではなく、セールス段階でも顧客の問題解決のための価値観の位相ジャンプを促す試み、いわゆるチャレンジャーセールスに本格的に取り組むことだった。
早川に直訴し、マーケマネージャーだけでなく、マーケティング・インサイドーセールス・フィールドセールスの統括マネージャーも務めることになった。
(ちなみにセールスもやるので金髪もやめた。よく考えたら金髪は社会人としてまったく適切ではない。強さだけでなくTPOも意識できなければBigMacは務まらないのだ。)
Hubbleの目指す世界が、中長期でお客様にどのような業務の変化をもたらすかを伝えることで、お客様の視座を上げるような、強い顧客体験を伴うセールスマーケティングのコミュニケーションを作る。
これを目指した。
しかしいきなりこれまでと違うことを訴求して欲しいと伝えても、それで実際に売れるのかというのが現場の意見だ。
「我々の取り組みは確実に世に評価される」
この自信をチームに醸成したかった。
そんな折、名だたるスタートアップ企業が集まるICCサミットでのプレゼン大会に出る機会を得た。
基本的には創業者がプレゼンするのだが、今回は社員が参加するタイプのカタパルト。
またとないチャンスだと思ったと思った私は、迷わず登壇を決めた。
目的は『圧倒』すること。
ギリギリで勝つのではない、審査員やオーディエンス、Hubble社員の度肝を抜く圧倒的な体験による、圧倒的な勝利。これを目標に定めた。
その様を見せることでしか、顧客体験を重視するチャレンジャーセールスの真髄は伝えられないと思ったからだ。
そして当日。
目論見はうまくいった。
数十回に及ぶプレゼン練習を経て、圧倒的なプレゼンテーションを行い、票数も差をつけて優勝することができた。
誤算だったのはその日は展示会で多くのセールスマーケメンバーがプレゼンを観ていなかったことだ。
(察したコーポレートチームが祝福のコメントをたくさんくれた。うれしかった。)
とはいえ、たった7分間のプレゼンテーションで私たちのサービスの提供価値が伝わり、名だたるスタートアップ各社とのプレゼン大会に大勝利したことで、「執念を持って顧客体験の高いコミュニケーションができれば、私たちの提供価値は伝わる。」この自信が、周囲のメンバーにも少しずつ着き始めたと思う。
営業メンバーとのプレゼンロープレも積極的に行い、私自身も営業現場でHubbleの本質的な価値訴求をお客様に伝え、ブラッシュアップし続けた。
当時はマーケティングチームから「町田さんはもう営業の人で、マーケのことは考えていない」とも言われた。
決してそんなことはないが、めんどくさい性格の私が集めて・脳内共有をし続けたメンバーだ。当然彼らの性格も私に似てめんどくさい。
セールスだけなくマーケでも、訴求開発を継続して行った。
そして、全員の身を粉にした絶え間ないチャレンジにより、23年度の事業計画は達成。
年度最終日の納会中に達成となる受注が出て、皆で歓喜した。
疲れて水しか飲めなかった私は酔ってもいないのに記憶がおぼろげで、全力を出し尽くした実感があった。
本当に嬉しかった。
しかし順風満帆なことばかりではない。
検討者である法務の皆様の目下のニーズをうまくおさえた競合プロダクトも徐々に増えてきた。
私たちが考える本質的な契約業務の姿を伝えることで、一定の勝利は収めていたものの、つまるところ私たちが何を伝えても、最終的に何がベストかはお客様が決める。
競合プレゼンに負ける機会も増えてきた。
毎月減る通帳残高。
そして調達環境が悪化する中で控えるシリーズB調達の期限。
そんな中で迎えた24年初夏の全社会議。
この時、事業責任者となっていた私は腹を割ってチームの仲間に伝えた。
『普通』をやめよう。
時代に逆行した仮面のマッチョイズム
普通にやったら達成できない高い目標がある。
しかし達成しないと事業が存続できない。
では達成するにはどうしたら良いか
答えはシンプル。
それまでの『普通』をやめれば良い。
高い事業計画を達成できる、高い成果の出るやり方に変えたら良い。
それまではフルリモートもOKだったが、明確な出社回帰もした。
改めて書いてみて、なんと時代にそぐわない発言だろうか。
パワハラと訴えられてもおかしくない。
一見無理な高い事業計画にチャレンジするために、既に頑張っているメンバーに向けて、もっと頑張ることをお願いした。
リーダーシップ会議では退職者が出るリスクについて言及されたり、強引ワンマンな意思決定と言われることもあった。
しかし私の中には、これですべてがうまく行く感覚があった。
そしてそれから数ヶ月。
私のチームから一人も退職者は出ることなく、
会社はwifiが繋がらなくなるくらい社員で溢れていた。
セールスは朝から晩まで、「やるか、やるか、やるか」と念仏のように唱えながらオフィスのど真ん中でノイキャンフル装備で商談を行い、案件の状況をリアルタイムで社内に届ける。
インサイドセールスも月の半分は展示会で日本中を走り回り鬼のように商談を作るアウトサイドセールスと化した。
マーケティングも新たに、三顧の礼で入社してくれた大企業法務出身のマーケターや、私の右腕3本分の働きをしてくれる兼務の鉄人が加わり、リードGENにとどまらない、受注を作るための企画やコンテンツ作りに精を出した。
CSも、開発も、コーポレートも、他のチームも、ものすごいスピードと対応力でこの機運を支援してくれた。
仲間の力が、Hubbleを次のステージに連れていってくれた。
私の尊敬するHRマネージャーの名言がある。
「スタートアップにチャレンジする人は皆、心に傷を抱えている」
それまでの人生における傷ついた経験、満たされなかった経験、悔しかった経験。
何かになりたい、何かを変えたい、何かを成し遂げたい。
私がそうであったように、様々な想いを抱えて入社したメンバーが、事業の成長だけがその傷を癒す方法だと信じ、全員が必死になって狭いオフィスで日々自分の限界を超えるチャレンジをする。
スタートアップの急速な事業成長は、そこでチャレンジする人の『心の修復力』によって成し遂げられるのではないか。
そう思わされた。
もはやBig Macは私1人ではなかった。
チームのみんなが高い事業計画のために、各人の成し遂げたい想いのために、苦しい中で踏ん張って、強い自分になるためのBigな仮面をつけてくれた。
時代に逆行したマッチョイズムの中でプレイする主役となってくれたのだ。
シリーズB調達と使命
最近はBig Macの仮面を少し脱いでみることもある。
周りのみんながBigで頼りになるので、そういう機会も作れるようになってきた。
小さな素顔の自分にも、少しは自信がついたかなとも思う。
先日、ICCのプレゼンで優勝した賞品として招待いただいたチャリティーディナーで、ジャパンハートの吉岡先生のご講演を拝聴した。
東南アジアを中心に小児がん手術などに30年ほど取り組む吉岡先生は、貧困と大病に苦しむ子供たちへの治療奉仕活動にご自身の命を使いたい、それがご自身の『命を使う方法』、つまり『使命』である、とお話されていた。
『使命』
限りある人生における、命の使い方。
一緒に働く仲間。
忙しいスタートアップで働く私たちを支えてくれる家族。
私たちに期待してくださる投資家の皆様。
事業成長という目標に向けて、みんなが貴重な人生を、命を使ってくれている。
非常に重いものを、私たちの事業は背負っている。
電通やAmazonにおいて、圧倒的な顧客への営業体験を重視して来た自分の力があれば、マーケティングを考え抜いてきた自分の力があれば、Hubbleを売れる、事業を成長させられると思って入社した。
その力があれば、すべてを売れると思った。
でも、そうではなかった。
毎日うまくいかないことが多くて、苦しくて悔しい。
自分を信じて任せてくれるボードメンバーや、ハードワークを厭わず一緒に働いてくれるチームメンバー、持病を抱えながら小さい子供3人の世話を一手に担ってくれている妻。
結果が出せなくて、自分を情けなく思う気持ち、周囲への申し訳ない気持ちが強い。
しかし嘆く暇があるなら、常にチャレンジをしなければならない。
みんなが使ってくれた命への責任が取れる事業を創る。
責任とは、早く大きな事業成長という成果を返すこと。
それが、事業責任者である私の使命。
Hubbleが成し遂げるべきは、ビジネスの前線に立つ人たちの契約に関する課題を根本から解決すること。
そのための手段として、私たちの掲げる「事業部門の契約情報へのアクセス性を高める」というアプローチに共感してくださるお客様には、法務や事業部門など部署問わず既に非常に好評いただいており、一定のマーケットを築けている。
しかし今後私たちは一層「早いスピードで」「大きな」事業成長をしていく必要がある。
使命のために、今の手段は正しいのか、常に頭を悩ませる。
たとえば基本的に企業規模が大きくなるにつれ、各部門の業務は専門化していく。
これは契約書についても例外ではなく、例えば「契約書を詳しく確認する」というプロセスすら、「取引における全体の業務実態を踏まえた最適解」としてビジネスサイドから切り離されてしまっている企業もたくさんある。
そんな企業のビジネスの前線では、契約情報を使う機会は無いのか。
私たちは無価値なのか。
使命は果たせないのか。
断じて違う。
取引の合意を示すための手段である契約は、姿形を変えてでも、必ずビジネスシーンで必要になる。
私たちは固定概念化された契約の在り方すら変えて、マーケットを作っていく。事業を成長させていく。
そのためには手段は問わない。
大切にするのは、圧倒的な顧客理解。
より詳しく私たちの事業のターゲットとなりうるお客様を理解する。
お客様企業・部署の歴史の中で培われた業務実態の背景や、お客様各個人のアカウンタビリティへの解像度を上げていくことが重要で、それこそが真の顧客理解であると私は考えている。
そこまでやって、事業として果たすべき使命を全うできる。
そしてその先で、今回のシリーズBを迎えるにあっての投資家の皆様はもちろんのこと、仲間や家族のかけがえのない支援に応えられると信じている。
求む男子。
至難の旅。僅かな報酬。極寒。暗黒の続く日々。絶えざる危険。生還の保証なし。
ただし、成功の暁には名誉と称讃を得る。
南極探検隊のような端的で魅力的な求人コピーが書けたらどれだけ良いだろう。
この記事も、せっかくの機会なので求人を意識して書こうとしたが、結局のところまとまりのない長文でしか自分の脳内を共有できない。
そんな私が
この船で一緒に戦ってくれている仲間へ
これから乗り込んでくれる仲間へ
今、言えること。
数多の困難を乗り越え市場を開拓し、私たちのこの真に価値ある事業を今よりずっと大きく成長させた未来において、仲間に約束できることは、ひとつだけ。