考えることを考える。思考の同心円的な話
毎日数字を終われる生活から避難できる、それが年の瀬。
ただこれはあくまでも避難であって、取り組むべき問題がなくなるわけではない。期末はすぐそこまで来ている中、年明けのDay 1から全力で問題に取り組めるように準備は欠かせない。
しかし避難所でしか考えられない話もある
今日はそんな話。
人間の思考は、無数の点で構成されている。
そこには中心点と点の集合(同心円)がある。
たとえば中心点は「仕事」「家庭」「自己成長」など、考える対象となるテーマそのもの。
一方で点の集合である同心円は、中心点であるテーマを取り囲みように多層的にできており、そのテーマに対する思考の深さや解像度を指す。
同心円のモデルでは、中心点を軸に外側へと広がる円ほど思考が深まる。たとえば、「仕事」を中心点とした場合、超シンプルな一例を書くと、
・最初の円:具体的なタスクや短期的な課題に関する思考。
・中間の円:チームやプロジェクト全体への影響を考慮する視点。
・最外層:そのテーマが持つ社会的、哲学的な意義にまで到達する。
みたいなイメージ。
対話の際に心理的に満たされるかどうかは、中心点が共有され、同じ円で話せているかにかかっている。
一方で、満たされないと感じるのは、たとえばこんな感じ。
・中心点が異なる→自分が「仕事」をテーマにして話しているのに、相手が「家庭」をテーマに話していると、会話がかみ合わない。
・同じ円にいない→自分が外側の円で深い話をしているのに、相手が浅い円にとどまっていると物足りなく感じる。一方で、逆の場合は「ついていけない」という感覚が生じる。
これが、ある1つのテーマに対して集合した人たちが、新しいフェーズでも共にいれるかどうかの分岐点になるケースも多分にある。
基本的に1つの課題を解くために色々な人が集まるスタートアップも同様だ。
次のステージでもついていくために、外側の円に進むことは簡単ではない。それは、単なる努力ではなく、自己を超える覚悟と変化の痛みを伴うからだ。
まず、自分が持っている考え方の限界や浅さを直視し、それを否定する勇気が必要だ。「自分の信じている常識」とを捨て、新しい視点に飛び込む覚悟が求められる。より外側の円に進む過程では、自分の未熟さを思い知らされる瞬間が必ず訪れる。自分だけでは見えない視点や課題を、対話の中で気づかされることがある。深い対話は、自分の限界を超えるための触媒だ。
「ついていけないからついていかない」のはもはや許されない。
その先も同じ集合体に居続けるためには、ついていくしか、ないのだ。
その苦しいプロセスの先で、「円のジャンプ」ができる日が、ある日突然訪れる。
リーダーは、チームメンバーが円を広げ、より深い思考に進むためのサポート役だ。ただし、それは単に「引き上げる」ことではない。
まず中心点をはっきりさせる。さまざまな中心点の思考の円折り重なることでも局地的に取り組めることはあるだろうが、それだけではサステナブルな成長をチームにもたらさない。時に冷酷でも、自分たちの中心点はこれであるというのを明確に指し示す必要がある。
そして、チームメンバーが外側の円に触れられるよう、問いを投げかけ、深い対話の場を提供する。
この環境の構築は容易ではない。
なぜなら位置する同心円が近い世界線上であるケースならまだしも、そうでないメンバーがいるケースがほとんどであり、すなわちその場合は相手のいる遠い同心円世界線に一度踏み込んでサポートする必要があるからだ。
よく「小学生から私立に行くのではなく、小中学校は公立でいろんな奴と交わった方が良い」みたいな話のルーツの1つは、このあたりにある。
また残念ながらリーダーよりもメンバーのほうが外側の同心円にいることもある。その場合はリーダーは自分で外側の円へジャンプできなければ、メンバーから見限られる未来が必ず訪れる。
真のリーダーは、メンバーとの対話を通じ相手の同心円の世界線を感知し、自分が位置する円から内にも外にも幅広くジャンプできなければ務まらない。
同心円を広げることは、簡単な作業ではない。それは、自分の限界に挑み、変化を受け入れる覚悟を必要とする。
挑戦しなければ、待つのは取り残される孤独な未来。
しかし、その挑戦を続け同心円ジャンプを遂げた先には、新しい世界が待っている。
やるか、やるか、やるか。