転調は体と心に影響を及ぼす可能性がある件について
今回はアンケートでも投票率が高かった転調についての記事にしました。
タイトルが「転調は体と心に影響を及ぼす...」なので最初に説明しておきたいのですが、医学的な見知に基づく記事でも専門家が調べた研究結果でも何でもありません。単なる個人の感想・思いつきです。「一人の人がなんか言ってるな」くらいに読み流して頂けたら幸いです。
では、まず主題の転調とは
音楽において、曲中で調を変えること。
言語学において、音節の結合により声調が変化すること(連続変調)。
音楽には長調(Major)と短調(Minor)という調があり、簡単に言うと明るい曲調と暗い曲調があります。転調というのは、最初暗い曲だったのに途中でいきなり明るくなる。または逆に最初が明るくて、サビで暗くなる。そういうアップダウン、躁鬱、メンヘラのことを指します。
ピンと来ていない方は...
Spotifyやyoutubeで海外の楽曲を聞いてみてください。多くの曲が終始同じ調で最初から最後まで暗い。最初から最後まで明るい。構成の曲になっていると思います。
そして日本の楽曲を聞いてみてください。近年日本でも同じ調の曲も増えてきましたが、1990年-2010年くらいの楽曲まで遡っていただけたら最初は明るいのに途中で暗くなる、最初は暗いのに途中で明るくなる曲を聞くことができると思います。
もしくは暗い・明るいでは言い表せない浮遊感というか、気分が変わる曲に出会うと思います...出会わなかったらすみません。
なんとなく転調というか、日本の楽曲と海外の楽曲の違いを掴んで頂けたでしょうか。乱暴にいってしまうと
・曲の印象がずっと同じで退屈な繰り返し。ループ感[海外]
・ジェットコースターかな?Aメロ-Bメロ-サビ全部コード違う[日本]
定義が長すぎる気もしますが....転調についてはこんな感じでご共有お願い致します。その転調の何が問題なのか?これからは日本に於ける転調の闇について記述していきたいと思います。
転調の闇
日本国内に転調使用者は何人いるのでしょうか。若者から大人まで手軽な転調に手を出してしまっている現状。私たちの生活に自然と溶け込んだ転調。我が国における転調乱用の状況は深刻です。転調ばかりの状況という現実に気が付いて以来、日本を憂いています。
転調の恐ろしいところ、それは我々の生活に溶け込んで意識できないレベルで入り込んでいる。ほぼ日本人全員が摂取している。というところでは無いでしょうか?
音楽を聞く人なら、ほぼ99%。転調した楽曲を聞いていると予想されます。「日本の楽曲は聞かないようにしています。」「テレビも観ないようにしていますし、ネットでも日本の楽曲が流れると消しています」という方以外は転調した楽曲を耳にしているのではないかと思います。
一般の人も「転調って何?」っていうレベルで意識していないのでは無いでしょうか?
ではその自然に溶け込んだ転調の何が問題ないのか?
シンプルにあげていこうと思います(個人の妄想、決めつけです)
①1曲聞くだけで気分を上下させられてしまう
②明るい曲を聞こうとしたら途中で暗くなっていた
③メロディーや曲が良くなくても転調のお陰で最後まで聞けてしまう
④最後の方でキーが半音高くなって張り上げた頑張っている歌を聞かされる
深刻ですね。箇条書きにした時点で日本転調協会のメンバーに怒られてしまいそうです。早速一つずつ解説していきましょう。
①1曲聞くだけで気分を上下させられてしまう
音楽には人の感情を変化させる機能があり、生活のシーンで気分を変えるために使っている人も少なくないと思われます。朝、出勤するときテンションを上げるために元気でアップテンポな曲を聞く。嫌なことがあったり、スカッとしたい時に怒りのエナジーがある曲を聞いてモヤモヤを吹っ飛ばす。失恋して悲しみに浸りたい、もしくは泣いて忘れたい時に切ない曲や寄り添ってくれる歌詞を探す。
特別音楽が好きな人じゃなくても、音楽を活用しているのではないでしょうか。
その音楽に使用されている転調の何が問題なのか。
例「朝、元気を出すためにハイテンションな曲を聞くとします」
イントロは何かが始まりそうな予感、ワクワク
↓
Aメロは明るくなれる歌詞と軽快なサウンド。
↓
Bメロは突如トーンダウン、少し暗くなり、サビに向けて落ちます
.......いやいや何してくれてんねん!と。
自分は終始明るくしてくれよと!思っちゃいます。
盛り上がらないサビの為に、恣意的に落としてるのかもしれません(妄想)
音楽を選ぶ時に思い出すのは、一番印象的なサビ。そのサビが明るかったら頭の中の明るいカテゴリーに入れて「よしあの曲聞こうと!」実はBメロが暗くなるなんて覚えてないわけです。途中でいきなり違うの混ぜてきて詐欺かな?と思っちゃいます。
ラーメン食べたくて注文して美味しく食べてたら、ラーメンの底からパンでてきたような。ラーメンの気分だったんだけどっていう。
曲やアーティストが多くなかった時代ならまだしも、ストリーミング全盛期の今はカタログもジャンルも膨大な量があるわけですから、1曲の中にいろいろ詰め込んだ幕内弁当やコース料理である必要は無いわけです。
音楽雑誌の楽曲レビューで
・おもちゃ箱をひっくり返したようなサウンド
・ジャンルを超えたバラエティ豊かなサウンドが融合し、化学反応...
というのを見るたびに、ひとつの味で勝負できないのかな?(妄想)
これもう途中から違う曲じゃん(決めつけ)
止めておきましょう.....
明るい曲を選んだつもりが、暗いパートも混ぜられてしまいます。
という話でした。自分はとにかく落ち着かないです。
※「②明るい曲を聞こうとしたら途中で暗くなっていた」も重複しました。
③メロディーや曲が良くなくても転調のお陰で最後まで聞けてしまう
これはどういうことか。海外の楽曲を聞いていて気が付いたことがあるのですが最初から最後まで同じ雰囲気のループ、コード感なのに飽きないなと。
おそらく「HOOK(J-POPでいうサビ)で歌のキーが1オクターブ上がり盛り上がる」からなのでは無いか。筆者はそう考えています。
VERSE(Aメロ)は淡々と低いキーで歌っていき、BRIDGE(Bメロ)でサビへの期待感をビルドアップしていき、HOOKで声を張った感情豊かなパートに展開していく。
海外のシンガーやアーティストは歌が好きな人が多く歌唱できる音域が広いので、2オクターブ以上の音域を使ってメロディーを自由に動かせる楽曲を歌っている。ということでは無いかな?と思います。コードや調がずっと同じでもメロディーや声の質感変化でバリエーションがついて飽きさせない楽曲ができている。
では、日本の場合はというと歌の上手く無い人、音楽が好きじゃ無い人も楽曲をリリースすることがあり、歌唱者が歌えるようにメロディーの幅を狭くする必要がでてきます。2オクターブ超やファルセットの出てくる楽曲を作ると「歌えないので音域を狭くしてください!」という非常に音楽的では無いNGがでてしまいます。
その音域の狭さによる音楽的貧しさを回避しながら楽曲を制作する方法として活用されているのが「転調」でございます。AメロBメロサビと転調を多用することによりメロディーの音域は狭いながら高揚感・上昇感・下降感をコードで展開していきます。詳細については省略しますが「転調」でgoogle検索いただけましたら詳しい方のBlogなどがありますのでご参照ください。
音楽的本質であるはずのメロディーの良さ。シンガーの声質、表現力。歌詞のメッセージ。パーソナリティ。それらの要素が不完全であっても転調で「物語を進行した感」「意外性」で飽きることなく聞けちゃう。ってことがあるよって話でした。
転調も含め音楽的本質と言われてしまえば「ああそうですか」としか言えないのですが、楽曲の稚拙さ・表現力の低さを誤魔化し隠蔽するための転調してるのではないかな?と。 ......消されてしまいますね。
④最後の方でキーが半音高くなって張り上げた頑張っている歌を聞かされる
これは闇ですね。闇でしかない。
3回目-4回目のサビだけキーが半音上がった曲。
曲の最後の方に強引にテンションが上がる曲。です。
何故、このような転調をするか?ということを予想すると
5分台の曲にしたい※理由は書きません
「3回サビ聞いたら飽きるから最後だけ雰囲気ちょっと変えましょう!」
いやいやいや!飽きるサビを作って何度も聞かせてくれるなよと!ストリーミング全盛の時代なので、ユーザーがスキップしたり主体的に聞いています。繰り返したら飽きるサビなら2回にして2分台にしませんか?冗長な楽曲を強制的に5分縛ることで他の曲を聞ける時間を奪っています。
おもてなしの精神・競争から生まれる過剰サービス
「他の曲に負けないように!やれることは全部やっておこう!よし転調!」
みんながやってるからなんとなく。ってやつですね。
機能やサービスがメチャメチャ多かったら満足するって訳じゃ無いんです。楽曲の本質にフォーカスしておまけはほどほどにしません?
眉間に青筋立て頑張って歌っているシンガーを見せたい
頑張っている人を応援するのが好き。そういう人多いですよね。
「がんばれー!!!!!!!!!!」
能力の高い人がサラッと努力した成果を結果発表するより、未熟な人が頑張って高いところを目指すのを見る・応援するのが日本のエンタメでは多いような気がしてます。できそうで、できないところの過程を鑑賞する。
小学校や幼稚園の運動会・学芸会を応援する親の気持ちというか。組体操でピラミッドを耐える顔を鑑賞して「努力は美しい!!!」的な。
転調もその仕組みと同じなのかなと思います。
・シンガーの一番いい声がでる音域のキーで曲を作る
↓
・そのキーから半音あげて歌ってもらう
↓
・高くてキツいから不安定で頑張ってる雰囲気になる
やはり闇ですね。
シンガーやアーティスト自身が自分で曲を作って、後半転調したいよね!って心の底から思って転調するのはいいと思います。でも作家が提供した曲を聞いてプロデューサーが「転調しておこう」だとか、なんとなく皆んなやってるから...という理由で転調を強要されるシンガーはかわいそうです。マネキンというかピエロみたいで。
アーティストもライブツアーなどの大勢の前で歌唱する際に「この曲の最後、キー上がるんだよな。今日は大丈夫かな、歌えるかな」とメンタル・身体ともに負担が掛かるのは予想できます。10数公演x転調曲でどれだけの負荷になるか。アーティストは一人の人間であり、消耗も織り込み済みの製品では無いはずです。
以上が転調の闇。問題についてでした。
まとめ
音楽は娯楽として人間に楽しまれてきた訳ですが、音楽を聞くことで心と身体にどのように作用するかは明らかになっていないと自分は思います。転調について長々と書きましたが、クラシックが誕生した時代から転調はありました。しかしクラシックを聞くには演奏会など人間が演奏する場所に行かないと聞けませんでした。繰り返し聞く回数は有限。
そして蓄音機からレコード、テープ、CD、スマートフォンと繰り返し聞けるメディアが登場して30年くらいしか経っていません。スマホやPCなら100回以上連続で「転調を繰り返しながら様々な言葉・考え」を耳から摂取することが可能です。
果たしてそんなに毎日アップダウンしていいのでしょうか?半強制的に楽曲の中で無意識的に気持ちを変化させて問題ないのか。
文献や資料はありませんが、自分は精神的な影響を受けないようになるべくネガティブな言葉と暗い曲調+明るい曲調を繰り返し聞かないようにしています。できるだけ出会わないように過ごし、出会ったらスキップしてます。
海外の楽曲にも転調はありましたし、ビートルズも転調は使用しています。でも近年のグローバルチャートを聞いている限り転調する曲は少なく、2分-3分台で曲ごとに気分を変える楽しみ方に変化していると感じています。
以上の主張は、科学的根拠も無く一人の音楽好きの思ったことに過ぎません。そういう人もいるんだな。くらいに留めておいていただけたら幸いです。
この記事を書く後押しにもなった感銘受けた言葉がありまして
そちらも最後に引用させていただきます。
山中伸弥教授「今よく言われるのは『エビデンスはあるんですか』と、これはエビデンスを待っていたらいつまでも対策はできない。人類初経験エビデンス何かどこにもない。その間何もしなかったら手遅れになる」
自分は山中教授の様に研究者でも無く、頭も良いわけではありません。でもエビデンスが無い主張は意味を無さ無いという近年の風潮では議論が生まれないし、活発な意見交換ができないと感じています。
もしかしたら?ということを考えながら掘り下げていくことは悪いことじゃ無いと思います。今まで行われてきた慣習を繰り返す思考停止の方が危険だと。ただ、自分の考えていることが間違っていたり、発表することで音楽業界に悪影響が生じてしまった際には真摯に受け止め記事を取り下げさせていただきます。現段階では個人の感想、議論・意見交換くらいの段階だと思いますが。
以上結論としては、転調は精神と体に影響を及ぼすかもしれない。
そういう記事でした。思春期の感受性が豊かな若い方は、特に繰り返し聞く歌詞や音楽による気持ちのアップダウンにお気をつけください。