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09.World Is Wide

初めてのオリジナル曲をインターネットに公開してから一週間。
SNSや音楽プラットフォームから数々のフィードバックがあった。
昨日に続いて、またStory WriterのカバーがSound Cloudにアップロードされた通知が届く。

Miki "Story Writter" Cover by CircusP
アイコンをクリックしてtwitterのアカウントをチェックしてみると..
CircusP?アメリカのクリエイター??

「アメリカにもVOCALOIDで曲を作っている人がいるんだ...」

※当時作っていた曲を再生しながらお読みください

Billboard TOP40等の洋楽は聞いていたけど、アメリカやヨーロッパのアマチュアミュージシャンの曲を聞いたことが無かったし、英語のTwitterアカウントを閲覧したりメンションを貰うことも新鮮だった。


「世界中に自分みたいに音楽を作っている人が沢山いるんだなあ」


今みたいな翻訳能力ではないGoogle翻訳とWeblio翻訳を使いながら、英語での交流を初めていった。「awesome?」どう言う意味?ニコニコ動画の「うぽつ」や「わこつ」と同列に英語の文化にも触れていった。「pretty good」のニュアンスも最初は[可愛い]という意味だと勘違いしていた。

多少意味が通じなくても、細かいことは気にしないで臆せずに交流の回数を重ねていった。VOCALOIDと英語歌詞の楽曲という共通点だけで国籍関係なくリスペクトしながらメッセージのやり取りをできたのは幸せな時間だった。


2013年インターネットで世界の人々と繋がる環境は整っていた、でも自分が実際に繋がることはなかった。国内の人のタイムラインを眺め、ジャスティンビーバーのアカウントをフォローしないで「ジャスティンビーバー日本語アカウント」から新曲の情報を得ていた。

ドメスティックから一歩だけ飛び出す...
新音イフ、VOCALOID、英語歌詞、音楽
その4つの要素が世界と繋げてくれた。

世界と繋がれる感覚を信じて、楽天的に過ごしていた時期。
今となってはGOLDの価値があるように思える。
何も持っていなかったし、何者でも無かった自分。
でも未来の可能性を信じて、自分自身が輝いていたのだ。
そして世界中に星のように輝いていた仲間がいた。


言語も文化も肌の色も違う。
信仰している宗教も、考えていることも違うはずだし
歴史的にどこかの時期では仲違いをしていたかもしれない


音楽と英語とVOCALOIDが、全てを忘れさせてくれた。

情報を交換し、自分の知らない文化を教えてくれる。
そんな素晴らしい相手の国の景色や、文化に思いを馳せた。


日本国内の音楽シーンからは「不要の烙印」を押されたMISAKIも
日本を一歩抜けると「自分を必要としてくれる人がいた」
自分ってまだ存在していいのかもしれない...救われた気がした。


海に囲まれた日本に住んでいると、国境を超える機会は少ないし、
自分の所属している学校、会社、地域、都道府県の存在は大きかった。

日本で産まれ、日本で育ったMISAKIにはその状態が当たり前だった。
「海外では〇〇らしいよ、日本でも良くないところは改善されたらいいのに」って提案すると

「そんなに日本が嫌なら出て行けば?」って言われてしまう。
建設的に議論して、良くしていきたいだけなのに。
違う意見があれば聞いてみて意見を交換してみたい。

でも、何かを積み上げる。違いの中から新しい価値観を発見する。
違いを楽しんでいく。そういった会話をすることは日本にいると難しかった。

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