方言のはなし

よく周囲の人と出身地の話になるのですが、

私「大阪出身です」
相手「全然関西弁でないね!」
おもしろいくらいに皆、提携文句のような反応をしてくれる。

幼少の頃から私は大学を卒業するまでの22年、関西で育ったけど
両親は福井出身でその両親は高校卒業を機に県外に出る、という家庭で育った。
そのせいか、実家では(たぶん)標準語で話していて、
家では方言のない生活だったからかもしれない。
よく母が実家に帰ると、一瞬にして福井弁に変わるのを目撃しては、その切り替えの技術に驚いていた。お盆や年末年始など、年に数回集まる祖父母宅では私もいつの間にか福井弁に切り替えるというその技術を母の真似をし習得して、親戚に合わせて会話をしていた記憶がある。

方言といえば小学生の時に仲良しだった なおちゃんが転校した時も驚いたことがあった。
彼女は小学5年生の時に大阪から東京へ転校してしまった。
まだmixi、twitterの全盛期がくる前、私たちはハンゲームでずっと繋がっていて、たまに連絡を取り合ってはいつか会いたいね、と言っていた。そうして、中学2年生の時に、原宿で再会した時にはすっかり標準語のなおちゃんになっていた。それに加えて、彼女は私と話していても全く関西弁につられないのだ。そうなると私もなんだか、音が取りづらくなって、いつのまにかなおちゃんに合わせて標準語で話すことになっていた。
生まれてから小学5年生までの11年という年月よりも、小5〜中2という4年間の月日の濃密さに、なんというか、大事なものを持って行かれてしまったような気持ちになりちょっと寂しくなったりもした。

こうした経緯もあって、自分の生活の中で方言というアイデンティティについて考えることが多いけど、私は関西弁・福井弁・標準語が話せるので、方言のトリリンガルなのでは、と思っていた。そしたら、たまに似ていると言われる芸能人もテレビでまったく同じ発言をしていたらしいということを知った。その人は関西出身でバイリンガルと言ってたそう。思考回路まで同じらしい。

最近関西弁を話している自分の方が、好きなことに気づいた。多分心から落ち着ける人と一緒にいる時に、関西弁が出るのかなと思う。

年が明けてこの2020年を良い年にしたいという人がなんとなく周囲に多いような気がする。「良い」の中身はそれぞれと思うけど、年末には少し成長して笑っていられる1年にしたいものだ。

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