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I&Iってさ
I&I
改めて文字で打ってみると独特な顔文字に見えた。
^ ^ とか (·∀·) みたいな。
このI&Iという言葉は僕が携わっている音楽、レゲエやジャマイカでよく使われる言葉。
この言葉の話をするにあたってググって少し調べて「自分は物知りです。」感を出そうかと思ったのだが、なんか良く見せようとしてる自分がむず痒かったので自分の知っている感覚だけで書こうと思う。
I&I
「アイ&アイ」と書いて発音でいうと「アヤナイ」が一番近い。
ジャマイカに住んでいる時も良く聞いた言葉。
誰が言い出したのかは知らないけど多分ジャマイカ人だと思う。
彼らは会話の中から新しい言葉を作って、それを使うのが上手い。
新しく生まれた言葉が島中で一気に流行し、気がつけば消えていく。
そんな中で残る言葉もある。
「そう。それが I&Iだ」
知らんけど。
普通に言えば YOU&Iと同じ意味。
アナタとワタシ。君と僕。
でも直訳すると「ワタシとワタシ」になってしまう。
自分のことばかり考えてる様に聞こえますが意味は逆。
自分以外の人間を自分の様に感じる、考える。
自分以外の人を、自分の事と同じ様に考える。
全速力で水たまりでコケた人を見て。
発狂してしまいそうな悲しみの中に居る人を見て。
馬鹿にすることなく自分に置き換えて考える。
痛みも喜びも、自分と同じ様に分かち合おうという考え方。
皆がそういう気持ちで生きれたら素晴らしい世界になると思う。
んーーーー
が。
しかし。
僕は気づいてしまった。
何故こんなにも素晴らしい考え方があるのに、未だに人々は争い、比べあい、傷つけ合うのか。
その心理に気づいてしまった。
では話そう。
さっきまで言っていた考え方はあくまでも一方通行であり「自分が誰かに優しくする」という、どこか上から目線的な「悟ってますねん」的な、「人に優しくすると若干 HIGHになって気持ちええわー」的な、偽善までは行かないものの、何だか波が寄せてるのに返していない様な不自然な感覚に襲われた後、僕は気づいてしまった。
そう。
自分を他人の様に考える。
逆のこっちも必要だと。
自分を他人みたいに考えちゃう。
それは究極の無責任。
「どう責任を取られるのですか!〇〇に対してどう対応されるつもりですか!」パシャーパシャー。
「すいません。なんかよく分からなくなって来たので誰か続きお願いしますね。」
これしかない。
いやいや。
それはダメだろって一瞬思ってしまうけど。
結構必要な事だ思う。
気がつけば責任責任。
全員幸せになる為に、生まれてきて、その為に社会があるのに自分達でルールを設け過ぎて、禁止、マナー、モラルに苦しめられてる。
社会のための生きてるわけじゃ無いはずなのに。
謝罪会見って何やねん。
自分なんて所詮、地球に生まれて、その内適当に死ぬ様な小さな存在。
どうなったってどうって事ねぇだろ。
代わりなんて全然いるいる。
何の責任も取れないし、幸せになる権利はあるけど別に幸せになる為に必死になりもしない。
夢なんか別に必要無い。
社会の歯車バンザイ。疲れたら休みまーす。
そんときは誰か代わりお願いしまーす。
そう。そして
その無責任適当人間、別名パーフェクトフューマンが、他人を自分の様に感じ
「無理しなやー」
って言った時。I&Iは完成するのかもしれない。
今、僕達に必要なのは I&Iだ。
間違いない。
知らんけど。
いつも読んでくれて有難うございマウス。
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