𝑩𝑰𝑮𝑳𝑶𝑽𝑬 ー愛ー
私には𝑩𝑰𝑮𝑳𝑶𝑽𝑬な恩師がいます。
その人はCM界で1番面白いコメディ特化型のCM監督なのですが、出会いは引くぐらい"無視"された事から始まりました。
ある学生アワードで受賞した時にいた"その人"は当時の私も気になる監督で、受賞会場で真っ先に見つけ我先にと話しかけました。
しかし声が大きい事に定評があるはずの私の呼びかけに全く応じず、存在しないかのように目も合わさずドライブスルーかのように目の前から消えていきました。
そして私の目の前でグランプリだった子に話しかけて名刺を渡していました。
その時の景色は鮮明に覚えています。
ポチッと私の追っかけスイッチが入りました。
その後無事彼と同じ会社に入社したのですが、私はディレクターではなくPM採用で、一応1年の最後にクリエイティブテストがあり合格したらディレクターになれるというシステムでした。
2回目くらいの案件でPMとしてついた時に妖怪の声で立候補して笑わせたり、イベントで率先して質問してはガン無視されたりと何回か接触のチャンスはありながら"振り向かせたる"と躍起になっていました。
物理的なアピールじゃ振り向かないと思ったので"私は絶対に面白いです"とファンレターならぬファン企画書を送りまくり、よそよそしくもしっかりコメントを返してくれたのを覚えています。
社内で死ぬほどアピールをしていた甲斐もあってか、懇意にしてもらったcdが同じ企画打ちにプランナーとして呼んでくれたこともありました。
その時に出した"志茂田景樹がトイレから出てきてラップする企画"に笑ってくれたのが記憶に残っています。
BOOKOFFの心くんの撮影にも呼んでくれました。集合が朝の5時で、始発が無いため近くの吉野家で5時間くらい待機していたのですが、"バカだな"とガン無視期からは想像出来ない顔で優しく笑ってくれました。
それが多分入社1年目の冬です。
なんやかんやありテストに合格し晴れてプランナーになった2年目の春。
コロナが直撃し暇になった新人を集め、社内のディレクタービック4がそれぞれ課題を出し審査するというプチコンペがありました。
彼のお題は"CMコンテで笑わせろ"という だよね。なお題でした。
この時はもうCMというよりギャグ4コマの感覚で出したのですが、それが彼に受け、"ぶっちぎりでオモロイ"と言われました。
コンペ後個人チャットが飛んできて"お前昔のオレみたいだな"と漫画でしか聴いた事ないセリフを言われて爆上がりした記憶があります。
こうしてファンとして追いかけて、たまに認めて貰って、でも直接関わりがなくて、を繰り返した2年目の夏。
会社が分裂するという面白事変に巻き込まれました。
大体のクリエイティブは違う会社に移転する事になり、新人の私もそっちに移動になるのかなとボーッと過ごしていると彼が呼んでくれて、クリエイティブとしては異例の残留になりました。
直接は言われてないですが、裏で"あいつは弟子だ"と言っている情報を聞きつけました。目つきが鬼のように悪い似顔絵も書いてくれました。
正直自分の底を知られるのが嫌なので、ファンでいたかったのが本心です。
2年かけて振り向いてくれた事の喜びと弟子に昇格した荷の重さで心は複雑でした。
そのあと1年間、鳴かず飛ばずであの面白大臣の弟子と名乗るのが恥ずかしくてしんどい時期がずっと続いてました。仕事がなく、毎日首を吊ろうと考えるか酒を飲むかの恐ろしく腐っていた時期もありました。
お前ダントツ面白かったのに、どうした?と心配されたこともあり、そうなんです。私つまらないんです。死にてー死にてー。ばっかり言ってました。
でもそんな3年目の最後に挑んだコンペで師匠が審査員に入っているのですが、"お前がぶっちぎりで面白い"とまた言ってくれたのが心の救いです。
年1ペースでしか"ぶっちぎりで面白い"と言われませんが、師匠の"ぶっちぎり"が1番嬉しいです。
まだまだお笑い王には程遠いですが、いつか師匠を超えるお笑い王になれるように頑張ろうと、また一歩踏み出せました。
人生を変えてくれる人って本当にいるんだなと思いながら、我豆腐メンタルディレクター、邁進しようと思った今日この頃でした。