知の巨人、大学教授の伝家の宝刀
僕には二歳離れた弟がおり、先日3時間ほど街をひたすら歩き続けるという企画を行った。ファミレスで延々と会話する高校生と同じノリだと思う。多動な我々は会話中も動き続けなければ死んでしまう、いわば陸のマグロなのである。弟との会話の中で「価値観が変わった経験があるか?」と聞かれたので、その解答を日記に残しておこうと思う。
僕の価値観が変わった経験は、大学の教授との出会いである。大学の教授という知の巨人を前にして、自分が極めて醜く矮小な存在だと自覚させられたのである。それまでの私は邪智暴虐であり、自分のことを頭は悪くない方だと思っていた。僕はマンモスFラン大学に在学してはいたが、頭のよさは学力では測れないぜ〜といいった、飲み屋の頭の悪そうなおっさん的思考が根底にあったのだろう。そんな中で出会った教授は圧倒的な知の巨人であり、僕が100話して説明したことを、1フレーズで綺麗にぶった切る侍であった。血の海の中、見上げたときには教授の姿はなく、「またつまらぬものを切ってしまった」という空耳が聞こえた。教授の抜いた刀は、伝家の宝刀を彷彿させてたまらなく格好よかった。斬魄刀や鉄砕牙に憧れた僕には刺激が強すぎた。そのとき僕は「つまり、こういうことなんや」となにかを悟るのである。そのあたりから、興味のなかった勉強にも興味がでて、初めて自発的に勉強を始めるのであった。
これが僕の価値観が変わった経験である。この経験から大学院に進学することを決めた。自分も教授のような伝家の宝刀がほしくなったからである。ちょっと頑張れば手に入ると思っていた宝刀であるが、院で教授のことを知れば知るほど、それは刀ではなく、ビルほどの大きさをもつ大剣であることがわかり絶望した。やはり簡単に手に入るものではないのだ。忍耐力のない僕は、大剣を諦め自分なりの小刀を探し始めるが、今もなお中々見つからないのであった。
よい曲を作り続けます