僕という人間。
はじめまして!!
かいとです!
突然ですが、noteを書いてみようと思います!
理由としては2つあり、
自分のことをもっと知って欲しい!
これを読んでくれる人が少しでも後悔しない人生を歩んでほしい!
と思ってます!
そのために読んでいただければと思います!
今日お話しすることとしては、
「僕という人間」
これについて書こうと思います!
これを書いて自分の人生理念の移り変わり、自分がどのようにして今に至っているのか、少し複雑ですが、このnoteを通して知っていただければと思います!
人生諦めていた人、人生迷っている人、誰かの支えとなることができれば幸いです…
それでは!
幼少期
1999年、3人兄弟の次男として生まれました。
両親、2つ上の兄、2つ下の弟と暮らし5人家族。
父親の影響により、兄弟3人剣道を始め剣道一家の1人として育ちます。
とても楽しい日々を送っていましたが、一つ疑問に思うことがありました。
周りから
「1番上のお兄ちゃんちゃんとしてて偉いね!」
「1番下の弟かわいいね!」
と言われること。
「ん?僕は?」
そこから1人取り残された気になり、次男の存在意義に疑問を持ち始めます。
なぜ真ん中の子がいるのか?
必要なのか?
存在意義って?
(考え始めた当時は3歳くらいだったのですが、3歳でこれを考えてたとすると、自分でも怖いです…)
それを疑問に持ち、良い意味でも悪い意味でも新たな行動を築きあげます。
それは、「目立つこと」
兄には絶対勝つ!弟には絶対に負けない!
それだけの思いで当時はやってました。
例えば良い意味では、率先して親が困ってることに差し伸べ、自分を見てもらうことをやっていましたが、悪い意味ではとにかく天邪鬼で反抗したりと色々迷惑をかけまくりました。
「親に自分という存在を認識してほしい」
「何でも良いから見てほしい」
その気持ちがものすごく強かったです。
特に父親には本当に見て欲しい気持ちが強かったです。
というのも、父親自体「絶対に褒めない、認めない人」だからです。
例えば冒頭に出てきた剣道であれば大会で優勝しても、「帰って反省会だ。」と言われ、テレビの前で正座し、今日の試合のビデオ反省会。
勉強も頑張ってAを8割とっても「2割のBをAにしなさい。」と言われ机を挟んでほぼ説教。
とにかく父親が「怖すぎ、褒めなさすぎ、認めてくれなさすぎ」でした。
しかしそれもあり、何とか認めてもらうために必死に剣道も勉強も頑張っていました。
だけれども、その頑張りの糸が切れる瞬間がありました。
それは父親が他の人を褒めてる瞬間でした。
僕が小学校3年生の時、父親は中学校の剣道部の外部指導員として無名の中学校を全国大会出場させ、その子達を褒めていました。
父「良くやった!」
父の口から初めて聞いた言葉でした。
その時の思ってしまったことが、
「なーんだ、父親は褒める人なんだ!」
「じゃあいつかは褒めてくれるのか!」
そのように思ってしまったんです。
「いつかは」
この言葉の重みも知らずに頑張ることをやめ、少しずつ手を抜き始めてしまいました。
剣道や勉強で手を抜き始め、父親に怒られながらも何も感じず、
「いつかは認めてくれる」
これだけを思って日々過ごしてしまっていました。
それを後悔する経験を小学校4年生の時に味わいます。
それは父親の逝去。
これが起きた時は悲しさよりも後悔が上回った記憶があります。
「父親に1つでも認めてもらえたか」
これを自分に問いかけた時に何もなかったからです。
悲しい、よりも悔しい。
この感情だけが込み上げ、一時は不安定な時期を過ごしました。
ここで完成した人生理念は「後悔」。
この後悔を2度と味わないために、それからはどんなに自分の体が壊れようと必死に物事に取り組むようになりました。
勉強ではある程度優秀層になり、剣道ではみるみる成績が伸びていくようになりました。
また、この時掲げた1つの目標が、父親が唯一褒めているところを見た「全国大会出場」
今でもこの後悔を忘れないように、これだけは絶対に達成したいという思いでずっと剣道をやってきました。
結局はこの目標を10年以上追い続けることになります。
なぜか。
それは父のためにも、自分のためにもこれからは絶対に後悔しない人生を歩むようにするためでした。
これが自分の人生が変わったきっかけの幼少期です。
中学・高校時代
中学時代はとにかく剣道に打ち込んでました。
父親のため、そして自分のために剣道をやり、後悔する人生を払拭したい。
そんな思いで続けてました。
自分でも頑張っていたつもりではありました。
しかし、結果は県大会一回戦負け。
また悔しい。
どんなに練習しても超えられない厚い壁を目の前にし、
「自分には無理なのかもしれない…」
そう思った時期がありました。
そこで高校はもっと環境が厳しいところに行こう、もっと全国大会を目指せる高校にいきたいという思いが芽生えました。
そして選んだ高校は「県内一きつい練習」と言われる公立高校へ進学。
「自分の体が壊れても人生後悔したくない」
これだけを理由に進学しました。
現実、想像していた以上に練習は厳しかったです…
さすが「県内一きつい練習」と言われるだけあってめちゃくちゃ厳しかったです。
でも、挫けずにその環境でも人一倍頑張り続けました。
理由は、ここで手を抜いたらまた後悔すると思ったからです。
後悔する怖さに怯えながら、必死に全国大会出場を目標に練習していました。
しかし、結果は「県大会3位」
母校史上1番の結果でしたが、結局全国大会には出場できずじまいでした。
しかし、この時は不思議と後悔はなかったです。
もちろん出れなかった悔しさはありました。
悔しさはあれど、後悔はない。
初めての感触でした。
こうなった理由を自分なりに考えると、
自分自身もうやることは全てやった。100%頑張れた。
そう思えることができたからでした。
目標達成はできなかったけれども、そのためにやれることを3年間注ぎ込めたなら悔いはない。
不思議とそう思えました。
そこからの人生理念は「全力、後悔」
この2つになりました。
結果が振るわなくても、それが全力でやったものなら悔いはない。
そう思えたのは自分にとってとても大きな収穫でした。
なぜなら自分自身を全て否定し続ける人生から少し肯定する人生にできたからです。
「できなかったからダメ、自分はダメな人間だ」
そう思っていた人生から
「自分でもできるのではないか?」
こう思えたのは紛れもなく、成長だなと今振り返ると思います。
高校時代は振り返ると「進化」の時代でした。
大学時代
高校で全力でい続ける大切さを知った僕は、常に全力でい続けるために、迷いに迷ったことがあります。
それは「大学選択」です。
学力的にも自分にとっては十分なところで迷い、どちらでも良いのでは?と周りから言われてました。
しかし、自分が迷ったのは「剣道」です。
今まで目標達成できていない自分にとって最大の悩みでした。
悩みの原因はその目標達成の仕方です。
全国常連校に行くべきか、それとも全国大会にギリギリ行けないところに行くか。
目標達成こそ父への恩返しと考えていた自分にとっては非常に迷ったことです。
学生生活最後、目標達成はもう大学でしかできない。
そう考えた時に、非常に迷ったのです。
だけれども、ここで決断できる、あるエピソードを思い出します。
それは父が「無名の中学校で全国大会に出場したこと」です。
全国常連校に行っても、父は認めてくれないし、満足しない。
自分も全国常連校では「ここに入ったら全国に出場できる」
そう思ってしまうとまた、
「いつかは」
この思考になってしまうのではないかと思い、全国常連校を捨て、剣道界隈ではまだ無名の大学に進学しました。
その決心をして、大学進学後はレギュラーを勝ち取るために「全力」でやり切るようにし、毎日自主練習を欠かさず行い、絶対に全国大会に出場するという思いを胸に、必死に頑張り続けました。
また、母校にも恩返しをしたいという思いから、部活の合間を縫って指導にあたり、高校でも母校初となる「全国大会出場」を目標に頑張り続けました。
説明遅くなりましたが、この時の頭の中は「剣道」1つでした。
後悔は絶対しない。
この思いを忘れずに思い続けました。
その結果、
母校は初となる「全国大会出場」、僕自身も1年生でレギュラーを勝ち取り「全国大会出場」という快挙を成し遂げ、10年以上追い続けた目標をやっと達成しました。
本当に嬉しかった。
何にも変え難い素晴らしい思い出です。
その時に1番思ったことは「周りの人への感謝」
今までは自分の目標ばかり追い続けてきた自分だったが、気づいた時には「仲間」がいて「応援してくれる人」がたくさんいた。
自分だけでは絶対目標は達成できなかったし、周りの人がいてくれたおかげで、自分の目標を達成できたことにこの時気づきました。
その時に形成された人生理念は「愛」。
自分1人では達成できなかったからこそ、今まで、そしてこれから関わった人全員大切にして生きていこう、そう思うことができました。
そうして人生理念は「全力、愛、後悔」この人生理念になりました。
しかしこの後が1番大変でした…
就活時代
剣道で10年以上かけて目標達成した自分は、その先、正直何も考えていませんでした。
10年以上目標を追い続けてやっとの思いで目標達成。
少し燃え尽きてしまうのも無理はなかったです。
あまり考えずに過ごしていた日々を送っていたことにバチが当たったのか、
「新型コロナウイルス蔓延」
これにより部活動は停止。
始まらない大好きだった剣道生活。退屈な毎日。
剣道だけがほぼ人生だった僕は正直、毎日堕落した生活を送っていました。
(剣道抜いたらほぼ何もない人です)
「つまらない」
ただそれだけでした。
剣道ができないので、やむなく就活をやっていましたが、あまり楽しくなかったです。
そんな就活で考えていたことはやはり「お金」だけでした。
今まで読んでいただけた方はわかると思いますが僕自身、母子家庭なのに大好きな剣道のために母は自分の進みたい道をただただ進ませてくれました。
その影響もあり、僕自身自覚していて、3人兄弟の中では常にお金に敏感で、お金のことになると常に遠慮する人間でしたが、そんな僕にも
「好きなことを好きなだけやりなさい」
そうやっていってくれる母でした。
母がいなかったら今の人生はないと思っていた人生を歩んでいたので、母子家庭で育ててくれた母のため、過去お金だけを気にしていた人生から払拭させるため、そのために就活をしていました。
見たらわかる通り、いつも就活では誰かの人生、過去を精算するための人生を歩もうとしていました。
そんな就活をやっていたので何のために就活をしているのかわからなくなり、一時期は不安定。
後悔しない人生を歩まなければ行けないと考えれば考えるほど何をしていいのかわからなくなり、一時は部屋に引きこもり状態に。
正直、苦しかったです。
でもそんな自分を変えてくれたのは、とある就活支援会社の「自分を変える」長期インターンでした。
そのイベントでは最初の2日間で自分の夢を全力で語り、全員に本気度が伝わらないと終われないイベント。
正直めちゃくちゃきつかったです。
というのも自分には夢というものがなく、ただ剣道のために、父のために、そして母のために生きていたので、自分の夢がわからず、小さい声で取り繕った夢を語っていました。
当然、本気度は伝わらず、終わらずじまいでした。
一体自分は何がしたいのか、未来をなぜ描けないのか、全然わかりませんでした。
その日の夜に母に初めて自分から真剣な相談をしました。
「俺はどう生きればいいの?」
「何が恩返しになるの?」
そう聞きました。そうすると母は、
「自分の人生を生きなさい。かいとはもう十分、人のために生きてくれた。」
「いつまでも、かいとが何をしてても絶対に味方だよ。」
「全力で何かに打ち込んでくれることこそ最高の恩返し。」
この言葉のおかげで、今まで繋がれていた何重もの鎖を解いてくれました。
自分の人生を歩んでいい。
自分の過去を肯定してくれた。
今考えたら当たり前かもしれないが、過去に後悔をしていた、他人のために生きようとしていた自分にとっては1番欲しかった言葉かもしれません。
その時に芽生えた人生理念は「後悔」→「感謝」。
過去に後悔するのではなく、過去に感謝をする。
この自分の人生があったからこそ、今こうやって生きられている。
こう思うことができたことで、未来が明るくなりました。
そこで1番自分を苦しめていた出来事に感謝をしました。
僕自身1番自分を苦しめていた出来事は、「父の逝去」です。
父に、子供としてなにもできなかった自分がとても嫌いで、今までずっと生きてきました。
父の逝去を自分で苦しさにしていた解釈を変換し、あの過去があったからこそ全力で生きられたことに感謝することにしました。
あの出来事があったから、今の自分がいる。ありがとう。
そうやって過去を常にプラスに変換したことで、未来をワクワクしながら生きることができるようになりました。
過去に感謝できたことで、自分の人生は「後悔の人生」ではなく「後悔ない人生」に変えることができました。
この時に考えたのは人は考え方次第で「後悔ない人生」を歩めるんだなと考えました。
この考え方を伝えていける仕事をしよう!
「自分の人生に後悔なく生きられる人を増やそう!」
そう思い、人を考え方で育てる、「人材教育」に興味を持ち始めました。
そこで出会ったのが、今の内定先。
なぜ今の内定先にしようと思ったのかというと、自分のビジョンがここで本当に叶えられると思ったからです。
なぜ叶えられるのかというと、その人材教育の内容に心打たれたからです。
内定先で教えてもらったことは、
「事実は1つ、解釈は無数。」
「過去という事実は変えられない、だけど解釈は変えられる。」
「変えられるのは自分の思考と行為のみ。」
まさに僕が変わるきっかけになったものを教えていけると思いました。
今までは「父の逝去」という事実を後悔として捉えていたが、今は感謝と解釈できる。
また後悔した人生の中から脱することができた、自分自身の行動を変え、全力で生きることができた大切さ。
自分が人に教えたいことを全てできる。
それに気づいた時には内定先以外の全ての選考をほぼ辞退。
それくらい本気でした。
結果は内定。
本当に心の底から嬉しかったです。
今は、自分のビジョンである「自分の人生に後悔なく生きられる人を増やす」ということをもとに日々奮闘中であります。
就活に紆余曲折は多分、誰よりもあったと思いますが、それがあったからこそ過去に感謝し未来にワクワクしながら全力で生きられているという解釈をしています。
誰もが「自分の人生に後悔なく生きられる」ように。
これから誰よりも全力で頑張っていきます。
長かったと思いますが、読んでいただきありがとうございました!!!
少しでも誰かの心に響いていたら嬉しいです。
かいと
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