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わたしが幼稚園教諭や保育士を
していたころ
感じていたことがありました

それは
親が子どもに対して
”失敗させたくない”という気持ち

ものすごくよくわかる

じぶんが悩んだり
壁にぶつかるのはいいけれど

じぶんの子どもが悩んだり
壁にぶつかって
しんどそうにする姿は
どうにか出来るものではないから
代わりになることは出来ないから
なるべく経験してほしくない

ものすごくよくわかる

けれど
失敗したことのない子どもは
失敗を恐れる
いつも正解をもとめる

そして
失敗すると
誰かのせいにする
(親であることも多い)

もともとそういった性質を持っている
子どももいるけれど
育った環境は大きい
(脅している訳ではないので
あしからず)

まぁ、宇宙からすると
”なにが失敗なの?
どれも学ぶためのものやん”
って感じなんだけれど

忘れ物もしたっていい
絵の具の筆を洗った水が
こぼれてしまってもいい
給食当番で
献立が言えなくたっていい

大事なのはそうなったときに
どうするか

朝、保育所に来たときに
忘れ物をしたことに気がついて
お母さんは会社に遅刻するかしないかの
ギリギリ…
そこで「なんで持ってきてなかったん!」
「家に取りに帰って持ってきて」
そんな光景を見ることもあった

そうしたやりとりを見たときには
「そういうときもあるよね~」って
話しをして
お母さんにはお仕事に行ってもらい
園児には
どうしたらいいか…を考えてもらっていた

失敗ができない=弱みが見せられない
じぶんを取り繕うことにエネルギーを注ぐ

結局、子どもにそうさせているということは
親も失敗できないことを求められる
(そうしないと…となってしまう)

そうすると、親も子も
取り繕ったじぶんを見せていることになる

しんどくない?

でもねこうした親って見ていると
”親とはこうあるべき”みたいな
じぶんで決めたものがあって
その中に“親として完璧でなくては”という
ルールをじぶんの中で
作ってしまっていることが多い

完璧でなくていいんだよ

親が失敗した姿を見ると
子どもも失敗してもいいんだってなる

そして、そこから
親が何を学んでいるのか見ている
そこからどう立ち上がるのか見ている

それは何か子どもにする訳でもなく
言う訳でもなく…
でもそれが一番の子育て

親の背中を見て子どもは育つ

っていうのはこうしたことも
入っているのかなぁと感じたりもする

子どもが親にないものを
持って生まれてくるのも
あるけれど
そちらも注目されがちだけれど
逆も然り

共に育ち合う

そう決めて
この地球で親子として
生まれることにしたんだね







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