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【実話】パチンコで200万円の借金地獄!返済までの道のりを話します
借金地獄の本当の苦しみは、実際に体験した人間でなければ分からないものです。
あなたは今、借金をしていますか?
もしそうであれば、一日でも早く借金地獄から抜け出すために、日々奮闘されているのではないかと思います。
実は、私自身も過去にパチンコで200万円ほどの借入を行い、約15年間に及ぶ借金生活に苦しんだ経験があります。
そこで今回は、その借金返済までの道のりについて、私自身の実話を交えながらお伝えしたいと思います。
また、借金を一撃で返済できる可能性のある方法もお伝えしていますので、
この記事を最後までご覧になると、あなたが借金地獄からいち早く抜け出すための何らかのヒントになるかと思います。
①パチンコから抜け出せない日々
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1990年代、パチンコ業界は全盛期にあり、開店前になると熱狂的なパチンコファンが長蛇の列を作っていたものです。
何しろ、当時のパチンコホールには、”連チャン機”や”爆裂機”と呼ばれる、非常にギャンブル性の高い台が並んでいて、
数千円~数万円をつぎ込めば、十数万円、あるいは何十万円ものお金を一撃で稼げる事もあったのです。
実話として、私の場合はパチスロで1日に最高27万円を稼いだ経験があります。
こうなると、当然の事ながら金銭感覚は狂ってしまい、一攫千金を求めて持ち金をどんどんとパチンコ台に注ぎ込んでしまうのです。
しかしながら、パチンコというのはあくまでも娯楽を提供するビジネスなので、最終的には店側が儲かるように仕組まれている訳です。
ですから、ごく少数のパチプロは別として、娯楽で打つならたまに勝つ事はあったとしても、トータルで見れば十中八九が負けという事になります。
冷静に考えれば、そんな事は誰にでも分かる事なのですが、いざパチンコ台を目の前にしてしまうと、それを忘れてしまい、
一攫千金の淡い夢にしがみつきながらパチンコに興じ、性懲りもなく何度も負けを繰り返して行く訳です。
これが、当時の私のようなパチンコ依存症に見られる、分かってはいるけど、やめられないという心理状態なのです。
もちろん、パチンコに興じるのは本人の自由ですが、軍資金欲しさにサラ金に手を染めてしまうと、私自身の実話の如く、
その先には借金地獄の人生が待っていて、返済までの道のりは長く険しいものとなるでしょう。
②3社合わせて200万円の借金地獄が始まる
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当時、パチンコで負けを繰り返していた私は、「パチンコは、もうやめよう」と何度も決心したものです。
しかしながら、パチンコ店の看板を見るたびにその決心は揺らぎ、またしてもパチンコに興じてしまうのでした。
そんな事を繰り返しているうちに、私はとうとう軍資金を使い果たしてしまい、サラ金に手を出してしまったのです。
つまり、パチンコに興じるにしても、ある一線を超えてしまい、借金地獄の1丁目に足を踏み入れてしまった訳です。
最初のサラ金屋では、50万円の借入ができるカードを簡単に作る事ができました。
「パチンコの軍資金に少し使うだけだから、何も問題はない」
この時は、そんな軽い気持ちで借りたので、後に借金地獄に陥って、苦しい返済までの道のりが続くなどとは知る由もありません。
そして、借金が50万円の限度額に達するまでには、それほど時間はかかりませんでした。
その後もパチンコはやめられず、別のサラ金屋でも借金を作り、あるいは借入の増額交渉まで行った末に、
気がつけば、実話として3社合わせて約200万円の借金地獄に陥っていたのです。
200万円というと、当時サラリーマンだった私の年収の約2/3に相当していて、
もうそれ以上はどこのサラ金屋を回っても、お金を引っ張る事はできませんでした。
そして、ここから借金返済までの道のりが、約15年間に渡って続いて行く事になる訳です。
ちなみに、当時は年利25%前後の利息を支払っていたので、借入が200万円であれば利息だけでも年間に50万円の返済になりますから、
元金の返済までは、なかなか手が回らないという事がお分かりだと思います。
これが、いちどサラ金に手を染めてしまえば、借金地獄からはなかなか抜け出せない理由です。
③本業をしながら休日はアルバイトの日々
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それでは、私の借金返済までの道のりの中で、初めの第一歩となる実話をお伝えしたいと思います。
借金の返済に困った時は、とにかくお金を作らなければならない訳ですが、
その最も手っ取り早い方法は、自分の時間を切り売りしながら、身を粉にして働く事です。
そこで私はサラリーマンをしながらも、休日は登録制のアルバイトに申し込んで、働き尽くめの日々を過ごしました。
仕事の内容としては、イベント設営、事務所移転、配送助手といった、日替わりの肉体労働です。
今にして思えば、休日返上でよく働いたものだと自分でも感心しますが、当時はまだ20代半ばで体力にも自信があった事から、
この休日バイトは、1年9カ月に渡って続ける事ができました。
トータルでは70万円近く稼いだと思いますが、借金は少しも減らなかったというのが実際のところです。
なぜなら、もらったバイト代は全てパチンコに使ってしまったからです。
”えっ、何のために休日を返上してまで働いたの?”という事になりますが、
結果的にいうと、この休日バイトは借金地獄から抜け出すためではなく、パチンコの軍資金作りの手段になってしまったのです。
これでは、借金返済までの道のりを、自分自身で引き延ばしている事になる訳ですが、
パチンコ依存症になってしまうと、このようにお金が入るとまずパチンコに使ってしまうという癖が抜けないのです。
④発明で借金地獄からの抜け出しを試みる
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パチンコで作った借金地獄から抜け出すには、まずはパチンコをやめる必要があるのですが、それがなかなかやめられないのが依存症です。
そんな中で、私はこう考えました。
「バイト以外に、もっとまとまったお金を作る方法はないか?」
この方法が見つかれば、借金返済までの道のりを短くする事ができます。
もちろん、自分の収入の範囲内で、コツコツと何年もかけて返済するのが堅実と言えるかもしれませんが、それでは途中で息が詰まってくる訳です。
あなたも、そんな心当たりはありませんか?
そこで思いついたのが発明です。
当時はちょっとした発明ブームが起こっていて、思い付きのソフトアイデアを商品化して、
けっこうなお金を稼いでいる主婦もいるなどと話題になっていました。
実話として、素人が発明で数百万円、あるいは何千万円を稼いだという事例があり、私もその可能性にかけてみようと思った訳です。
借金地獄の毎日を過ごしている人からすれば、発明での一攫千金はとても夢のある話だと思いませんか?
そこで私は、発明に関するあらゆる資料をかき集め、アイデアを商品化する手順について勉強を始めました。
その後、これは行ける!と思える幾つかのアイデアを基に試作品を作り、その売り込み企画書を何十社という関連会社に送ってみたのですが...
残念ながら、快い返事は何一つとしてもらえず、発明によって借金地獄から解放される事はありませんでした。
そして、私は相変わらずパチンコがやめられず、借金返済までの道のりは、依然として長く険しいものに変わりはありませんでした。
⑤印税収入で40万円を返済
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発明で借金地獄から抜け出す計画が失敗に終わると、私の手元には発明に関する膨大な資料だけが虚しく残りました。
その資料を眺めながら、私はふとこんな事を考えたのです。
「この資料を上手くまとめると、1冊の面白い発明本になる」
もし、この計画が上手く行けば、まとまった印税収入が生まれる可能性もある訳です。
そうすれば、借金返済までの道のりを大幅に短縮できるかもしれません。
そこで私は、数カ月ほどかけて原稿を書き上げ、その原稿を売り込むための出版企画書も作りました。
そして、関連のある出版社を何社も探して、企画書を送ってみたのです。
すると、ある出版社から、こんな電話をもらいました。
「面白そうなので、いちど原稿を見せてもらえますか?」
そこで、さっそく原稿を送ってみたところ...
しばらくすると、出版化の決定を知らせる手紙が届いたのです。
”よっしゃ~”
私は、思わず小躍りしたくなるような気分で、満面の笑みを浮かべたのを今でも覚えています。
その後、出版社の意向に沿って推敲を重ね、晴れて私の本が店頭に並びました。
結果的には、実話として初版で6,000部が売り出され、私は40万円超えの印税を受け取り、その全額を借金の返済に充てました。
こうして、借金地獄の苦しみは少し和らいだものの、依然としてパチンコからは足を洗えず、
借金返済までの道のりは、この先もまだしばらく続いて行く事になります。
⑥払い過ぎた利息を取り戻す
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借金地獄の日々が続く中で、私はある時、コンビニで何気なく本を手にすると、こんな一文を目にしたのです。
「利息制限法においては、借入が100万円以上の場合、利息の上限は年利15%であり、払い過ぎた利息は取り戻す事ができる」
当時の私はこんな事は何も知らずに、25%前後の利息を支払っていたので、明らかに払い過ぎである事に気付きました。
これがきっかけで、私の借金返済までの道のりに、大きな展開が起こる事になります。
過払い金を取り戻すには、訴訟を起こす必要があるのですが、弁護士に頼めば費用がかかってしまいます。
そこで私は法律の専門書を購入し、まずは1社を相手にして、自分で訴訟を起こす事にしたのです。
主な作業としては、訴状の作成、および少し手間のかかる計算書の作成でしたが、数日かけて何とか仕上げる事ができました。
その後は、裁判所を通じて事が運び、実話として意外と簡単に25万円の過払い金を取り戻す事に成功したのです。
この経験を踏まえて、もう1社についても同じように過払い金の返還請求を行うと、今度は8万円を取り戻す事ができました。
こうして、過払い金の返還請求が受理された2社とは、自動的に契約終了となり、借金地獄の苦しみは更に和らぐ事になりましたが、
パチンコからは相変わらず足を洗えなかったのが実際のとこです。
なお、私と同じように、2010年6月18日以前にサラ金を利用した事がある人は、利息を払い過ぎている可能性があるのですが、
基本的には完済から10年が経過してしまうと、時効により過払い金の返還請求ができなくなってしまうので要注意です。
⑦収入の大幅アップで、借金返済までの道のりは終盤へ
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ここへ来て、サラ金での借入も残り1社となり、私の借金返済までの道のりは、いよいよ終盤へと向かいます。
そして、この時期はサラリーマンをやめて、建築現場の一人親方を始めており、
月収はサラリーマン時代よりも倍増し、軽く40万円を超えていました。
こうなると、パチンコをしてもある程度のお金が残り、借金の返済も苦にならない状況でしたから、
この時点で既に、借金地獄の生活からは抜け出していたというのが実際のところです。
そして、最後のサラ金1社で返済を終えると、例のごとく過払い金の返還請求を起こして、40万円を取り戻す事に成功したのです。
こうして、20代の半ばに始まった借金地獄から完全に抜け出した時、私は既に40歳になっていました。
以上が、私の15年間に及ぶ借金返済までの道のりで起こった、数々の実話になりますが、
借金完済と時期を同じくして、あれだけやめられなかったパチンコから、私はすんなりと足を洗ってしまったのです。
その理由は、規制によってパチンコのギャンブル性が著しく低下した事で、面白さが失われ、もう打ちたいとは思わなくなったからです。
そんな方は、私の他にもけっこう多いのではないでしょうか。
ご存知の通り、パチンコは今や全国で倒産が相次ぎ、衰退の一途をたどっています。
これも時代の流れと言えばそれまでですが、パチンコで借金地獄に苦しむ人が減少した事は何よりではないでしょうか。
それでは、今回お伝えした、私がかつて経験した借金地獄の実話を参考にしていただき、
あなたの、借金返済までの道のりに、何か新しい展開を起こしてもらえればと思います。