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”真っ白な灰”になって死んだ?あしたのジョーの最終回は別の筋書きもあった!
世に名作と呼ばれるアニメは幾つかありますが、中でも”あしたのジョー”は指折りの名作と言えるのではないでしょうか。
特に、”あしたのジョー2”における最後のシーンは、テレビを観ていた青少年たちに大きな感動を与えました。
そして各々の中に、こんな疑問が残った筈です。
”ジョーは最後に灰になって死んだのか?”
その答えはどこを探しても見つかりません。
つまりジョーの生死については、何時までも謎として残り続ける永遠のテーマという事になります。
こうして、最後に一つの大きな余韻を残して放送が終了したところに、あしたのジョーが名作へと押し上げられた一つの理由があると思います。
そこで今回は、あしたのジョーの最後について振り返ってみましょう。
矢吹丈が残した名言「真っ白な灰」
皆さんもご存知の通り、ジョーはホセとの試合終了後に、こんな言葉を残しています。
「燃えたよ、燃え尽きた。真っ白にな...」
つまり、この言葉にこそ、ジョーがボクシングに青春を捧げた本懐が込められていた訳です。
その意味については、ある時にジョーが紀子に言った、次のようなセリフの中に集約されています。
「紀ちゃんの言う青春を謳歌するっていう事とは、ちょいと違うかもしれないけど、何ていうか... 俺は俺なりに燃える様な充実感を何度も味わってきたよ。血だらけのリングの上でさ」
「ブスブスと、そこらにある見てくれだけの不完全燃焼とは訳が違う」
「ほんの瞬間にせよ、眩しいほどに真っ赤に燃え上がるんだ」
「そして、後には真っ白な灰だけが残る」
「燃えカスなんて残りはしない。真っ白な灰だけだ」
これは、ジョーが残したセリフの中でも、唯一心に残る名言ではなかったでしょうか。
ジョーは最後に死んだのか?
ではここで、あしたのジョーの最大の謎でもある”ジョーは最後に死んだのか?”という永遠のテーマに切り込んでみましょう。
ホセとの死闘を終えたジョーは、疲れ切った状態でリングサイドの椅子に腰かけ、そして最後にゆっくりと目を閉じながら判定を待ちました。
ところが、ジョーは再び目を開く事はなく、その姿は真っ白になり...
セコンド陣と観客はすぐさまジョーの異変に気付き、そして場内は静寂に包まれました。
このシーンについて、あしたのジョーの作画を担当した”ちばてつや氏”は、ジョーの死については明言を控えています。
つまり、ジョーの生死については、それぞれ観る人の想像にお任せという事になる訳です。
ただ、燃え尽きて真っ白な灰になるという事は、即ち最後にジョーは死んだと想像される方も多い事でしょう。
仮に完全燃焼はせずに、まだ多少なりともくすぶっていたとすれば、再び火が付いてジョーは目を開けたというストーリーもあったかもしれません。
いずれにしても、あしたのジョーの最後にふさわしいのは、やはり「真っ白な灰になる」であったのでしょう。
あしたのジョーの最終回には、もう一つの筋書きがあった?
実のところ、あしたのジョーの最後というのは、別の筋書きがあった事をご存じでしょうか?
その筋書きでは、試合を終えたジョーに丹下段平がこんな言葉を掛けています。
「お前は試合に負けてケンカに勝ったんだ。そう思え」
そして時が流れ、ジョーはパンチドランカーとなった盟友のカーロスリベラと一緒に、療養所の庭で日向ぼっこをしているラストシーンで幕を閉じています。
この筋書きは、原作者である高森朝雄氏によるものでした。
高森朝雄とは、実は「タイガーマスク」「巨人の星」などの原作で知られる梶原一騎氏の事です。
当時、ちばてつやは梶原一騎の原稿に納得ができず、両者は電話で激しく対立したと言います。
なぜなら、ちばてつやは作画担当でありましたが、あくまでも自分が納得のいくものを描きたいという強い意思があったからです。
このエピソードについては、梶原一騎の実弟である真樹日佐夫氏が後年に明かしています。
当時は誰もが知る由もありませんでしたが、あしたのジョーが最終回で灰になるシーンには、こうしたエピソードが隠されていた訳です。