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芝居が教えてくれた「人を知る喜び」―役者・鈴木愛子が描く新しい表現の世界
人との距離の取り方に悩んだ子ども時代、鈴木愛子さんの胸の内には「人を知りたい」という切実な願いがありました。演劇との出会いで人生が一変し、「他者を演じることで自分を知ることができる」という発見は、彼女を役者という天職へと導きます。
イギリスでの衝撃的な観劇体験、山口県にある恩師のお墓参り、吉田松陰の「真心」の教えとの出会い―数々の転機を経て、今では企業向けコンテンツの制作や演劇教室の運営を手がける表現者へと成長。「合同会社きよみず」の代表として、役者の力を活かした心に響くストーリーを生み出し続けています。豊島区を拠点に「誰もが主役になれる」未来を描く鈴木さんに、芝居が照らした人生の軌跡を語っていただきました。
【鈴木 愛子(すずき あいこ)】
合同会社きよみずの代表。出身地は東京都で、神奈川県で学生時代を過ごす。大学在学中に芝居の世界へ飛び込み、数多くの公演に出演して演技力を磨く。書道・揮毫(きごう)・イラストデザインなど、多彩なスキルを持つ。現在は豊島区を拠点に活動中。
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役者の力を活かして「心に刺さるコンテンツ」を作っている
──本日はよろしくお願いします。現在どのような活動をしているか教えてください
こちらこそよろしくお願いします!直近のお仕事では、賃貸物件の会社のCM撮影をしたり、実際にその場所に赴いて公演のご依頼をいただいたり、一般の方向けに演劇の教室などを始めたりしています。
弊社の行なっている再現ドラマとは「役者が演じるドラマ×企業」で、映像・舞台・ワークショップなど、ストーリー形式で伝わりやすいコンテンツを作ることで困っている方のお役に立ちたいなと。
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ご依頼いただく内容はさまざまで、たとえば企業の研修やプロモーション用の動画を作成することもありますね。一言でまとめると、役者の力を活かしてクライアントの魅力を最大限に引き出すのが私たちの仕事です。
──演技でクライアントの魅力を引き出すのはおもしろいですね!その他に取り組んでいることはありますか?
役者仲間の齊田貞子(さいたさだこ)さんと一緒に「SABA(サバ)企画」というプロジェクトを立ち上げて、不定期に朗読劇を開催しています。これも役者の力を活かしたイベントの一つで、出版業界や書店を盛り上げるのが目的ですね。
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俳優が劇場ではなく、書店で新発売された作品を朗読・演じることによって作家さん、書店さんを応援する企画です。演劇にあまり馴染みのない人にも気軽に演劇を楽しんでもらい、そして本を読むことに興味がある方にさらに広く知ってもらえたら嬉しく思います。
それ以外のところだと、お客さん役のご依頼でロープレの相手役などもさせていただいています。それぞれやっていることは違うのですが、何かを演じたり表現したりする点では共通点があるかなと。
芝居の原点は「人を知りたい」という気持ち
人との距離の取り方がわからなかった子ども時代
──ここからは、鈴木さんが役者になる以前の経歴について伺います。まずは子ども時代のエピソードをお聞かせください
今でこそ「誰とでも仲良くなれる」なんて言ってもらえますが、幼少期は引っ込み思案で人付き合いが苦手だったんですよ。友達とどうコミュニケーションすればいいかわからず、ものすごく悩んでいました。子どもながらに生き辛さを抱えていて、「どうすればみんなと楽しく過ごせるか?」と真剣に考えていましたね。
だから「人を知りたい」という願望がずっと胸の内にあって。でも子どもの頃は、その願望を実現する方法がわかりませんでした。
──「コミュニケーションの取り方がわからない」というのは、具体的にどういうことでしょう?
たとえば友達に「遊ぼう」と誘われたら、素直に応じるのではなくて「遊ぶ必要があるなら遊ぶ」と答えるような感じです。そんなこと言われたら、相手は困りますよね。それくらい相手の意図が汲み取れず、どうするのが正解かわからなかったんです。なので、相手の表面的な部分を真似て反応するところからはじめました。
いわば「学習型ロボット」です。ウグイスが鳴き方を覚えるのと同じように、コミュニケーションもうまく取れるようになるまでいろんな人の話し方や表情をみて学ぶのだからそれが普通なんじゃないかと思うんですが、私はそこからさらに人とのコミュニケーションの取り方を理解しないとできなかったんです。時間をかけてコミュニケーションの取り方を学んでいました。
──ユニークな視点をお持ちだったんですね。そこからどのような出来事があって芝居の道に進むことになったのでしょう?
直接のきっかけは、高校時代に合唱部でミュージカル『ライオンキング』のシンバ役を演じたことでした。
私が中学生の頃、世間ではアニメブームが到来していたんです。人前に出ないで違う人物になれる職業に魅力を感じてはいたものの、どうしていいかわからず、まずは近所にあった朗読教室に通うんですね。しばらく続けましたが、高校受験が迫ってきて朗読どころではなくなり、教室はやめています。
高校に入学して合唱部に入部するのですが、ここで思いがけず演劇の扉が開きました。文化祭の出し物でミュージカルをやる流れになり、『ライオンキング』のシンバ役をいただいたんですね。
すると文化祭の特別賞を受賞して、一時は「シンバ先輩」として校内で有名になるほど反響があって。このときに初めて芝居の楽しさに目覚めました。当時は声が大きくて目立つのがコンプレックスだったのですが、舞台上では肯定されたという思い出です。
──それはすごいですね!高校を卒業してすぐに役者になったのでしょうか?
役者になるのはもう少し先の話です。両親や先生からは「演劇は趣味にしておきなさい」と反対されていたこともあり、高校卒業後は文系の短大に進学しました。でも勉強に身が入らず・・・・・・。
短大時代に知り合った先生から「演劇をやるなら学生のうちがいい」と背中を押されて、その後短大の先生の勧めで玉川大学に編入しました。
大学3年時、就職活動が始まる前に「劇団若草」のオーディションを受けたんですね。もし落ちたら会社員になるつもりでしたが首席で合格して養成所に入り、ありがたいことに「芝居の才能がある」と評価していただきました。
苦手だったコミュニケーションが逆に武器になった
──役者としてキャリアを歩み始めてからは、どのような心境でしたか?
舞台の上に立ったとき、「私の居場所はここだ!」と全身を雷に打たれたような衝撃を受けましたね。学生時代はどこにいても悪目立ちしていたのですが、芝居の世界ではむしろ褒められて、水を得た魚のごとく楽に生きられるようになりました。
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もちろん苦労もあって、初めて芝居の難しさに直面したのもこの頃です。大声を出して、身振り手振りで表現するのが芝居ではないんだと学びました。
──役者はまさに天職だったのですね。そんな鈴木さんにとって、転機となる出来事は何でしたか?
イギリスでシェイクスピアの戯曲を観劇して、芝居に対する考え方が大きく変わったことです。「こんな芝居ができるようになりたい!」という目標ができて、そこから役者人生の第二章が幕を開けました。
私が観た舞台は古い時代の戯曲で、使われているセリフの英語も古く、英語ができる人でもわかりにくいと聞きました。私は英語はさっぱりなのですが、役者の芝居があまりにも自然で物語に引き込まれ、言葉が伝わらなくても心情が手に取るようにわかりました。感情移入しすぎて、気づいたら涙が止まらなかった。それほど自然で、目の前で生きていると思える素晴らしい演技だったんですよ。
──自然かつその場で生きているような芝居をするのは難しいと思うのですが、鈴木さんが意識しているコツはありますか?
与えられた役柄を自分事にすることです。「役柄を演じる」だと他人事なので、キャラクターに心情を重ねて、憑依するような感覚になるまで役作りに没頭するのが大事なのかなと。
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演出家の演出意図を知り、出演者と舞台稽古を重ねて、芝居の方向性をすり合わせる工程も必要ですね。芝居のキャッチボールをする感覚です。
相手の空気感に自分をチューニングさせるというか、最初は頭で考えてしまうお芝居からなかなか抜け出せず、その場に委ねる感覚がよくわかりませんでしたが、訓練していく過程で少しずつやり方を掴んでいきました。
──芝居は「相手とお客様とつくるもの」ものなんですね。役者ならではの感覚、とても興味深いです!
俳優さんによって、役作り、脚本読解の仕方はそれぞれなので、一概にはいえません。
私の場合は、頭で描いた演技プランを実行しようとすると相手をコントロールすることにつながり上手くいかないので、自然なコミュニケーションに近づけるため、ライブ感を意識しています。イギリスで観た芝居の域には達していないですが、日々精進を重ねているところです。
ストレスから子宮筋腫を発症!身をもって「命の大切さ」を知る
──役者人生は山あり谷ありだったと思うのですが、辛かった経験はありますか?
33歳くらいの頃に、ストレスが原因で子宮筋腫になって入院したことですね。病院で検査したら筋腫が3000gまで成長していて、本当にびっくりしました。だいたい新生児一人分ですから、相当な重さですよね。
開腹手術で筋腫を取ってもらい、筋腫が良性か悪性か調べるためにがんセンターに入院しました。お腹を切ると痛みで力が入らなくて、くしゃみするだけで激痛が走るんです。命の大切さとか健康のありがたみとか、身に沁みましたね。
──3000gはすごいですね!ストレスが原因とのことですが、どのような状況だったのでしょう?
私が不器用だったので、なかなか思うような芝居ができない時期があったんですね。共演者と調子がかみ合わず、稽古場で「何度いったらわかるんだ」という空気になるのが申し訳ないし、居たたまれなくて・・・・・・。
もちろん真面目に稽古していたものの、理想の芝居が遠すぎて、やればやるほどもがき苦しんでいました。自分を追い詰めた結果、ストレスが溜まって急激に筋腫が成長したんでしょうね。
でも入院したことで気持ちをリセットできましたし、冷静に自分と向き合えたからよかったのかもしれません。
会社設立のきっかけは恩師のお墓参り
祖母の亡き幼なじみが導いた不思議なご縁
──続いては「合同会社きよみず」を設立した経緯について伺います。どのようなきっかけで会社を作ったのか教えてください
のちに合同代表になる秋葉に誘われて、山口県下関市を訪れたのがきっかけです。なぜ山口県だったかというと、「劇団若草」の前社長だった八重垣緑(やえがきみどり)さんのお墓が下関市にあるからですね。
八重垣さんは私が劇団に入る直前に亡くなられたので、直接の面識はありません。ただ、私の祖母が八重垣さんの幼なじみだったため、祖母からいろいろお話を聞いてはいたんです。だから恩師のような存在ですね。
ちょうどコロナが流行して仕事の予定がキャンセルになった際に、秋葉から「八重垣さんのお墓参りに行こう」と連絡をもらいまして。折しも八重垣さんが逝去して15年目の節目だったこともあり、ご挨拶もかねて山口県に足を運びました。
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1週間ほど山口県下関市〜北九州小倉に滞在しまして、そのタイミングでたまたま奇兵隊(※)に入隊した青年の物語に出会ったんですね。そこから吉田松陰や高杉晋作の活躍も知り、「こんな素晴らしい物語が世間に知られていないなんてもったいない!」と映画を作る運びになりました。
※1863年に高杉晋作が結成した有志による非正規の軍隊。身分を問わず誰でも参加できた
映画を制作するには信用問題や資金繰りの問題があり、二人で会社を設立して現在に至ります。映画を売り出すのが目的だったので、株式会社ではなく合同会社を選びました。
──八重垣さんや秋葉さんとの出会いがあったから会社を作ったのですね。何とも不思議なご縁を感じます
つくづくそう思いますね。秋葉とは「劇団若草」からの付き合いですが、会社を作る以前はそこまで深い交流はなかったですし。彼女からお墓参りに行こうと誘われなかったら、会社の代表になるなんて考えもしませんでしたよ。
ご縁といえば、会社設立に至るまでにもいろいろありました。たとえば今の事務所に引っ越す際にも渡りに船のタイミングで補助金をもらえて、全額をまかなえたんです。
映画の制作が始まってからもキャスティングやロケハン(撮影場所の下見)などの問題が見事にクリアされて、目の前にハードルが出現しては乗り越えるのを繰り返してきました。何かに導かれているというか、運が良かったなと。
「あなたなら大丈夫」と信頼されて依頼が舞い込むように
──会社を設立してからはいかがでしたか?
ありがたいことに仕事で出会った方々が良くしてくださるので、何とか事業を続けられています。もともと正直な性格だったからか、「あなたなら大丈夫」と信頼してもらえる機会が多くて。おかげでご依頼が途切れずにここまで走り続けられたのでしょうね。
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吉田松陰が「真心をもって伝えれば人を動かせる」という主旨の言葉を書き残していて、それに感銘を受けて座右の銘にしています。幸運を引き寄せるには誠実であらねばならないと信じていますし、物事の筋を通さないと気が済まないんですよ。
結局のところ、ビジネスで大事なのは「あなたと一緒に仕事をしたい」という気持ちなのではないでしょうか。誠実さは最大の武器だなと。
──確かに、誠実さに勝る武器はないかもしれませんね。その他に、ご自身の強みだと思っている部分はありますか?
そうですね、他の人が気づかない視点を持っていると言われたことがあります。昔からマニュアルを覚えるのは苦手でしたが、突発的なトラブルに対しての対応をみて言ってもらえたんだと思います。
また物事の全体像をすばやく理解してイメージを具体化できたり、デザインのイメージを伝えるのが得意だったり。「こんな感じで」とざっくり説明されたものを依頼者の想像通りに絵にできるので、私はデザイン思考なのかもしれませんね。
豊島区に根付いた会社にしていきたい
──これから挑戦したいことや未来の展望などを教えてください
演劇を一般教養として広めるべく、芝居のロープレ(疑似体験)や演劇教室を本格的に運営したいと考えています。すでに事業は動き出しているので、より勢いをつけたいなと。
現時点でプロジェクトが進んでいるのが、竹久夢二の公演・日蓮伊豆公演・郵便事業で有名な前島密の舞台ですね。これらは脚本を書いてもらっているところで、着々と準備を進めています。
その他には、世阿弥の芝居をやってみたいなと。弊社は日本の歴史や伝統芸能にこだわりがあって、能の世界を舞台上で表現できないかと構想を練っている段階です。
また豊島区からご依頼をいただき、2025年の3月16日に豊島区東長崎にある「カフェMOGA(モガ)ギフテッドアート美術館」にてコラボイベントを開催する予定です。アートとパフォーマンスのコラボ企画、そして区内で働いているアーティストの方々との交流会の場になればと考えています。
きよみずが、豊島区に根付いた会社になったら嬉しいですね。
──なぜ「豊島区に根付いた会社」を目指そうと考えたのでしょうか?
豊島区は2019年から「誰もが主役になれるまち」という方針を打ち出していて、自分たちの作品と重なるところがあるんです。
私たちは歴史上の人物に焦点を当てた作品作りに注力しているので、興味のある人物がいれば有名・無名を問わず題材にしてきました。なので豊島区の考え方には共感できる部分がありますね。
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もう一つの理由として、豊島区はアートやエンターテイメントにも力を入れており、さまざまな場所にアートを、と動かれていまして。これから演劇の力をさまざまな形で活かしていきたいと考えているきよみずにとっても、活動の幅を広げていける街だと思っています。
──最後に、読者に伝えたいメッセージはありますか?
そうですね、演劇がもっと身近な芸術に感じられる社会になればいいなと願っています。諸外国のなかには舞台鑑賞が日常生活の一部に溶け込んでいる国もありますが、日本では未だに非日常のイベントと捉えられがちです。
演劇に対する垣根を低くして、誰もが気軽に舞台を楽しめる文化を生み出したい。だからこそ役者の力を活かしたコンテンツを通じて、皆さまに芝居の魅力を知っていただきたいなと。
きよみずが演劇の入口部分の一つになれたら嬉しいですね。
──近所に遊びに行く感覚で舞台鑑賞できる社会が実現するといいですね。本日はありがとうございました!
取材・撮影・執筆:池田 愛
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