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限りある命の使い方を考えてみた
こんにちは!
突如記事にしたいネタが降臨したので、ウキウキしながらキーボードを叩いています(*´з`)
突然ですが、あなたは「人生の残り時間」を意識した経験はありますか?
10代とか20代であれば、おそらくそんなこと考えながら生きていないと思います。
30代に突入してから「残された時間」が気になるようになりました。まだ失敗してもリカバリーが効くギリギリの年代とはいえ、私にとっての30代は決して「若い」とは言えなくなってきたからかもしれません。
あとどのくらい生きられるのか。
あとどのくらい書く仕事を続けられるのか。
そんなの神のみぞ知ることですから、あれこれ考えても仕方ありません。でも気になるモノは気になるんですよね。
なぜそこまで「人生の残り時間」を気にするかというと、今年で34歳になったから。34歳といえば、かの正岡子規の享年です(数えで35歳)。
わたくし、正岡子規の随筆が大好きでして。
『仰臥漫録』・『墨汁一滴』・『病床六尺』を常に手の届く場所に置いているほど愛読しています。
(文体が古いのでやや読みにくいですが、ご興味があればぜひ)
正岡子規は好きですが、俳句にはさほど興味がありません。というか、俳句を詠むココロは持ち合わせておらず。俳句を愛する方々、すみません。
ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、正岡子規は脊椎カリエス(脊椎が結核菌に侵されて発症する病)により寝たきりの闘病生活を送っていました。その様子は随筆にも詳しく記されていて、壮絶の一言に尽きます。
正岡子規のすごさをわかりやすく表現するなら、最期まで生きることを諦めず、ひたすらもがき続けたところにあると思います。晩年は飲食や執筆もままならず、家族や弟子に協力してもらい、口述筆記で新聞の連載を続けていました。
補足すると、本当にいつ死んでもおかしくない病状だったそうです。文字通り死と隣り合わせの日々を送っていたにもかかわらず、亡くなる直前まで文章を書いていたのです。
いやいや、常人にはマネできませんよね…!
もし私が正岡子規なら、死の恐怖に打ちのめされ、無気力で布団に横たわっていたでしょう。
正岡子規にとっては書くこと=命をつなぐ手段だったのでしょうが、どれだけ強靭な精神を持っていたのかと脱帽せざるを得ません。
正岡子規を目指すのはさすがに難しいですが、私も死ぬまで書き続けたい。好きなことをやりきってからあの世に逝きたい。
心の底からそう思いました。
まだまだ死ぬには早すぎるので、がんばって生きるつもりです。
「私の人生、楽しかったなぁ」と満足できれば本望ですね。
今回はこれにて〆とします。
また次の記事でお会いしましょう('ω')ノ
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