女子スキージャンプ選手紹介オーストリー編
オーストリアについて
アルプス山脈周辺に位置しアルペン、フリースタイル、ノルディック、スノーボードなどFIS管轄競技の全てにおいて無類の強さを誇る国である。
女子ジャンプも例外ではなく、女子ジャンプの国際大会が始まってから今に至るまでイラシュコシュトルツがトップ選手として君臨。他の選手のレベルも高く現在の女子ジャンプ界においてスロベニアに唯一対抗できる国である。
ドイツ同様、公的機関に所属しながら活動している選手が多い。
現在のHCはハラルド・ロドラウアー、アシスタントに元4HT総合王者、トーマス・ディートハルト。
Sara Marita Kramer サラ・マリタ・クラマー (2001)
オランダ、アーペルドールン生まれ。
オーストリア連邦国防省、陸軍スポーツ部隊所属の一等兵。
現在の女子スキージャンプ界で最強の選手の1人であり、21/22シーズン総合優勝を果たした。通算15勝。
前述の通りクラマーはオランダ生まれ。マリタが6歳の頃、ー家は家族全員でオーストリー、ザルツブルクに移住。かねてからの夢であったパンケーキレストランとホテルをオープンした。この様子はオランダ国営放送の番組で取り上げられた。しかしその一年後、母親のアケネさんが乳がんで亡くなる。父親のロナルドさんは悲しみに暮れたが異国の地に残ることを決断。家族4人の努力によりなんとか経営を続けることができた。観光業、飲食業であるため例のアレの影響も大きかったと言うが現在も何とか営業を続けている。前述の通り陸軍のスポーツ兵であるためシーズンオフの間、5週間は朝6時から夜まで軍の服装を身につけ、ライフルなどを持ち軍事訓練に励んでいる。
生まれはオランダであるため、オーストリー国旗を背負いながらもオランダ人であることにアイデンティティを感じている。
2016年まではノルディック複合も並行してプレーしていた。18/19シーズンまではコンチネンタルカップを転戦していて2019年世界ジュニアでは女子団体戦の3位に貢献。
19/20シーズンは夏のコンチネンタルカップで結果を残し当時のフェルダーHCからAチームに抜擢された。W杯初戦12月のリレハンメルでいきなり10位に入ると翌年の1月の札幌では自身初優勝を果たした。
日本に関しては“良い意味で全てがめずらしく感じた。人々は親切で礼儀正しかった。”と言ってくれた。
翌週の蔵王団体戦でもオーストリーの優勝に貢献。2020年の世界ジュニアでは個人NH、女子団体、混合団体の全てで金メダルに輝きW杯は総合9位で終えた。
短縮シーズンとなった20/21シーズンは開幕戦ラムソーで優勝。2021年1月のティディゼー・ノイシュタットでも連勝し開幕から4試合で3勝を挙げ総合ランキングトップを独走していた。しかし2月のヒンツェンバッハ3連戦のうち第2戦でDSQ。翌週のルシュノフは流行病の影響で欠場し総合ランキング3位に後退。世界選手権でも個人メダルにあと一歩届かず、最終盤のブルーバードシリーズでは4連勝を飾ったが前述の3試合の欠場が響き総合優勝に届かなかった。
翌21/22シーズン、サマーグランプリはクリンゲンタールで勝利を挙げるなど総合3位といい形でシーズンに入った。開幕戦ニジニタギルで優勝を果たすと1月末まで5勝を挙げた。しかし1月30日ビリンゲンの試合前のPCR検査で陽性と判明してしまい北京オリンピックも残念ながら欠場となってしまった。五輪明けは一勝を挙げ、3月12日のオーバーホフ大会で6位に入った事で、1試合を残し総合優勝を果たした。
激動のシーズンとなった21/22シーズンに関し、“クリスタルトロフィー獲得について満足感を感じていると私は挫折を経験した。しかしこのシーズンを通したくさんの美しいモーメントに出会えた。”と3月末のインタビューで回想している。
出典
Blog バイアスロン選手の妹と共用
Lisa Eder リサ・エダー (2001)
オーストリー中部に位置しスキーの街、ザンクト・ヨハン・イン・チロル出身。アンドレアス・ビドヘルツルと同郷であり、所属クラブはマリタ・クラマーと同じである。年も同じであるためクラマーと仲が良い。
元々バイアスロンをやっていたが10歳の時にスキージャンプに切り替えた。
理由は“子供の頃からこのスポーツが自分に合うと理解していた。”からである。
2015年8月にアルペンカップデビュー。2017年8月までノルディック複合もプレーしていたがそれ以降はジャンプに専念。その後、初めてW杯本戦に出場したのは2018年1月の蔵王。17/18シーズンは総合34位に終わった。2019年世界ジュニア女子団体ではクラウディア・プルッカー(現在は引退)、マリタ・クラマー、リサ・ヒルナー(現在はコンバインド専念)と共に銅メダルを獲得した。
19/20シーズンからはAチームに定着し、ヒンツェンバッハでは7位入賞。そのシーズンを総合21位で終えた。2020年世界ジュニア女子団体ではヴェネッサ・モハリッシュ、ユリア・ミュールバヒャー、マリタ・クラマーと共に優勝。混合団体でも・マルコ・ボルゴゲッター、マリタ・クラマー、ペーター・レジンガーと共に優勝を果たした。
20/21シーズンも安定感を世界選手権メンバーには選ばれなかったが維持し総合20位。世界ジュニアでもオーストリーの女子団体戦連覇に貢献した。
21/22シーズンは開幕戦で7位入賞、クラマーの代役でスクランブル出場した北京五輪でも8位、五輪後初戦のヒンツェンバッハでは3位表彰台に入り総合9位で終えた。
初表彰台後のインタビューでは“言葉にならない。何もかもが速い速度で過ぎていった。言葉にならない。2本目のジャンプがどうだったかも覚えていない。”と喜びを爆発させた。
出典
Jacqueline Seifriedsberger ジャクリーン・ザイフリーズベルガー (1991)
オーストリア連邦国防省、陸軍スポーツ部隊所属の伍長。
オーストリー北部、オーバーエスターライヒ州出身。
4歳の頃からジャンプを始めた。女子ジャンプ黎明期から出場を続けている1人であり女子コンチネンタルカップ開始当時から参加を続けている。
女子ジャンプが開始された11/12シーズンは3位が一度あり総合11位。翌12/13シーズンは札幌で初勝利を挙げるなど8度の表彰台に上がり総合4位。ヴァル・ディ・フィエンメ世界選手権個人NHは3位、混合団体では2位に貢献し飛躍のシーズンとなった。ソチイヤーである13/14シーズンは夏の故障の影響でほぼ全休してしまったが翌シーズンからW杯に復帰した。
女子団体戦が世界選手権で初めて導入された2019年世界選手権ではその女子団体でオーストリーの銀メダル獲得に貢献した。
翌19/20シーズンは3月のリレハンメルで十字靭帯を断裂、2021年2月にも半月板を損傷してしまい20/21シーズンは全休。復帰した21/22シーズンは前半から安定した成績を残していたが北京五輪直前の2022年2月にPCR検査で陽性が判明してしまい北京五輪は欠場となったが総合10位でシーズンを終え、本人は一定の満足感を得たようである。
公式サイト
https://www.instagram.com/jaciseifriedsberger/
Daniela Iraschko -Stolz ダニエラ・イラシュコシュトルツ (1983)
説明不要のレジェンドであり警察官である。女子ジャンプの国際大会開始当初から参加している選手であり、2000年代はアネッテ・サーゲンと共に活躍した。2004年にハラホフのフライングヒルを飛んだこともある。
元々スキージャンプをしてみたかったが性別のため許されなかったらしい。そのため当初はクロスカントリースキーとサッカーをプレーしていたが最終的にスキージャンプに切り替えた。
ダイナミックで美しいジャンプが特徴的。(個人的に空中姿勢が好きな選手トップ3に入ると思っている。)
27歳になるまで全くの無報酬でスキージャンプをプレーしていた。”女子選手も男子選手と同じ扱うを受ける日が来ることを期待して当時はプレーしていた。今の状況に関してはとても前向きに捉えている。“と答えている。
女子ジャンプが世界選手権に導入された2009年大会から参加しており、2011年オスロ世界選手権では聖地で金メダルを獲得。女子ジャンプW杯開始初年度の11/12シーズンは総合2位、2014年のソチ五輪では1本目を5位で折り返すも2本目は全体1位となるジャンプをし銀メダルを獲得した。
翌14/15シーズンは序盤から絶好調、世界選手権前までに5勝を挙げた。世界選手権でも個人銅メダルを獲得、W杯総合王者に輝いた。2017年世界選手権混合団体では銀メダル、2019年自国開催のゼーフェルト世界選手権では個人NHで銅メダル、女子団体、混合団体共に銀メダルに貢献した。
19/20シーズンはロドラウアーコーチとのトラブルもあったが総合6位。オーストリーのネイションズカップ制覇に貢献した。
20/21シーズンはW杯での表彰台はなかったが世界選手権でオーストリーの女子団体金メダル、混合団体銅メダルに貢献した。
21/22シーズンは2シーズンぶりに表彰台に立ったが五輪明けは膝の手術は必要になり全休した。それでも総合14位に輝きまだまだやれることをアピールした。
サッカー選手としても活躍しており2017年まではFCヴァッカー・インスブルックでゴールキーパーとして活躍をしていた。(このチームは現在ラモス雅輝が監督を務めている。)
今後の目標は”高いレベルのジャンプを可能な限り続ける。“ことであり葛西紀明をヒーローに挙げている。
Eva Pinkelnig エヴァ・ピンケルニッヒ (1988)
オーストリー東部、ドルンビルン出身。
オーストリア連邦国防省、陸軍スポーツ部隊所属の伍長。
24歳の頃までアルペンスキーからスキージャンプに転向した。そのため、アルペンのFISライセンスとポイントを06/07シーズンまで保有していた。スキージャンパーになることは子供の頃からの夢で100mの飛距離を出したいと思っていた。始めた当初はミディアムヒルで30mのジャンプを飛んだ。
2014年のFISカップでスキージャンプの国際大会デビュー、約半年後の12月のリレハンメルで行われたW杯開幕戦ではいきなり14位に入り、そのシーズンの子なわれた世界選手権では個人NHで8位に入った。W杯相互王ランキングでも7位に入りこのシーズンを終えた。
16/17シーズンは12月のオーベルストドルフで転倒し頭に損傷を負ってしまったことにより、ほぼポイントを獲得できず、17/18シーズンはけがによりW杯を転戦できなかったが、18/19シーズンは開幕戦から好調をキープ。自国開催となった世界選手権では女子団体、混合団体でのオーストリーの銀メダル獲得に多きに貢献した。RAW AIRでも二度表彰台に上がり最終的に総合6位でシーズンを終えた。
翌19/20シーズンも好調をキープ。開幕戦で2位に入ると1月の札幌、蔵王の4線虫3試合が優勝、蔵王では団体戦もオーストリーが優勝したため三日間ポディウムの真ん中に乗り続けた。特に日曜日の蔵王(個人戦)での優勝後は涙を流していた。(本人のブログより)
短縮シーズンとなった20/21シーズン開幕直前の12月頭、トレーニング中に転倒しその影響で脾臓を損傷。インスブルック市内の大学病院で緊急手術を受けた。しかし二ヶ月半後の2021年2月18日ルシュノフ大会で復帰を果たした。
趣味は山で活動できるアウトドアスポーツと読書。非常に明るい性格であり日本で開催されたW杯の際にはトライアルジャンパーの中学生たちとハグをするなどコミュニケーションをとっていた。
blog
Chiara Kreuzer キアラ・クロイツァー (1997)
オーストリー中部、シュヴァルツァッハ・イム・ポンガウ出身。オーストリーチームを代表する選手である。
オーストリア連邦国防省、陸軍スポーツ部隊所属の伍長。
12/13シーズンからW杯に出場、15歳でヴァル・ディ・フィエンメ世界選手権にも出場しオーストリアの世界選手権出場者の最年少記録を更新した。個人戦で9位に入った頃をロドラウアーHCに評価され混合団体に出場、銀メダルを獲得した。
翌13/14シーズンはソチ五輪にも出場し総合33位。
14/15シーズンは1月の札幌で3位表彰台に上がり総合18位で終えた。
その後も安定して上位に食い込み2019年世界選手権では女子団体で銀メダルを獲得。19/20シーズンはマーレン・ルンビと激しい総合優勝争いを繰り広げた。最終的に2位で終わってしまったが2月のヒンツェンバッハで3連勝を記録し一時的に総合ランキング首位に浮上するなどこのシーズンだけで6勝を挙げた。
20/21シーズンは表彰台こそなかったが世界選手権女子団体の金メダル獲得に貢献した。そのシーズンオフにフィリップス・クロイツァーさんと結婚、姓がヘルツルからクロイツァーに変わった。
21/22シーズンは開幕から調子が上がらず五輪メンバーから漏れてしまったが五輪明けヒンツェンバッハの女子団体戦でオーストリーの優勝に貢献するとRawAirを7位で終え最終的に総合18位でシーズンを終えた。
Sophie Sorschag ソフィー・ソルシャク (1998)
オーストリー南部フィラハ出身。元々サッカーをやっていてMFだった(正確なポジションは不明)。スキージャンプを始めた具体的な時期は不明だがFIS公認大会に初めて出場したのは2016年であり、本人は競技を始めた時期について遅すぎるのではと心配していた。
オーストリア連邦国防省、陸軍スポーツ部隊所属。
19/20シーズンのコンチネンタルカップで総合2位に入ると20/21シーズンのAチームに抜擢。コンスタントにトップハーフや一桁順位に顔を出し世界選手権のメンバーにも抜擢されオーストリーの女子団体制覇に貢献した。このシーズンは表彰台こそなかったものの総合12位に入りオーストリーのネイションズカップ制覇に大いに貢献した。
21/22シーズンはけが人の復帰などによりW杯組から漏れてしまったが北京五輪にはザイフリーズベルガーの代役で出場。スクランブルであったためトライアルをまともに飛べず、そして五輪用のスポンサーの印刷がないワンピースを用意できずスポンサーのロゴをテープで隠して飛んだ。とにかく急な出場であったためDSQとなってしまった。このシーズン、コンチネンタルカップは複数回優勝するなどの活躍で総合3位に輝いた。
出典
from sport wherehouse
Julia Mühlbacher ユリア・ミュールバヒャー (2004)
個人的に未来のエース候補。
オーストリー北部、ブラウナウムアムイン出身。
2017年1月のアルペンカップで国際大会デビューを果たした。2019年7月にFISカップデビューを果たすと二ヶ月後の9月にコンチネンタルカップデビューを果たした。
12月のノトデンコンチネンタルカップで初表彰台を飾るとこのシーズンコンチネンタルカップの総合を10位で終えた。世界ジュニア女子団体ではオーストリーの金メダル獲得に貢献した。
20/21シーズンは自国開催のヒンツェンバッハW杯に自国枠で出場。世界ジュニアの女子団体金メダルを獲得24位、27位に入り二試合とも二ポイントを獲得した。世界ジュニアでも二年連続で女子団体の優勝に貢献した。
2021年5月にAチーム入りを果たすと21/22シーズンのヒンツェンバッハでも二試合ポイントを獲得。世界ジュニアでも2004年生まれながら個人NH13位、混合団体金メダルを記録し才能を世界に見せた。
https://www.instagram.com/_juliamuehlbacher/
Venessa Moharitsh ベネッサ・モハリッシュ (2002)
オーストリー北部、ブラウナウムアムイン出身。
2016年8月のアルペンカップで国際大会デビュー。二年後にコンチネンタルカップカップに初出場を果たスト2020年、2021年世界ジュニアのオーストリー女子団体金メダル獲得に貢献した
2022年3月のオーバーホフ大会でW杯初ポイントを獲得し、その後北米に渡り3月末までコンチネンタルカップに出場を続けた。
あとがき
オーストリー、サッカーはそこまで目立った活躍をしてないがいい選手多いよねえ 特にブンデス勢。ライナー(BMG),ヒンターエッガー(フランクフルト)、バウムガルトナー(ホッフェンハイム)、ラインハルト(フライブルク)とかレベル高いよな
野球に関しては坂梨広幸氏という方がナショナルチームの監督を務めています。彼は広島の武田高校のスタッフも務めていて、その高校は山間部の進学校であるため一日50分効率よく練習するというスタイルなんですが、近年力をつけており、育成ですが3年前オリックスに選手が行きました。
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