おかねとじかん
資本主義の行き詰まった社会、つまり現代の世の中では、
お金にならないこと
を徹底的に切り捨てる傾向にある。効率化という考えのもとに。
見えないことをゼロ円でカウントしていまうのだ。
そのコストを計算に入れないため、1円玉を全力で拾いに行き、転んで怪我して入院。なんていう事態があちこちで起きている。
一度その、お金至上主義に陥ってしまうと、なかなかその考え方からは抜け出せない。抜け出せないことを悲観的に思うことはないし、それがその仕組みのからくりとも言えるのでそういうものだとして受け入れたほうがいい。
その泥沼仕組みの悪いところは、今、お金を生み出していない自分をどこかの知らない誰かと比べて、生産性が低いと価値をわざわざおとしめるようになってしまうのだ。そうすると暇な時間、何もしていない時間が、耐えられなくなってしまう。違う違う。そういう時間こそ大事なのだ。
いわゆるわかりやすいお金を生み出していない時間をなくして、常にチャリンチャリンしている人がすばらしいという価値観だと、無為無策の時間は意味がないと切り捨ててしまう。
実はその時間こそ生きるには大事だというのに。そういう時間がかるから、稼ぐ時間の必要性を感じられるというのに。主と従の逆転。稼ぎより大事なのは暮らしだ。
いやいや、お金稼ぎがいけないという話ではないのだ。そのマインドに支配されて、大事なことを見落とすのがもったいないという話なのだ。
それには、自由な時間、換言すれば暇な時間、不毛な時間が何より大切なのだ。暇な時間が生み出すものはお金では買えないことばかりなのだ。ただし、その時間を自分の足で生きることだ。その頭で考えて行動することだ。
そのシンプルな法則さえ守っていれば、この世界はあらゆるものをプレゼントしてくれる。
たったいまつらい人には届かないかもしれない。それでも言い続ける、いつか届くこのメッセージを。
お金ではない、時間だ。
お金がなくても生きていけるが、時間がなければ生きているとは言えない。
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