メモ 先日の記事から溢れた文章

 先日投稿した「反省文 父から子に伝える「日本が植民地にならなかった理由」」について、脱線がすぎるので書かなかった文章。いつか他の記事に使うかもなので、ストックしておきます。
 文脈から切り離すと、言葉がきつく感じられるかもですので、「と思う」と語尾についているつもりで読んでいただければ幸いです。

 日本は他国を植民地にする側に回ることで、自らが植民地にされることを回避した。けれどその道を進み続けることは、結局敗戦へと繋がった。

 第一次大戦後、戦争で深く傷ついたヨーロッパ諸国では平和を求める機運が高まり、国際連盟や不戦条約など国際平和への枠組み作りが進められたが、日本は国際社会のルールの変化に充分に対応できず、中国での利権拡大をそれまで通りの感覚で進めてしまった。
 たぶん同時代の人たちは、今までとがめられなかったし、他の国もやっているようなことが、急に非難されるようになった気がして混乱し反発したのではないか。

 アジアの解放を唱えながら、日本軍の占領地統治は褒められたものではなく、動員による死者や餓死者を多数出した。

 ネットだと太平洋戦争中の最大領域が、日本の最大版図と紹介されていることも良く見かけるけど、領土と占領地と勢力圏は区別するべき。

 植民地にならなかった日本、という表現は植民地にとてもネガティブな意味を付与していると感じられる。しかしながら韓国や台湾について日本の統治によって近代化したと主張する層と、植民地にならなかった日本を誇る層は政治傾向的に重なる部分も多いのではないかと思われる。
 植民地になるのはネガティブな事態だが、日本が統治した国は近代化した。この矛盾した認識を解決するのは「欧州諸国の植民地統治は富を収奪するだけだが、日本は統治下の国の近代化に尽力した」という、これもまたよく見かける主張となる。しかしこれは客観的に見て事実とは言えない。日本が朝鮮半島を領有する頃には、列強も日本と同程度には民政にも力を入れ始めている。違う時代と比較して言っているなら、それは意味のない比較だろう。

 歴史を一つのストーリーに乗せて語ることの是非という面も気になります。歴史は無数の人間がそれぞれの意思でめいめい勝手に人生を営む、その集合であり、無数の力が働いて行きつ戻りつしたものが結果として一つの方向に向かって動いていたように見える。その総体をあるがままに認識することは人間には不可能で、何らかのストーリーに仮託するか、一つのテーマに絞り込んで語るよりないのかなぁと思いながらも、自分が子どもにした説明は適切であったか悩みは尽きません。

 半ば以上自分用のメモであるのに、最後まで読んでいただきありがとうございます。本業のサイトもご覧いただければ幸いです。


いいなと思ったら応援しよう!

びぶ
もしサポートいただけたら、創作のモチベーションになります。 よろしくお願いいたします。