世界史 その10 エジプト第1中間期
古王国末期になるとエジプトの中央集権の揺らぎは、もはや回復不可能になってくる。結果として上エジプトでは各州が自立し、下エジプトは無政府状態に陥った。マネトンによれば第7王朝は70日間で70人の王が統治したという。
続く第8王朝は上エジプトの有力者を上エジプト長官に任命し、宰相を兼務させるなどしてエジプトの分裂を食い止めようとした。しかし第8王朝の崩壊は、メンフィスのファラオが名目だけでもエジプト全土を統治する時代の終わりとなった。
混乱の時代である第一中間期前半に対して、後半は南北2王朝の並立時代となる。紀元前2133年頃、上エジプト北部ヘラクレオポリスの州侯がケティ1世として即位。ナルメル時代から続いたメンフィスを都とする時代が終わる。そしてケティ1世の治世の末年にテーベの州侯がアンテフ1世として王を称する。
北部のヘラクレオポリスの王朝を第9王朝と第10王朝、南部テーベの王朝を第11王朝と称する。両王朝は勢力の境にあるアビュドスを巡って繰り返し争った。
テーベはまずより南にあるヒエラコンポリスと争う。テーベの領域全域を蹂躙されたこともあったが、その後、逆にヒエラコンポリスを撃破し、エジプト最南部のエレファンティンまでを直接支配下に置いた。その後アビュドスを支配下に納めたが、この地が第10王朝との戦いの舞台となる。大きな戦いは2回行われ、特に2回目の戦いは最終的に第10王朝の滅亡とエジプトの再統一に繋がった。紀元前2040年頃、ヘラクレオポリスが陥落し、エジプトの再統一が果たされた。エジプトは第一中間期を脱して、中王国の時代に入る。
子どもたちが在宅しているのでなかなか仕事がはかどらず、大きな仕事がやっと片付いたと思ったら、今度は図書館が閉まってしまいました。子どもたちが在宅しているのも変わらないので、文章を書くのが全然はかどらないですが、何とか更新していきたいと思います。
本職はこんなことやってます。
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