「体格差の解消」or「ライバル校のビッグマン封じ」ゴールテンディング導入当時の状況
ゴールテンディングは1944年にプロリーグに先んじてNCAAが採用したのが初だとされている。
それを先導したのが当時オクラホマ大学HCのブルース・ドレイク(Bruce Drake)だ。ドレイクは後にバスケットボールの体格差による有利不利を減らした人物として殿堂入りを果たしている人物である。1930年代、ドレイクは小さな選手達でも選手とボールのムーブメントによって大きなチームに勝てることを証明したのだが、一方で小さい選手が活躍できるためのルールの整備にも尽力していた。
そして、ゴールテンディングはまさに「小さい選手が活躍できるためのルール」の代表的な存在だった。
しかし、ゴールテンディングは「小さい選手が活躍できるためのルール」として売り込まれたのだが、実は当時の状況は、ブルースが「小さい選手が活躍できるため」を思ってと言うよりは全く歯が立たなくなってしまったライバルのビッグマンを抑えるためだったことを物語っている。
1940年代、ビッグマンの時代が押し寄せていた。実はそれまではバスケットボールは鈍臭い長身選手(200cm越え程度)には不向きとされていたのだが、デポール大学のジョージ・マイカン(1942-46)とオクラホマA&M大学(現オクラホマステイト大学)のボブ・カーランド(1942-46)がカレッジバスケットボール界を席捲するようになっていたのだ。
特に驚異的だったのはブロックショットだった。選手がリングより上にあるボールを叩けるとは考えられていなかったのだが、両者はいとも簡単にブロックできてしまっため、度々ゲームが成立しなくなってしまっていた。
その結果、NCAAは1944-45からゴールテンディングを採用したのだが、ゴールテンディングは両者の支配力を多少弱めることには成功したものの、結局はビッグマンの時代を抑えるには至らなかった。ゴールテンディング導入以降、マイカンは1945年と1946年に2年連続で年間最優秀選手賞を受賞し、一方のカーランドはチームをNCAAトーナメント2連覇に導き、その後の長きに渡るビッグマン時代が訪れた。
参考
Bruce Drake(hoophall.com)