寝坊したらキ○タマが片方なくなった話5。退院~抜鉤、病理検査結果まで。
入院四日目。何もなければ退院となる日。
がんという病気は重いものというイメージがある。しかしながら、今はこんなにも短期の入院期間で諸々終わるのか、という驚きがあった。比較的予後のいいがんと言われてはいたが、それでもだ。医者からは、痛みが強いようならまだここに入院していても良いと話はあったが、私は退院を選択した。一人暮らしの方は、退院延期を選択する事をおすすめする。その時はしんどい痛みが残っていた。買い物なども厳しいだろう、無理をして傷口が開いてはどうしようもないと思う。
さて、朝から検温、血圧測定の時間。微熱も下がり、ホッと一息。まだ抗生剤と、栄養の点滴が残っていた。朝からそれをすませると、午後には退院となる。
現在コロナの関係で、病室までの見舞、そして迎えは禁止されている。つまりは帰り支度は全て己で行うのだが、前回述べたが、痛くて全く屈めない。つまり、床に置いたバッグなどが取り出せない。仕方ないので、通りがかった看護師に頼み、荷物を上げてもらった。まあ無理だろうね、無理はしないでねー、とあたたかい声をかけて頂く。こんな事で呼び止めて申し訳ない気持ちはあった。靴などは、足の指でつまみ、手の届くところに気合いで上げた。何せ時間はあるのだ。ゆっくり行っていた。
退院当日も、二刀流の点滴を眺めて過ごす。その時は水分も食事も摂れていた。抗生剤はともかく、栄養の点滴に意味は感じていなかった。入院してからほとんど片手に針を刺しっぱなしだったのだが、その針の違和感は、どうにも慣れなかった。
程なく、退院の時間となる。点滴を抜いた看護師に、出ていく時はどうするのか聞くと、詰め所に声をかけて欲しい、タイミングはこの後は何時でも、との事だった。一息ついてから、荷物を抱えてよちよち歩きで病室を出る。ナースステーションに挨拶をして、エレベーターに乗り、迎えに来てくれた身内と合流する。さて、屋外である。
病院内はフラットな床を歩いていたが、路上は段差や坂がある。その上を歩くだけで、そこそこの刺激だった。買い物をして帰ったのだが、距離を歩くのは相当しんどかった。
さて、我が家に到着である。その後は療養期間で、ただ回復に努めている。キツかったのは、横になる時と起き上がりの時。介護用のベッドではないため、頭だけ起こすなどが出来なかった。寝る時は両足を伸ばしてベッド上に座り、そこから肘を使って少しずつ体を沈めて行く。起き上がりも横を向き、両足を下ろしてから少しずつ体を上げる。鼠径部の傷口ではなく、相変わらず右の脇腹の痛みが続いている。
痛みは日々、少しずつ少しずつ良くなっていったが、傷口ではなく、その周囲が痛んでいた。
特に強かったのが、陰毛が生えていた下腹部辺り(手術のため剃られていた)が、撫でるだけでかなりの痛みがあった。それは手術から一月近く経過した今も、まだ残っている。右の股関節周りもまだ軽い痛みが残っている。もちろん日常生活に支障はないが、いつまで続くものかとイヤになるものである。
しかし、寝てばかりいても仕方ない。退院5日ほどで車の運転を行ってみた。解放感が半端ではない。家に籠る事は、自分にとって精神衛生上よろしくないのだと思った。一日一回、ドライブを行う。気が明るくなるのを実感した。
さて、退院してから10日経過する。予約していた手術の傷跡の抜鉤(縫合は糸ではなくホチキスのため、抜糸ではない)、そして病理検査の結果を聞きに行く。
抜鉤はまあまあ痛みがあった。看護師に傷口にペタリと絆創膏を貼られる。一部傷口のくっつきがよろしくないとの事だった。
さて、病理検査の結果発表である。セミノーマというがんだった、との事。
精巣腫瘍は、9割がた悪性だと医者から入院中に説明は受けていた。その時からがんだろうな、と諦めてはいたのだが、ワンチャン良性であってくれと、正直思っていた。
自分は、がんという病気だった事が確定する。その時改めて思ったが、がんとは重い病気である。そう言われることを受けとめる精神的なもの含め、重さを感じる病気である。
医者からは転移などはないが、腫瘍のサイズが4センチを超えている。再発リスクがあるので、抗がん剤の予防投与を勧める、と説明を受ける。
恥ずかしい話だが、正直慌てた。というのも、今の時代は簡単に情報が集まる。そして、療養中の私には、イヤになるほど時間があった。つまり、セミノーマだの非セミノーマだのがあるなどと、事前に色々調べていたのである。
非セミノーマならば、転移などなくとも抗がん剤があるかも。セミノーマならば、様子見で終わるんだろうな、と思っていたのだ。そして、セミノーマと言われた時、心の中でよっしゃ様子見だな、と思ってしまっていた。その矢先に抗がん剤を勧められ、頭が白くなってしまったのだ。そんな私に更なる情報が続く。現状再発リスクは20%ぐらい。抗がん剤を行うと、5%程に落ちる。そして、これは予防投与なので、軽いものを単剤投与する、再発した時に使う抗がん剤よりはマシ、初回なので、やるなら一週間入院してもらうと医者が言う。
抗がん剤には、正直怖さがある。すぐに返事が出来ない。素人が半端に情報を集めて、勝手に予想(判断)するものではないと思った。医者は次回の受診時に、返事をくれと言って解散である。様子見か抗がん剤か、私に決めてくれとの事だった。(放射線治療も選択肢としてはあったが、その病院では設備がなく出来ないとの事だった)
家路につく前、身内にLINEを送る。返事はやはり、がんという病気を重く受けている感じがある。
さて、抗がん剤をやるか決めねばならなかったのだが、結論から先に言うと、やることにした。しかし、その日は色々と考え、色々と身内からも話をした。
当初は抗がん剤をやることにより、完全に再発しないというならやりがいもあるのだが、結局5%程可能性は残る。抗がん剤により、再発リスクは15%変わる。この数字がどうにも大きなものとその時は思えなかった。正直今も、その考えはよぎる時がある。
正直な話、その時私は少し治療が億劫になっていた。私は幼稚な人間である。わがままである。強欲である。色々なところに旅行に行き、好きなものを食べて好きな事をしたい。もっと大変な思いをされている方も大勢いるなか、何を情けない事をと自分でも思うのだが、先述の通り、私は終わりを自分で勝手に設定していた分、またゴールが先に延ばされ、ウンザリしてしまったのだ。
懊悩しながら、身内とLINEをする。話をする。職場にも行き、少し話をする。周囲の人達は、やったほうが良いが多数派だった。
結局、私は治療から逃れたいだけだったのかもしれない。八割なんともない、に賭けてみたかっただけなのかもしれない。本当に情けない話である。
抗がん剤は、やることにした。色々と話をした身内には、感謝している。やってもやらなくても後悔する可能性がある。ならば、やらずに再発した時の後悔を、何より味わいたくはなかった。
再度の入院をすることになった。