シリアのアブラジズ

29歳の時にイングランドに留学した。語学留学だ。仕事を辞めて、転職して、お金を貯めて、一人で渡英した。英語はちっとも出来なかったので本当に大変だったが、ずっとやりたかった事なので毎日楽しかった。

南部のブライトンから少し西に行ったworthingと言う海沿いの街。小さな桟橋があって、古い映画館があった。公園では老人たちがローンボールズに興じていた。穏やかで、いつも眠っているような街だった。

その語学学校には、色々な国から留学生が来ていた。台湾、韓国、ドイツ、フランス、イタリア、ポーランド、ギリシャ、チェコ、ウルグアイ、エクアドル……その中にシリアから来ている学生もいた。

名前は、アブドゥル・アジーズ。「アブラジズって呼んでよ!」彼はそう言って、にこっと笑った。

年は20才ぐらいだっただろうか?ぽっちゃりして、くりくりの目に、羽箒のようなまつげ。うすい髭を生やし、短髪で、ゆったりとした服にスニーカーを履いていた。入学した当初、アラブ人の学生は彼しかいなかったし、言葉もおぼつかなかったから緊張していたようだったが、俺たちはすぐ打ち解けた。気が合ったのだ。

彼は本当にいい奴だった。何が素晴らしかったのか?とにかく率直な奴だったのだ。疑問に思うことはどこまでも食い下がって質問し、納得のいく答えを求め、当を得た答えを聞けば心から驚き、喜び、感謝をする。 それが本心から出ている言葉だと分かると、言葉の拙さは余り気にならない。

我々西洋化してしまった日本人から見れば、一風変わった生活習慣を持っている事に誇りを持ち、ニコニコとそれを説明してくれる。そして、こちらがそれを理解すると、本当に(本当に!)喜ぶ。 そんな奴はいそうでいない。

たとえはラマダン(断食月)の時。もちろんみんなが彼に聞いた。「ラマダンって、きついんじゃないの?」と。すると彼はこう答えた。「うん、大変だよ、お腹空くし。でもさ、終わると本当にスッキリするんだよね。……だからみんなも断食しようよ!」 各国の学生が全員一斉に断食を拒否。アブラジズはがっかりしていた。

何か日本料理を作ってくれと言われ、適当に肉じゃが作った。「豚肉は使ってないから、安心してね」と言うと、「ありがとう、でも大丈夫だよ。間違って食べても、きちんと謝ったらアラーは許してくれるから」と大真面目に答えた。そんな神様との密着度が素敵だった。 「こんなに美味しいもの食べたことないや、お母さんにも食べさせたいな」そんなことも言ってくれた。うれしかったな。

帰国する別れ際に「友達になってくれてありがとう……俺、寂しいよ」と大粒の涙を流し、握手した事を思い出すと、いまだに泣ける。

……シリアのニュースを聞いて、彼の事を思い出すと本当につらい。頼むから無事でいてくれと、心から思う。連絡なんていつだってできるさと雑に扱って、俺は彼のメールアドレスをどっかにやってしまった。俺はバカだ。

いつか彼が「日本に行って働くことを考えてるんだ」と言った時、俺は多分とても大変だよと彼に言った。日本人はアラブ人に対して排他的だし、差別もある。日本語はとても難しいし、習慣も全然違う。君はとても苦労するだろうと。でも、もし来るなら、俺に連絡してねと言った。彼は考え込み、何も言わなかった。

あの時、君の国を出た方がいいとは言えなかった。今のような状況になるのが分かっていたら、俺はそう言ったかもしれない。しかしあの時そんな事を言えるわけはなかった。それでもとても後悔している。日本に来たらいいこといっぱいあるぜ、1度来てみたら?そう言っていればと後悔しかない。

ある夜、散歩しながら彼が言ったことが忘れられない。

「…夜になるとさ、車で、家族や友達と砂漠に行くんだ。」
「砂漠に?何をしに行くの?」
「敷物を持って、食べ物を持っていって、みんなでおしゃべりをするんだよ」
「へえ、ピクニックみたいなものだね」
「うん、砂漠ってさ、なんにもないんだ。でもさ、すごいきれいなんだよ。すごい静かでさ、星が見えて……あんなにいい所はないよ」

賢い彼のことだ、ロンドンにいるという親戚を頼っているかもしれない。サウジアラビアで暮らすことが多いんだと言っていたから、今もそうしているかもしれない。少なくとも、あの戦火の下にいて欲しくはない。そんな目にあっていいような奴じゃない。俺よりずっとずっとマシな奴なんだ。

自分の気持を軽くしたいだけなのは分かっている。それでも彼には幸せになっていて欲しい。家庭を持って、穏やかに暮らしていて欲しい。それが俺の願いだ。

ただ切に願う。アブラジズ、どうか元気で。

いいなと思ったら応援しよう!