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複雑に生きる|2022-10-02

今回は、うでパスタが書きます。

先週の配信でも紹介しましたが、ここ数年のあいだ謎にドン・デリーロの既刊が続々と邦訳されています。しかしながら、いままでに発表された作品も「墜ちてゆく男」と「天使エスメラルダ」以外はすべて(すべて!)絶版ということのようなので、これら近刊の運命もまた推して知るべしでしょう。ここには書籍が電子化される時代の福音と、それでも紙の本を買い、所蔵することの意味の両方が顕れていると思います。

「ポイント・オメガ」という作品を読みました。
これこそ、ここのところぽつり、ぽつりと出ているらしいデリーロ作品の典型で、本来なら短編集にでも収められているような小品を無理矢理単行本化したといった体裁ですが、一行目から最後まで一貫したその重苦しさだけはさすがのマジモンでした。

「俳句には表現されたこと以外なにもない。夏の池。風に吹かれた葉。俳句とは自然のなかに置かれた人間の意識だ。定められた行数、決まった音節数で語られる、すべてへの答えだよ。私は俳句のような戦争を欲していた」彼は言った。「私は三行で表現できる戦争を欲していた。これは戦力や兵站とは関係がない。私が欲していたのは、儚いものに関係づけられた一連の思考だった。これが俳句の魂だ。すべてを剥ぎ取り、はっきりと見えるようにする。そこにあるものを見てごらん。戦争のなかのものは儚い。そこにあるものを見て、それはいずれ消え去るのだと心の準備をすることだ」
「ポイント・オメガ」(ドン・デリーロ/水声社)

「アメリカはなぜ戦争をするのか」という問いに対する答えは様々に変遷を経ておりますが、これはいわば「どうすればアメリカは戦争をできるか」「我々はどういう理屈でもってこの戦争を戦うのか」を言葉にするために政府に雇われていたひとりのコンサルタントの独白です。
独白をひきだす若い映画監督は、アルフレッド・ヒッチコックの映画「サイコ」を24時間に引き延ばして上映する実在のモダンアートに病的な執着を抱いており、それはつまり世界を、本来は時間の流れと不可分な世界のあり方を微分していくことでそこにいつか質的な変化が生じるのだと直感しているからに他なりません。そしてこの直感は上に引用した老人の世界観に通底しており、ゆえに若者は老人のインタビューを撮影したいと考えるのですが、ふたりのあいだには虚しい時間が流れるだけで、最期には喪失がすべてを覆い尽くして幕が下ろされます。
これは、やはりデリーロが我々のありように対して静かな怒りを抱いており、罰が下されなければならないと考えているからなのでしょう。同様に出版された「沈黙」もまた、突如SNSを奪われたひとびとが耐えがたい沈黙のなかで発狂していくさまを描いておりました。

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