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Affordance
心はどこにあるのか。哲学者を志したものであれば誰しもが一度は疑問に思うであろうこの問いに答えるのはなかなか難しい。というのも、心とは何かを定義しないことには、それがあるのかないのかということを問うのが妥当かどうかを判断できないからだ。とまあ冗談はさておき、人には心があるとしておこう。心があるので、情緒的な機微を理解し、深遠なるコミュニケーションの世界で戯れることができるのである。心理的な描写を理解出来ない人や人の痛みを理解できない者を時に人はサイコパスと揶揄する。サイコとは心のことだろう?
人々はしばしば感情に従って物事を判断する。感情というのは心とは違うんだろうか、心が感じるものなのだろうか。さておき、感情的な判断というのは、自覚できることもあれば、環境やホルモンバランスなどでどうにも出来ない時もあるらしい。悲しいから泣くのか、泣くから悲しいのか。そもそも悲しいとは何なのか。人間の判断の多くはこうした無意識の感情的な反応に左右され、理性的で事実に基づく、合理的かつ長期的に整合的な判断をするというのは困難だ。だからこそ、行動経済学、行動科学の知見は今でも十分学ぶ意味はあるし、進化心理学者が、人間はそう進化したのだからそうなのだ、と同じようなことを繰り返している間に、自分が何にどう反応してしまうのかを学ぶべきであろう。
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