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Soundtrack of Summer|2022-09-01

今回は、うでパスタが書きます。

今年の夏もまた格段に厳しい夏でした。毎年言っています。
もう二〇年近く言っているのはこれが果たして本当に地球の温暖化が進んでいるということなのかという問題なのですが、これは実際には「よく分からない」というところのようです。

少なくとも九〇年代あたりから現在に至るまで東京の夏が徐々に厳しいものになっている傾向はあきらかだということで、これは私たちの体感にも完全に合致するデータです。しかしこれが超長期・不可逆的な「地球温暖化」の開始なのかどうかを観察することは不可能であり、推測は所詮推測であって試行錯誤をしたり経験を蓄積したりもできないというあたりにこの手の巨大な科学のおもしろさと手の着けられなさを感じます。

関係ありませんが、昔ホーチミンシティで採用活動をやっていたら月給四〇〇ドルのウェブデザイナー職に応募してきたベトナム人女性は東海大学へ留学していたことのある日本語話者で、在学当時は地球シミュレーターみたいな巨大なコンピュータで水圏だか大気圏だかのマクロな変動を研究していたということでしたが、今ごろはどこで何をしているでしょうか。うちは落としました。

しかし何しろ地球とその環境には私たちの生活基盤、それを駆動する文明全体が載っかっているのですから、このあたりの意見(観察が不可能である以上、これらはすべてストーリーであることを認めなければなりませんが)対立はありとあらゆる利権を巻き込み、正直に見たままを言えばこれはどうやらにっちもさっちもいかなくなっています。
もちろん私たちの文明が太古に地中へ格納された炭素生成物を発掘しては二酸化炭素にして大気中へ放っていることには間違いがありません。しかし、だからといって産業革命以来のたかが数百年で増加した温室効果ガスが大気の温度を数度も上げちゃうほどガイアもヤワではないだろうというスケールの話も分かる気がします(恐竜の時代だけでも一億六千万年ぐらいあったわけです)し、だからそうじゃなくてこの気温上昇は太陽の活動が活発になっていることによるものであって人類の活動は影響していない、という話になるとスケール感こそは合致してくるのですが、今度は逆に慰めにならないというか「どうすりゃええねん」という感じになってきます。ヤマトでも出せばいいのでしょうか。

最近あちこちで話題の「プロジェクト・ヘイル・メアリー」はまさに宇宙戦艦ヤマトみたいなミッションの奮闘を描くSF、というより「科学小説」と呼びたいような作品ですが、ここでは温暖化ではなく逆に太陽の衰弱による寒冷化を描いています。なぜ太陽が衰弱しているのか、というあたりが独創的で、その面白さは最後まで持続するのですが、それこそ高校の化学教師がバーでビールでも飲みながら書きあげていったかのような手触りのプロットが優しい作品でした。SF小説の一人称が「I」だと、これを「俺」「私」「僕」など日本語でどれに訳すかという問題が特に大きいと思うのですが、「僕」でよかったと思います。

日本でもようやくSDGsへ取り組む姿勢が頻繁に取り沙汰されるようになり、産業社会の狭き門をくぐることができずにくすぶっていた文科系の若者たちがここぞとばかりに気勢をあげているニュースがそこかしこから飛び込んできますが、こういうパラダイムシフトに乗じて我と我が身の一代をなんとか食いつなごうというさもしさ自体は私自身にもおおいに身に覚えのあるところですので、批難のしようもありません。
しかしより大きな問題は、SDGsという考え方自体が発端となった欧米社会ではいままさに時代遅れになりつつあるというところで、このように人間の叡智や善性に訴えようという思想すらも世の流行廃れから逃れえるものではなく、廃れてなおひもじい思いをしながらもその理想を背負って戦っていくような覚悟は最初から自分にはなくてただ楽に目立って美味しい思いをしたかっただけなのだと気付くには、若者たちももっともっと歳を重ねなければならないのであります。

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