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集積 | weekly

「郵便局で働いていると頻繁に奇妙な人に出会う。特に夜勤の窓口を担当していると、普段どこにいるのだろうと思うような奇特な人間に遭遇する。奇特な人間は夜に紛れて行動する。人気の少ない路地を抜け、省エネのために薄暗くなった郵便局にやってくる。出入り口は夜間用の狭い扉しかなく、廊下もどこかよそよそしい。夜行性の動物に特有の動き。眼光は鋭かったり、反応が悪いわけでもない。目は合わせない。何かを探しているのか、探されないようにしているのか。不在通知を手に、色々なサイズ、重さの荷物を大事そうに受け取っていく。郵便局員である私には、伝票に書いてある以上のことは分からないので、書類とか、食品とか、玩具とか書籍とか、まあサイズ的にそうであろうなと思うものもあれば、衣類と書かれた巨大な包や、海外からの荷物は日常生活ではない違和感のあるものもしばしばだ。当然何を送ろうが受け取ろうが適法の範囲であれば自由である。外装がボロボロになった海外からの荷物には、旅慣れたバックパッカーの風情がある。自分など想像もできないような場所から送られてきた包は、掠れた印字、少しくたびれたテープをまとい、ここに到達した。」

彼女は音読をやめ顔を上げるといつものように窓の外を少し眺めてからこちらに向き直った。「旅ってどんなものなんだろうね。」彼女はいつも読んでいるものから少しズレた話をする。読んだものそのものではなく、彼女自身がその読んだものによって受けた刺激から想像したものについて話すので、リアクションを取るのには少し推理が必要になる。お互いに知っているからこそ許されるコミュニケーションにおける飛躍というものがある。これは過去の経緯や、互いに何を知っているのか、という背景知識に対する理解が前提とされる。かつては世界を巡るのに旅行というアクティビティがあった。現在は、人間の移動は制限されている。どこにでも行こうと思えば行けるのかもしれないが、整備された観光地のようなものはないので、安全は保証されない。湾岸にあったタワーマンション群は過去実験都市として設計され、スマートシティ構想の輝かしい成功事例であるかのようなもてはやされ方をした。それがどうしてあんな廃墟群になってしまったのか、というのは諸説あるが、地球という大きな環境の中においては、たとえ低い確率であっても起こりうることは起こる、ということなのだろう。全ての選択肢を等価だと考えるのは物を知らない幼い思考であり、人は成熟とともに選択肢に可能性をかけ合わせ、変な期待を抱かなくなる。とはいえ、その確率の評価が正しいとは限らないし、0ではない、起こりうるものは長い時間の中においては起こりうるのである。

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キノコです。

ポストアポカリプスもののSFなどは大好きでよく読むのですが、実際に自分がそのようなシナリオの渦中に放り込まれてみると、見るのと体験するのとでは違う、という感覚に気付かされます。もし家族がいなければもっと事態を楽しめたかもしれませんが、現状様々な柵があり世界の崩壊を願いつつも、そうならないようにも願わねばならないという相反する感情の間を揺れ動いております。

最近の映画やSFのトレンドに感じるのは、それが起こる過程を描くよりは、事後の世界を描くことが増えているということです。バイオハザード後の世界や、地球外生命体との遭遇後、あるいは端的に現代文明の崩壊後、というものです。個人的に大好きだったブレイク・クラウチのウェイワード・パインズ三部作も、ヒュー・ハウイーのサイロ三部作も事後の世界です。SF作家の想像力の射程は、既に現状の延長ではなく相転移後の事後の世界にいっているのでしょうか。

キノコの想定する事後の世界というものがどういうものかは現在執筆中の小説にご期待いただきたいので、今回は集積の効果についてのお話です。

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