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物語についての物語|2022-08-24

今日は、うでパスタが書きます。

新型コロナヴァイラスによるパンデミックはこれでもういよいよ二年半もの長きにわたり、ただし世界的に蔓延した感染症は初めから「第二波、第三波と波を打つように流行を繰り返し、やがて収まってゆくまで三年ほどはかかる」と言われていたわけなので、我々の飽きや疲れに不思議はないというものの、現象の程度としては驚くほどのことでもないのでしょう。歴史に学ぶことが思いのほか有効な事件だったのだなと、振り返えるとあらためて思わされると同時に、最初から三年つづくと腹をくくってさえおればできたこともあろうに当時は「夏になって暑くなれば収まる」と無根拠なことを宣ってただひたすらに動揺を収め五輪開催への道を拓こうとそれだけを考えていた政治家などもおったわけで、これを今度はどのような教訓として私たちがこの命で編んだ歴史に織り込んでいくかが問われる時間帯となってきております。

しかしそれにしても「一〇〇年に一度」とは罪なインタバルで、戦争とおなじように災禍をその肌で覚えている語り部の多くが世を去ってしまうと人間というのはどうしても脇が甘くなってしまうものです。今回のパンデミックなどはまさにそのケースで、やれmRNAがどうのと快哉を叫んだところで終息までにかかる時間はスペイン風邪のそれとなんら変わるところがなく、身を守る有効な手段は結局のところ一〇〇年前と変わりがなかったわけですが、休校措置や「ソーシャルディスタンス」、事実上の海外渡航禁止によってガランと静まりかえった空を前に愕然としたことだけはいまも記憶にあたらしいところです。そんななかでただしい仕事をしたひとは誰か、それはなぜできたのか、そして私たちはどのようにそうしたひとびとを見分けることができたか(できなかったか)については今後よくよく議論していく価値があると感じます。
私はもう感染症のパンデミックは一〇〇年に一度でもない時代を迎えていると思いますが(現にSARSや鳥インフルエンザなどのヒヤリハットを人類はあらかじめ目撃していた)、それよりも何よりも今度は第二次世界大戦の開戦から一〇〇年の節目がそろそろ意識されるところへ入ってきていることが非常に気になります。

パンデミックの終わりはどうやら誰かが高らかに宣言して大観衆のなかテープカットが行われるというような具合には訪れず、なんとなくやむにやまれず忘れるがままにされたり日常に押し流されたりする形で迎えることになる、というのもまた歴史の教えるところのようです。そんなことから、まだまだ感染者数の動向が警戒とともに報道される日々ではありますが、私は先日、多少の無理を押して家族でベトナムへ遊びに行ってまいりました。
みなさんにはどれほどご存じか定かでありませんが、ベトナムというところもまた日本を含む諸先進国に遅れることおよそ一年の昨春にいわゆるデルタ株の厳しいアウトブレイクを経験し、ホーチミンシティ市内では全市民が事実上の自宅監禁という事態が三ヶ月ほど続きました。

そもそも感染症は軍隊にとって宿命的な大敵で、スペイン風邪のパンデミックは第一次世界大戦の終結を早めたというような話もあります。新型コロナヴァイラス感染症の治療薬として最初に承認されたギリアド・サイエンシズ(US:GILD)のレムデシビルもまた、そもそもは米国陸軍感染症医学研究所というところで研究が進められていたものです。
ベトナムは苛烈な陸上戦の結果として悲願の祖国統一を果たした現代史もあっていまも陸軍の影響力が非常に強いことが知られていますが、今回のパンデミックでもいちはやく事態が軍によってコントロールされていることが知られ、いわゆる「野戦病院」も比喩ではなく本当に軍が戦争で使う野戦病院が市内の空き地に展開されて感染者の隔離をおこなっていることなどが報じられておりました。ちなみにこの野戦病院は、「空調なし/Wi-Fiあり(たぶん電源なし)」という過酷な環境であったと聞かれております。

このようなことから、従来ならば外出禁止だろうが営業禁止だろうが公安(警察)に現金を渡せばどうにでもなると思われていたベトナムで、どうやら今回は公安と軍が共同で検問を張ったりしていたために市民も公安もめったなことはできず、相当に実効的な、厳しいロックダウンが行われていたというのが私の聞いている話です。なにしろ一時は町内で強制検査があって陽性が出ようものなら有無を言わせず隔離キャンプへ連行され、連れていかれる先はWi-Fiしかない野戦病院だったということですから、それから一年あまりが経つとはいえ家族で訪れる私も少なからず緊張しながらかれこれ四年ぶりとなるホーチミンシティはタンソンニャット国際空港へと降り立ったわけであります。

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