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とある都会の「ライフ・スタイル」|2023-01-18

今回は、うでパスタが書きます。

人生も残りわずかとなってきました。
しばらく前から気付いていたのですが、こうなるとどうも本を読んでいても「あれも読まないといけない」「これも読まないといけない」と気が急いて目の前の本に集中ができません。
岸田総理が年末年始に鳴り物入りで購入した「カラマーゾフの兄弟」を早々に投げ出したという話が出ていました。これを馬鹿にしたひとはあまり本を読まないひとで、「まぁそうだよな」と思ったのが読むひとではないかと思います。

読みにくいものをただ読み切ることだけを目標に歯を食いしばって読むあいだにしか摂取できない栄養が、この世にはたしかに存在します。ただしこれはマッコウクジラが若さに任せて大量に飲み込んだ海水のなかからわずかなプランクトンを漉し取りながら巨体を維持しているというような話で、この栄養と投入するコストを比べ始めるとどうも先行きの長くないおじさん不利(いわゆる「タイパ」問題)となるわけでして、貧すれば鈍すと申しますか、どんどんと打つ手のないコーナーへと追い込まれていることを日々感じる次第です。

「打つ手のない」と申しましたが、つまるところ失敗のないところに成功はなく、「こりゃダメだ」と投げ出すような本に手を出さなくなると、「これは良かったな」と思える本に出会う機会も少なくなることをお話ししています。しかももう余命幾ばくもないというようなことになってまいりますと、「これはいい本だから手もとに置いておこう」と思ったあといちども開いていない本がまた大量に本棚に並んでいるのも「これはいったい何だろうな」と思われてきますし、さて限りある時間のなかでかつていいと思った本をもういちどあらためて紐解くか、または当たるも八卦であたらしい本に取り組むかという、若い頃にはあまり考える必要のなかったことをいちいち悩まなければならないのが昨今の状況です。

その点では、いわゆる実用書やノンフィクションを読めばどんなにつまらなくても何らかの知識や知見をあらたに得ることができるという安心感がありますので、ここ数年は焦燥感に背中を推されるような格好でこの手の本ばかりを読んできたようなところがあります。しかし小説を読まない人間はどうしても軽薄になるというようなとんでもないことを村上春樹も言っていたようですし、私もこのままでは向こうが見えてしまうのではないかと心配なぐらい薄っぺらい人間になってしまいました。さすがにこのままでは死ねない、と思い決めて今年は新旧の小説へ必死にかじりついていこうとしています。

ブレット・イーストン・エリスの「アメリカン・サイコ」を読み直しています。
どうやらもう刷られていないようで、Amazonでもマーケットプレイスで古本を手に入れる以外にありませんでした。しかも上下で版が異なるという有様で、私は本来こういうのには耐えられないのですがもう背に腹は代えられません。

最近の若いひとは「Z世代」とか言われているのでしょうか。
もうどういう生態をもってそう呼ばれているのかもよく分かっていませんが、かつても「ジェネレーション・X」とか「ロスト・ジェネレーション」とか「ミレニアル・ジェネレーション」とか、若者にはいろいろの類型化がなされてきました。「いやひとはそれぞれに個人として人格と個性が認められとるんちゃうんかい」とも思うのですが、「時代精神」という言葉もあるように、ある時代にその社会に広まる支配的な思想、あるいは空気の存在を否定することは難しく、逆に「そんなものはない」としてしまうとひとは歴史や社会から隔絶して生きていかねばならず、それはとりもなおさず文化を剥奪された(放棄した)状態を意味するわけですので、まず生活ができないよねという、ここに啓蒙主義や自由主義の本音と建て前があります。これを突き詰めていくといままさに私たちが直面している「アメリカによるヘゲモニーと、それに異を唱える世界のもう半分」という問題へ行き着くのですが、炎上している暇もないので今日はやめておきます。

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