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夢見た世界のただなかで|2024-12-23

今回は、うでパスタが書く。

バズと結婚はみんな「してみたい」というが、一度すると「一度でいい」ともいう。結婚にまつわるジョークは文字どおり古今東西を問わず枚挙に暇がなく、“HA HA HA……”と自分も笑ってみたくて一度は結婚するのだろうが、いざそのときにはもう笑い事ではなくなっている。しかしそうやって笑顔の消えた日々で既婚者を万力のように絞り上げていくと、また一滴の秀逸な結婚ジョークが生まれるということなのだろう。

バズったポストは一定以上の回数シェアをされた時点で作者の手を離れ公共物になるという話がある。さんざんいろんな人の手が触れ、目に触れたポストを見かけると、そこに元々の書き手がいて個人的な背景があり特有の事情があるということを多くのユーザーが気にも掛けず、赤の他人だということを忘れて自分の言いたいことを元のポストに対して送りつけ始める。「テレビに向かって突っ込む感覚」とか「いまだに爆サイみたいな掲示板を使っている人間の特徴」とかいろいろ言われているが、病理はいまだに深い闇のなかだ。元のポストの主は、自分のポストが公共物になったと思って諦め、粛々とミュートを繰り返すのみである。

もっともこの場合の「公共物」とは持ち主が諸々の権利を放棄する意味でそう喩えているだけであることには注意が必要だ。公共物は所有者が大きな大きなエンティティであると説明することもできるが、仮に自分もそのエンティティに属しているからといって何をしてもいいわけではない。東京都民だからといって都営住宅に侵入したり落書きしたり、「あれは俺のもんだ」とか主張したりしてはいけないのだ。
公共物であるとは、その所有権をみんなが少しずつ分け合っているということではないのである。それにもかかわらず、公共物だから手荒に扱う権利が自分にはあると思い込んでいるような連中、そういう人々までをも巻き込んでポストが拡散されてしまった、この後段への諦めが「公共物」という表現に滲んでいる。問題の本質は、そもそも公共物に乱暴する人間の存在だということになろう。

予想通り(声を大にして言いたいのだが、これは私の予想通りなのだ)、九〇年代から現在にいたるまで世界を席巻したといえるグローバリズムとリベラリズムの退潮はいよいよ誰の目にも明らかになりつつあり、その範囲は自由貿易、人権外交、環境保護、性的多様性の受容など、およそ現代社会のあらゆる論点におよぶ。

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