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「平日の14時過ぎ。下町の定食屋さんは夜まで休みなくお店を開けてくれている。ずっとお客さんがいるわけでもなく、夕食の仕込みをしながらたまに訪れる人々を捌いていく。配膳係が賄いを隅の席で食べているような時間帯は、お客さんとお店の人との関係も少し緩くなる。神棚の近くに設置されたTVは厨房からも見えるように調整され、音量もやや大きく感じる。ちょうど午後のワイドショーの時間で、芸能人の結婚や離婚の話をコメンテーターの見解とともに放送している。日替わり定食の内容はアジフライとカニクリームコロッケでどちらも私の大好物だ。副菜としてはよく味のしみた切り干し大根とミカンの入ったポテトサラダが付いてきた。おかずにフルーツを入れるのは許せない。減点。お味噌汁の具はワカメと絹ごし豆腐で、奇をてらわない実直さが好ましい。見るともなくTVを眺めていると番組の内容は訃報に変わっていた。誕生から死に方まで、詳らかにまとめられた人生をざっくり5分程度。自分も幼い頃にはこの芸能人が出ているTV番組をよく見ていた気がする。芸能人というのは、親戚でもないのに、人生の転機を逐一報道されるので、いまは行方の知らないあのおじさんよりもずっとよく今何をしているのかを知っている気がする。結婚や出産を機に芸能界を辞めるという人間も多いが、それは日々の細かなことをあれこれ言われないために必要なことなのだろう。有名税という言葉があるが、芸能人になるということはプライバシーを売り払うということに等しいように見える。もちろん、報道されている内容が真実だとして、だけれども。」
彼女はタブレットから顔を上げ、お気に入りの電解水で喉を潤すと、こちらに向き直りいつものように音読していたものについての感想を述べ始めた。曰く、芸能人というのは実在の人間なのか、というのが要旨であった。人権のない時代には人の人生をコンテンツとして消費することが認められていたようだが、今となっては実在する人間がそのように消費されることは許されないし、そもそもコンテンツは見る瞬間に生成されるもので、他人の存在に左右されることはない。彼女の先ほど読んでいた日記に書かれているような、TV番組というものがなくなってから久しいし、彼女の年代なら知らなくて当然だろう。
かつて人生にあったいくつかの転機。誕生、進学、就職、結婚、出産、転居、昇進、転職、離婚、死別などなど。人生というものは多少の紆余曲折はあるものの、誕生してから死ぬまでの過程である。転機における選択が、その後のシナリオに大きく影響するので、人は迷い悩み、よりよい選択をしようとする。芸能人の人生というものは、ドラマチックに脚色されてはいるものの、人生の転機に迷う人にとっては参考になるものだったのかもしれない。今となっては他者の想像による物語に従って意思決定をするなどという愚行は禁止されているわけだけれども。人々の注目を集める仕事というのはいまは仮想空間か、小型ドローンで見られる野生動物くらいしかいない。
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キノコです。
アテンション・エコノミーと言われて久しいわけですが、マーケティング活動が経済活動に大きく影響するようになり、認知を得る、注目を浴びる、ということがマネタイズに直結してしまうようになってしまいました。人は見たいものを見たいように見ると昔から言われているように、人々が見ているものはその時々の関心を反映し、またそれがフィードバックによって強化されていくものです。TVが下劣!と憤る人もいますが、それが人々の関心を反映したものである以上、民度を上げていく以外にメディアの放送する中身を変える方法はないのでしょう。
一方で、個人的にはインターネットのおかげで現職の研究者や編集者、作家という人々の発言や思考の過程を垣間見ることができるようになり、選択さえ誤らなければこれまでには見ることができなかった良質なコンテンツに囲まれて暮らすことも可能なのでは、と感じます。まあ人気の漫画家が段々過激な発言を繰り返し承認欲求に溺れていくというのを見るのが良質なコンテンツ体験かというと人によるかもしれませんが。
というわけで本日はコンテンツ産業とネット、みたいな話です。
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