雨の音/三千世界の蛙の声で|weekly vol.0109
今週は、うでパスタが書く。
冗談じゃない、というレベルで雨がつづいている。
そもそもいろいろと冗談じゃないことが多くてもうそんなことに怒るひともあまりいないが、八月も下旬になって「ふたたび梅雨入りしました」なぞはまさに「冗談じゃない」という感じだし、その梅雨とやらがどこへ行ったのかも分からないうちに今度は気温が下がって秋雨に入ってしまった。寒い。
わざわざ閉めきった部屋でエアコンをつけている場合でもなくなったので、この数日は窓を開けて生活をしていた。
寒いといってもまだあたりが湿気るには充分な気温だから面倒は面倒だが、しかしこうしてみると網戸を通して入る雨の音は思いのほかにやわらかく、しとしとと続くそのあいまにたまさか通り過ぎるクルマの立てる飛沫の音をいつしかじっと手を止め、息をひそめて待つようになっていた。
地上数十階にもなるタワーマンションの部屋には雨の音がとどかないと聞いた。窓が開かず、バルコニーがなく、そして何よりそこは地面から遠すぎる。だから住むひとはエレベーターで一階へ降りてエントランスを出るまで外が雨だということに気付かないのだそうだ。
そう、空では雨は音を立てない。雨は地面に落ちてはじめて音を立てるのだということを、僕は最近はじめて知った。
うちのものではないとはいえ、土地だけはあたりにいやというほどあった田舎の実家がへばりつくように建っていたのは隣家が世話する水田の端で、水田の向こうには外周が二キロぐらいある大きなため池があった。
幼い頃から僕が休んでいた寝室はまさにそこからたったの壁一枚をはさんだところにあったから、雨の音はおろか長い夏には夜通し続いた三千世界の蛙の声のなかでいつしか子ども特有の、深くて健やかな眠りに就いていた。この蛙の声というのは、たとえば大寺院の伽藍の下で一〇〇人の僧侶が銅鑼を鳴らしながらいっせいに経を唱えるようなトランスで、何を拍子にか絶えては起こり、起こっては絶えながら延々とつづく。こんな大騒ぎのなかでどうやって眠ればいいのか、と思っているうちにいつしか眠りに落ちている。そういう大音声だ。
十八で東京へ越してきて、上石神井のワンルームマンションに住んだ。赤坂あたりのホテルで皿に乗ってくるケーキみたいな、ちいさな、ちいさな部屋だ。紹介してくれたのは東京で不動産屋をやっていた、伯父の大学の同級生だった。一緒に東京へ着いてきた母を高田馬場の駅前で見つけると、「妹さん、お母さんにそっくりになられましたね。私、あの角を曲がったときからすぐに分かりましたよ」と本当に嬉しそうに声を弾ませていた。
実家から出ることなく嫁に出た母には、ひとり暮らしの経験がなかった。
それ以上にそもそも二階屋の必要がないひろびろとした家でしか暮らしたことのなかった母の目にあの部屋がどう映っていたのかは分からない。話に聞く学生寮や、かつての同級生が住まっていたかもしれない下宿のようなものを想像して覚悟はしていたのかもしれない。なにせ東京の家賃だし、僕の知らない経済的な制約も当然あったのだろうが、母と旧知の不動産屋、それから僕の「まぁ、こんなところだろう」という思いはどうやらすぐに折り合った。結局四畳半だった実家の自室からほとんどすべてのものを送ったが、信じられないことに全部がそこへ収まった。
ちなみにこのアパートはいま「築二十四年」として情報サイトに掲載されているが、二十五年前に僕が入居したときにはもうだいぶん旧かったから、これはかなり悪質なサバ読みだといえるだろう。
初めて実家を離れて暮らし始めたその夜は眠れなかった。
大都会とはいえ、いま思えば閑静な練馬の住宅街で車通りもなければ人の声もせず、隣の物音もほとんど聞こえない恵まれた物件だったが、窓ガラス一枚を挟んだベランダで唸りつづけるエアコンの室外機と、それからミニキッチンで動いては止まり、止まっては動く冷蔵庫のモーター音が気になってまんじりともできないまま朝を迎えてしまったからだった。
ワンルームで寝起きするというのはこういうことかと身体で分からせられるひとり暮らしの不親切さと、これから始まる新生活のどんな想像にも先立つ自分のひ弱さに涙が出そうだった。
ここから先は
¥ 300
九段下・Biblioteque de KINOKOはみなさんのご支援で成り立っているわけではなく、私たちの血のにじむような労働によってその費用がまかなわれています。サポートをよろしくお願いいたします。