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変異 | weekly

「本能と言ってしまえばそれまでなのだが、自分でもなぜそうしたいのか分からない衝動に駆られる時がある。遺伝子に組み込まれたとか、生命力とか、言い方は色々あるらしいが、内から湧いてくる何かに突き動かされるという瞬間がある。脳の活動の大半は自覚ができない無意識レベルのものだという話もあるけれど、確かに自分が何をどう動かして歩いたり読んだり食べたりしているのかというのは説明もできない事が多い。医者や学者であれば身体がどのように機能しているのかということを逐一説明できるのかもしれないが、その他大勢の人間にとっては自身の身体というのは所有物でありながらもコントロールも意識もできない異物なのであろう。心身二元論という考え方があるが、自覚のできないプロセスで動いている身体と、少なくともこう思うという自覚をしているように感じる何かしらの自己感というものの核がそれぞれあるとしたら、肉体は魂の器であるという話も非科学的だと笑い飛ばせないほどには説得力があるのではないだろうか。肉体、身体と魂と言われるような自己感覚を分け隔てることなく、ひと続きの自己として認識するというのはどういう感覚なのだろうか。腸内には数兆の細菌が住んでおり、皮膚にもまた数多の細菌が住んでいる。人間と共生しているように見えるが、ひとたび宿主の免疫力が低下するや、皮膚病や腹痛を起こす原因に変化する。気分の変化も腸内の細菌の状態に左右されるとも言われている。人間というのは果たして自身のことをどのくらい理解しているのだろうか。自分のことは自分が一番良くわかっている、などというのは戯言なのではないか、と感じることがある。特にそう、恐怖を感じる時、生命の危機に瀕した時には。」

彼女の最近選ぶものは100年程度の周期で起きる世界的な危機の際に書かれたものが多い。1900年代の初頭に流行ったスペイン風邪、2000年代前半のCOVID-19、そして2100年代には大規模な気候変動により海に面した都市が軒並み壊滅した。この図書室から見える湾岸のタワーマンションの廃墟もまたその際に出来上がったものだ。廃墟なのに出来上がる、というのもどこか不思議な言い回しかもしれないが、ひと目見てもらえば分かるように、ある種の廃墟というものは美しく荘厳で、その退廃的な造形美は意図を持って創り上げられたようにも見えるのだ。彼女の関心は当時の人々の自意識、世界観といったところのようだが、データ化が不十分な時代の話なのでいまのような分析もできていないし、曖昧な思い込みに満ちた反省文のようなものがほとんどだ。とはいえ、そういうところが逆に新鮮なのかもしれない。全てが瞬時に計測され計算されてしまう世界においては、魂の揺らぎのような話を考え出すのは難しい。魂が生まれ変わり、新たな肉体に宿るというメタファーは非常に興味深い。ログから構成されるその人間らしさ、というものと魂に備わっているその人らしさというのに違いはあるのだろうか。世界は突然変わる。蓄積された変化への圧力が分水嶺を越える力となり、これまで見えていなかった世界への扉を開く。変化の予兆はそこかしこにあるように、後から振り返れば見えるかもしれないが、走り続けている当人たちには目の間を過ぎ去っていくその瞬間しか目に入らず、ただひたすらに前に進もうともがき続けるその先にたまたま現れた何かでしかない。その時どこにいるのか、ということが人生を大きく左右する。自ら選ぶことができない、時代や環境とともに生きることしかできないのであれば、それを否定し続けるのではなく、前提として受け入れねばならぬものだと考えるのが自然だろう。しかし、人は運命に抵抗し、変化を求める。その原動力もまた生命のもつ面白さではある。

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キノコです。

このnoteで繰り返し触れているものの一つにネットワーク効果というものがあります。そして、ネットワークを通じて伝播されるフィードバックというものが、ネットワークを強くしたり壊したり、弱くしたりします。フィードバックは一回きりのこともあれば、繰り返されるものもあるし、ネットワークの構造によってはループされることもあります。SNSなどで言われるエコーチェンバー現象というのもこうしたフィードバックループの一つでしょう。自分に都合の良いものへのバイアスが強化され、その他の情報へのアクセス経路が弱くなる。インフラと同じように、こうした情報の経路というものも自覚的にメンテナンスをする必要があるのではないかと思います。

類は友を呼ぶ、というのは人間関係のネットワーク構造を観察した結果の描写として非常に適切で、ようは自己強化型のフィードバックによって人間関係が築かれていくことが多いという発見なわけです。それゆえ、うっかりとそこにとどまり続けるとループの中にハマってしまいなかなか新しい方向に進めなくなってしまいます。経路に依存する、というのはあらゆる自然現象に当てはまるわけで、新規の刺激を得るためには常に新陳代謝や創造的破壊が必要だということです。人は安易に流れる生き物で、惰性で生きており、手癖で物を作ります。それがいけないということもないのですが、そうなりやすいというバイアスを自覚するような機会の有無は人生の質に影響するのではないかと思うわけです。

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