暗黒の魔窟でかすかに灯るいのちの光

    私の名前は林桜、全能神教会のクリスチャンです。全能神を信じるようになる前は、生活を少しでもよくしようと、いつも自分の能力に頼って一生懸命働こうとしましたが、物事が自分の思い通りになることはなく、その代わりに次から次へと壁にぶつかり、次から次へとつまずきに苦しみました。生活のつらい困難を嫌というほど味わった私は心身ともに疲れ果て、その苦しみは言葉にできないほどでした。苦痛と絶望のさなか、ある姉妹が終わりの日の全能神の福音を私に宣べ伝えてくれました。

神様の御言葉にこうあります。

    「あなたが疲れているとき、この世の荒廃のようなものを感じはじめるとき、途方に暮れてはならない、泣いてはならない。全能神という、見守る者がいつでもあなたが来るのを抱擁して迎えるからである。」(『言葉は肉において現れる』の「全能者のため息」より)

     これを読んだとき、涙が流れ落ちるのを止められませんでした。全能神の母のような御言葉に私は大いに慰められ、長年さまよった末、ようやく母の胸に抱かれる道を見つけた孤児のように感じられました。もはや孤独感や無力感を抱くことはありませんでした。その日以来、私は神様の御言葉を毎日熱心に読みました。また全能神教会の兄弟姉妹との集会や交わりに参加することで、多くの真理を理解するようになるとともに、兄弟姉妹が全員とても善良で正直な人であることを知りました。彼らのあいだで嫉妬混じりの口論が生じることも、互いに陰謀を企てることもなく、誰かが問題を抱えるたび、兄弟姉妹の全員が真理について真剣に交わり、その人の問題解決を助けていました。助けは常に無条件で提供され、見返りを求める人は誰もおらず、そうした人たちの中にいると、それまで感じたことがなかった解放感と喜びを覚えたものです。全能神教会は清らかな場所だと深く実感し、全能神こそが人類を苦痛の海からお救いになれる唯一の真の神様だと確信するようになりました。しかし神様の愛を享受していたまさにそのとき、中国共産党政府が私を不法に逮捕、迫害し、幸福と喜びに満ちた私の生活を破壊したのです。

    2003年8月12日の夜中、ぐっすり眠っていたところ、ドアを激しく叩く音に驚いて突然目覚め、「開けろ、開けるんだ」という誰かの叫び声が聞こえました。私がなんとか服を着るより早く、大きな音に続いてアパートのドアが激しい勢いで開き、獣のように乱暴な警官が六人乱入してきました。私は驚いて、「いったい何です」と訊きました。するとリーダー格の警官が「とぼけるんじゃない」と私を叱りつけ、手を振りながら「室内をくまなく探すんだ」と叫びました。すると数名の警官が強盗のようにクローゼットや戸棚をあさり始めました。まもなく、炊事用具、衣服、布団、食料などがみんな床に投げ捨てられ、私のアパートはすっかりめちゃくちゃにされました。家宅捜索が終わったあと、警官たちは私を部屋から押し出し、パトカーに引きずり込みました。また彼らは、240元で買ったばかりのCDプレーヤー、現金80元、積み上げてあった神様の御言葉の本を押収しました。このような光景は夢の中でさえ想像できないものでした。テレビ番組の中でしか起こらないことが、いま自分の身に降りかかったのです。極度のパニックに陥って恐怖を覚え、心臓が激しく鼓動しました。私は途絶えることなく神様に祈り、自分が神様の証しを立てられるように、兄弟姉妹を売ってユダになる前に死ねるように私をお守りくださいとお願いしました。

まさにそのとき、全能神の御言葉が突然頭に浮かびました。

    「あなたは、あれやこれやと恐れてはならない。どれだけ多くの困難や危険に直面しようと、あなたはわたしの前に固く立ち続けなければならない。わたしの旨が遂行されるためには、何によっても妨害されてはならない。…恐れるな。わたしの支えがあれば、誰にその道を塞ぐことができようか。このことを覚えよ。覚えよ。」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第十章」より)

    神様の御言葉は私を大いに慰め、おかげで心が徐々に落ち着きました。その御言葉により、私が信じている唯一の方は天地の万物をお造りになった支配者であり、万物はその方の手中にあり、サタンと悪魔もその足元にあり、神様のお許しがなければサタンは私に何もできないことに気づきました。自分はいま神様によるサタンとの戦いの重大な局面に立ち会っているのです。いまこそ私が証しを立てることを神様が必要となさっているとき、私が神様の御言葉を経験して真理を得るときです。しっかり立って神様の御言葉通りに実践し、サタンに追従したり屈服したりしてはならないのです。

    パトカーはサイレンを甲高く鳴らしながら、猛スピードで警察署の中庭に入りました。停車するや否や、警官が私をパトカーから乱暴に押し出しました。私は両手を前に突き出した格好で前方へ飛ばされ、壁に激しくぶつかってようやく止まりました。警官たちの興奮した笑い声が背後から聞こえました。次いで警官たちは私を狭い部屋に押し込み、私が息を整える間もなく、警官の一人が名前のリストを読み上げ、この中に知っている者はいないかと訊きました。私が返事をしないでいると、警官たちは前に進み出て私を囲み、蹴ったり殴ったりし、そうしながら名前を読み上げました。そして邪悪な警官が私の髪を掴んで無理矢理立たせ、私の顔を二度激しく平手打ちしました。頭がくらくらして視界がぼやけ、口の端から鮮血がしたたり落ちました。

    次に警官の一人が名前のリストを取り出し、私の前に放り投げてから激しい口調で言いました。

「こいつらの名前を知っているだろう。おまえの名前は何だ」

    そのとき、私は痛さのあまり話すことさえできませんでした。しかし私が答えようとしないのを見た邪悪な警官三人が私に飛びかかり、意識を失うまで再び蹴ったり殴ったりしました。

    翌日の早朝、邪悪な警官たちが私を公安局刑事捜査部の尋問室に連れ出しました。部屋に入ると、まるで私を殺したがっているかのようにじっと見つめている大柄な男数人の姿が目に入りました。室内にはありとあらゆる拷問道具が並び、私は目の前の光景にすぐさま不安を覚えました。悪魔の巣窟に陥ったかのように思われたのです。骨の髄から恐怖を感じ、再び不安と心配に襲われました。

     「昨日はあんな風に拷問されたけれど、公式な尋問ですらなかった。今日起きることから逃れる術はなさそうだわ。残酷な拷問を受けても私は耐えられるかしら」

そして心からの祈りを神様に唱えました。

    「ああ神様、私はいま恐怖で一杯です。この悪魔たちの拷問に耐えられるかどうか、証しを失ってしまうのではないかと不安です。どうか私の心をお守りください。あなたを裏切るくらいなら、殴られて死ぬほうがましです」

    すると神様の御言葉の一節が頭に浮かびました。「権力を持っている者たちは、外側から見ると悪質に見えるかもしれないが、恐れることはない。それは、あなた方の信仰があまりに僅かだからである。あなた方の信仰が成長する限り、難しいことは何もない。」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第七十五章」より)

    神様の御言葉には権威と力がありました。そのおかげで私はたちまち内なる力で満たされ、私は思いました。

    「神様がそばにいらっしゃれば何も恐れることはない。この人たちがどんなに威張り散らしても、外見上は凶暴に見えるだけの張り子の虎に過ぎない。この人たちはもう神様に打ち負かされているのだから、怖がることなんてないわ」

    そのとき、邪悪な警官の一人が大声を上げました。「教会でのお前の立場を言え。上長は誰だ」

    神様の御言葉に支えられていた私はまったく恐怖を感じず、その質問に答えませんでした。私が答えようとしないのを見たその警官は、怒り狂う獣のように私に向かって叫びました。

    このあばずれを立たせろ。つま先立ちにさせて、我々がどれほど真剣か思い知らせてやれ」

    すると邪悪な警官二人が私に馬乗りになり、両腕を乱暴に背中へねじ上げ、持ち上げました。たちまち強烈な痛みを感じて悲鳴を上げてしまい、やがて気を失いました……目が覚めると私は床に横たわっていて、鼻血が出ていました。意識を失ったあと、あの邪悪な警官が私を床に放り投げたのは明らかでした。私が目覚めたのを見た警官たちは、私をある部屋に引きずり込みました。そこはとても暗く、目の前にある自分の手すら見えません。あたりは漆黒の闇、冷え冷えと湿り、尿の臭いがひどくて呼吸するのも困難でした。すると邪悪な警官の一人がドアを閉めながら意地悪く言いました。

「よく考えるんだな。白状しなければ飢え死にさせてやる」

    私は氷のように冷たい床に倒れ込みました。全身が痛み、弱さと絶望を感じずにはいられません。

    「神様を信じて崇拝するのは被造物に課せられた不変の法なのに、全能神を信じることの何がいけないの。私たちは神様を信じることで正しい道を歩けるし、それは違法でも犯罪でもない。それなのにこの悪魔の集団は、死刑に価する罪を犯したかのように私を扱っている。まったく耐えられない」

そして痛みに苦しみながら、神様の御言葉の賛美歌を思い浮かべました。

   「あなたがたの内でなされた働きと、あなたがたの内に授けられた祝福を取り除くことは誰にもできず、あなたがたに与えられたものすべてを取り去ることは誰にもできない。…このため、あなたがたは神にさらに献身的でなければならず、神になおさら忠実でなければならない。神はあなたを引き上げるので、あなたは努力を強化しなければならず、神の委託を受け入れるために霊的背丈を整えなければならない。神があなたに与えた場所にしっかり立ち、神の民の一人になることを求め、神の国の訓練を受け入れ、神によって得られ、最終的には神への栄光の証とならねばならない。このような決意があれば、最終的にあなたは確かに神によって得られ、神への栄光の証となるだろう。主な委託は神によって得られ、神への栄光の証となることであることを理解しなければならない。これは神の心である。」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「神の意志を失望させることはできない」より)

    頭の中でこの賛美歌を歌い続けていると、全身にぬくもりが広がりました。神様が私のすぐ横にお立ちになり、愛情溢れる母のように私を慰め勇気づけ、私が弱って倒れ、信仰を失うのではないかと心配なさり、私を優しく励まし、促していらっしゃるかのように感じられたのです。それはまるで、私が置かれたこの苦境は神の国に入るための訓練、神様の永遠の祝福を受け取るためのサタンに対する勝利の証し、神様が与えうる最も貴重ないのちの富、神の国に入るために特別に立てる美しい証しだと神様が私におっしゃっているかのようでした。私は感動のあまり涙をこぼし、思いました。

    「ああ全能神よ、私はあなたから行なうように託されたことを決して忘れず、この訓練の機会を受け入れます。あなたと真摯に協力し、あなたの光り輝く証しをいたします。骨抜きにされてサタンの笑いものになることはありません」

    三日目の朝、私は数名の警官に再び尋問室に連れていかれました。邪悪な警官が私の頭を警棒で軽く叩きながら、薄笑いを浮かべて「どうだ、よく考えたか」と言いました。そして教会員の名前が記されたリストを見せ、彼らの身元を話すよう命じました。私は無言で神様への祈りを唱えました。

    「ああ全能神、サタンが再び現われ私を試し、あなたを裏切り兄弟姉妹を売らせようとしています。私は絶対に、ユダのような恥ずべき人生を生き延びることを拒みます。あなたが私の心をお守りになることだけを願います。私があなたを裏切るようなことをしたら、どうかお呪いください」

    たちまち自分の中で力が湧き上がるのを感じ、「誰も知りません」とあくまで言い張りました。そう口にするやいなや、邪悪な警官が二人私に飛びかかり、一人が私の片脚を引っ張る一方、もう一人が硬い革靴で私の膝を踏みつけました。そうしながら、「誰も知らないだと。本当に誰も知らないのか」と激しい口調で言いました。私は強烈な痛みに再び気絶しました。冷たい水をかけられて目を覚ますまで、どれだけの時間気を失っていたのかわかりません。意識を取り戻すとすぐ、邪悪な警官が拳を振り上げ、私の胸を殴りました。しばらく呼吸できないほどひどい殴り方でした。すると別の邪悪な警官が私の髪を掴んで鉄の椅子まで引っ張っていき、手錠で私を椅子につないで身動きできないようにしたあと、汚い雑巾で目隠ししました。そして私の耳を全力で引っ張り上げるのと、あらん限りの力で足を踏みつけるのを交互に繰り返しました。引き裂くような痛みのせいで、私は何度も短い悲鳴を上げました。私が苦痛と悲嘆に苛まれているのを見て、邪悪な警官どもはげらげら笑いました。その笑い声は地獄の底から響き渡るようで、聞くのもおぞましく、心がぞっと震えました。そのような残酷さを目の当たりにして、中国共産党政府から「人民警察」と称されているこれらの人間は残酷で邪悪な獣に過ぎないのだとはっきり実感しました。彼らはまさに、人々を傷つけるだけの鬼なのです。それまでは警官のことを、正義のために闘い、悪人を閉じ込めて善人の安全を守る英雄だと考え、危険や困ったことがあれば警察に頼ればいいとずっと思っていました。神様を信じるようになったために警察による逮捕と迫害の対象になってからも、警察を悪魔サタンだと心から思ったことは一度もありませんでした。そしていま、全能神が事実の真相を私に直接明かされ、彼らがサタン的な悪魔の残忍で邪悪な形相をしていることが初めてわかりました。ついに私の霊の目をお開きになり、正邪の区別をはっきりつけられるようにしてくださったことに、私は心の中で静かに全能神に感謝しました。この痛みに苦しんででも、そのことを知る価値があるのだと感じたのです。神様がそうなさっていなければ、私がサタンの嘘と欺瞞から目覚めることはなく、サタンの闇の影響から逃れて神様の救いを受けるのはまったく不可能だったでしょう。

    しばらくして、邪悪な警官が「まだ話さないのか。言うつもりはあるのか」と言いました。私が無言でいると、邪悪な警官が二人近づき、私の頭を掴んで眉毛を抜き始めました。それから頭を掴んでいたほうが二度激しく平手打ちし、その勢いたるや目がくらむほどでした。私は恥辱と苦痛のために悲しさと憎しみを同時に覚え、恥ずかしさのあまり涙を流して泣きました。ああ、神様を冒涜するこれら良心のない獣を、どれほど憎んだことでしょう。そして苦痛の中、主イエスが人類を贖われるべく、兵士による恥辱と嘲りと暴力に耐えて十字架にお架かりになったことを考え、神様が繰り返しおっしゃった警告と忠告の御言葉を思い浮かべました。

    「あなたがたは皆このような言葉を覚えているだろう。『このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。』あなた方は皆過去にこの言葉を耳にしたことがあるが、その言葉の真意を理解した者はひとりもいない。今日あなたがたは、この言葉の持つ真の意義をよく理解している。」(『言葉は肉において現れる』の「神の働きは人間が想像するほど簡単か」より)

    神様の御言葉は私の心に大きな安らぎをもたらし、自分がいま受けている恥辱と苦痛はきっと神様に記憶していただけるのだと気づかせました。この苦痛を受けるのは真理を得るためであり、輝かしい証しであり、私のいのちの祝福なのです。

    「私は神様を信じているのだから、神様の祝福を受け入れる信仰と勇気、そして神様の勝利を証しする気概をもたなければいけない」

    そう考えていると警官の表情が急に変わり、「我々が知りたいことを教えてくれれば、いますぐ釈放する」と言いました。私は軽蔑も露わに相手を見つめ、「死んでも嫌です!」と言い放ちました。すると警官は怒りで顔を紅潮させ、あの暗い独房に私を連れ戻すよう二人の邪悪な警官に指示しました。

    残酷な拷問が数回繰り返されたあと、私は打ちのめされて傷つき、もはや何の力も残っていませんでした。特に両腕両脚がひどく腫れ上がり、少しでも動かすことは到底無理でした。すべての力を失い、殺されるのを待つ子羊のようにうずくまりました。邪悪な警官たちの獣を思わせる顔つきと、拷問道具を扱うときに見せる恐ろしい薄ら笑いを思い出すたび、どうしても心が不安でいっぱいになりました。とりわけ、私の独房に近づく足音を聞くたびに心臓の鼓動がますます早くなり、恐怖と不安に襲われ、絶望と孤独を感じました。私は泣きました。ああ、なんとひどく泣いたことでしょう。そして神様に心の内を打ち明けました。

    「ああ、全能神。私はいま恐怖に震え、とても弱っています。どちらを向けばいいのかわかりません。どうかお救いください。こんな地獄のような場所にいるのはもう嫌です」

    弱さと落胆を感じていると、私の中で神様の御言葉が湧き上がり、私を勇気づけ慰めてくれました。

    「この広大な世界で、誰がわたしから直接調べられただろうか。…なぜわたしは繰り返しヨブの名をあげてきたのか。そして、なぜわたしはペテロに何度も言及してきたのか。あなたがたはわたしがあなたがたに望んでいることを感知したことがあるだろうか。あなたがたはこのようなことについてもっと時間をかけて考えなければならない。」(『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第八章」より)

    神様の御言葉は私に信仰と力をもたらしました。「そうだ。天地のあらゆるところにおいて、人類の中で誰が私たちのするように、この悪魔サタンの巣窟で神様の試練を自ら受け入れることができるだろうか。神様に引き上げていただき、悪魔の軍団に四方を取り囲まれながら、幸運にもこの火の試練を経ることができる人がいるだろうか。私はとても弱くて無力だけど、いま神様はそのような愛を授けてくださっている。神様に選んでいただくことは私のいのちの祝福であり、私の名誉だわ。この試練を避けることはできないし、逃れようとしてもいけない。その代わりに威厳をもってヨブとペテロのようにサタンの前でしっかり立ち、神様の証しをして御名を守ることにいのちを捧げ、神様を悲しませたり失望させたりしてはいけない」

    その瞬間、心が感謝と誇りでいっぱいになりました。人生においてこのような苦しみと試練を経ることができるほど自分が幸運だったのは、信じられないほど驚くべきこと、価値あることのように感じられたのです。

    四日目になり、邪悪な警官が教会の信者のリストを手に再び現われ、私に指を突きつけながら言いました。

   「おまえが知っている人間をすべて言え。それとおまえのリーダーが誰かもな。言えば釈放する。さもないとここで死ぬことになるぞ」

    それでも私が何も言おうとしないのを見ると、警官は怒鳴りました。

「おい、こいつの両手を後ろ手に縛り上げろ。もう殺してやれ」

    すぐさま部下が二人私の両手を背中で縛り、ロープで吊るし、私はつま先立ちでないと立てなくなりました。そして脅しと説得を繰り返しながら言うのです。

    「どうしてそこまで我慢するんだ。自分が置かれた現状を理解しろ。中国は共産党のもので、我々の言うがままだ。我々が知りたいことを教えてくれればすぐに釈放するし、仕事の世話もしてやる。さもないと息子が通っている学校におまえのことを伝え、息子を退学に追い込んでやるぞ……」

    その恥知らずな言葉を聞きながら、私は悲しみと怒りを同時に感じました。神様の働きを妨げて台無しにし、私たちが救いを得る機会を無にするためなら、共産党政府はどこまでも突き進み、どんな悪事をも犯すのです。まさに全能神の御言葉がこう述べているとおりです。

   「悪魔が残忍非道をはたらくような、こうした暗黒社会において、瞬く間に人々を殺す魔王が、愛しく懇切で聖い神の存在を、どうして容認出来ようか。どうして魔王は神の到来に喝采を送ることができようか。まったく卑屈な者どもである。そうした者は恩を仇で返し、神を侮って久しく、神を虐待し、残忍を極め、神を少しも敬うことなく、強奪や略奪を行い、良心を完全に失い、親切さのかけらもなく、純真な者を無分別な物事へと誘惑する。…宗教の自由というが、どうだろうか。市民の正当な権利と利益というが、どうだろうか。そうした物事はすべて、罪を隠蔽する手口である。」(『言葉は肉において現れる』の「働きと入ること(8)」より)

   そのとき、共産党政府の醜い顔つきが明らかになり、天に対する憎むべき邪悪な罪がはっきり見えました。中国共産党は神様を憎み、あくまで神様に反抗する敵であり、私の不倶戴天の宿敵なのです。決して負けるわけにはいきません。私がなおも黙っているのを見た警官たちは私を吊るしたままにし、私は徐々に意識を失っていきました。そして一昼夜のあいだ、私はそこに吊るされたまま放置されました。下ろされたとき、誰かが鼻に触れたこと以外は何も感じられませんでした。その人は私がまだ呼吸しているのを確認しても、私を床に横たえたままにしました。意識が朦朧とする中、警官たちの話し声が耳に入りました。

    「まったくわからん。驚くよ、この女がここまで持ちこたえるなんて。共産党よりもタフだ。全能神の信者はまったく別物だぞ」

    それを聞いたとき、表現できない感情が自分の中を駆け巡り、神様への感謝と賞賛を表わさずにはいられませんでした。神様が私をお導きになったおかげで、サタンに打ち勝つことができたからです。

    私は八日間にわたって公安局の暗い独房に閉じ込められました。共産党政府はあらゆる手段を考え出し、本に載っているあらゆる策略を用いましたが、それでも望む情報を私から引き出すことはできませんでした。結局、邪悪な警官たちは私を拘置所に送るしかありませんでした。その間、彼らは私の家族が面会に来た機会を捉え、夫から三千元をだまし取りました。拘置所なら少しはましかと考えていましたが、それは間違いでした。中国という神様を憎む国家では、あらゆる場所が漆黒で、暴力と残虐と殺人に満ちているのです。このような場所に真理は決してありえず、まして全能神の信者が足がかりを得られる場所などありません。拘置所にいることは、フライパンから逃げ出して火の中に飛び込むようなものでした。邪悪な警察はいまだに敗北を認めようとせず、そのため拘置所に着いたあとも尋問を続けたのです。彼らは望む情報を一つも私から引き出していなかったので、警官が三人すぐさま飛びかかって私をひどく殴りました。まだ治っていない古傷の上に新しい切り傷や擦り傷ができ、床に倒れて動けなくなるまで乱暴に殴られました。リーダー格の警官がしゃがみ、私の頭を指さしながら脅しました。

「白状しないなら、ここで生き延びる見込みはないものと思え」

    それから邪悪な警官が私に近づき、さらに何度か強く蹴ったあと、部下が二人私を中庭に引き出して電信柱に縛りました。それから丸一日、私は一滴の水も与えられないままそこに縛られたままにされ、全身は切り傷と擦り傷だらけでした。私が死んでしまうのではないかと不安になったのか、彼らは私を監房に放り込みました。死を目の前にして最も弱っていたそのとき、同じく拘置所に収容されていた全能神を信じる姉妹が二人私のもとに駆け寄ってきました。姉妹は着ていた服を脱いで広げると私を強く抱きしめ、自分の体温で暖めてくれました。互いに面識はなかったものの、神様の愛が私たちの心を引き寄せてくださったのです。姉妹のくぐもった泣き声と、私たちのことを話す他の囚人の声が聞こえました。

    「ここの警官はまったく無慈悲だね。全能神の信者はなんと思いやりがあるんだろう。あんたたちはみんな家族だと思っていたけど、実際にはまったく面識がないなんて」

二人の姉妹の話し声も耳に入りました。

「神様が人間をお造りになり、私たちはみんな一つの家族です……」

    やがて私は高熱を発してひどく調子が悪くなり、死が目前に迫っているかのように感じました。邪悪な警官たちはまったく見て見ぬ振りをしたものの、姉妹たちが法外な値段を払って彼らから衣服と薬を買ってくれました。そして注意深く私の傷を処置し、毎日面倒を見てくれました。二人の献身的な看護のおかげで、私は徐々に快方へと向かいました。これが神様の愛であることはわかっていました。神様は私に患難が降りかかるのをお許しになったものの、いつも私の弱さと痛みを気にかけ、私のためにあらゆるものを密かに整え、これら二人の姉妹が私の看護をして慰めるよう采配なさったのです。私たちは互いに慰め励まし合い、同じ願いと目標を心に抱き、他の人のためにそれぞれ密かに祈り、この悪魔の巣窟で私たちが神様の勝利を明かしできるよう、信仰と力をお授けくださいと神様にお願いしました。

    拘置所に送られるのはこの世の地獄に入るようなものです。壁の内側で人間らしくない生活を送っていました。食べ物が十分与えられることは決してなく、朝七時から夜十時までぼろぼろになるまで働かされ、その後ようやく監房に戻ることができるのです。日々すっかり疲れ果て、元気を残らず使い果たしていました。しかし私は二人の姉妹と神様の御言葉について頻繁に交わることができたので、肉体的にひどく苦しみいつも疲れ果てていても、心は安らぎを感じ、光に満たされていました。

その間、私はよく次の神様の御言葉の賛美歌を思い浮かべました。

   「終わりの日に常に証しせよ。どんなに苦しくても生きている限り神に忠誠を尽くし、身を委ねよ。これこそ神への真の愛、力強い証しなのだ。ああ、これこそ力強い証しなのだ。」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「あなたの苦しみがどんなに大きくても神を愛することを求めよ」より)

    この賛美歌を口ずさむたび、信じられないほどの力が私を支えているのを感じ、内面で感じていた疲労や絶望や苦痛が気づかぬうちにすべて消えました。同時に、私がこの苦痛を受けられるのは、神様が私に授けうる最も偉大な優しさ、最も偉大な祝福であることにも気づくようになりました。自分の苦痛がどれほど強くなろうと、最後まで神様に従い、最後の一息になっても神様を愛し、神様に満足していただくことを求めようと決意しました。私は神様の愛に支えられ、拘置所における耐えがたい二十日間を生き延びました。あの暗い魔窟の中、暗闇を一掃し、私が神様を讃え、神様の御言葉によるいのちのほどこしを享受し続けられたのは、全能神からもたらされたいのちの光のおかげでした。それは神様が私に授けうる最も偉大な愛と救いなのです。ようやく釈放されたときも、邪悪な警官たちは恥知らずにも私を脅し、「家に帰っても、ここであったことを誰かに言おうなどと考えるなよ」と言い放ちました。人間の顔と獣の心をもつ邪悪な警官と、進んで悪事をしながら責任を認めようとしない彼らの醜さを見ていると、私の信仰はさらに強まり、サタンと縁を切って神様に従い、神様の証しをするという私の決意も一層強くなりました。神様に協力して福音を広め、悪魔サタンの支配下で生きる人々をもっと多く光の中へ連れ出し、彼らもまた創造主の愛と救いを得られるようにしようと決意したのです。

    中国共産党政府の残酷な迫害を受けるというこの経験において、私を一歩一歩導いてサタンの包囲網に勝利させ、サタンの魔窟から救い出してくださったのは全能神でした。そのおかげで、サタンがどれほど残忍で、冷酷で、暴虐であっても、それはいつまでも神様に打ち負かされる宿敵であり、全能神だけが私たちを絶えず支え、サタンと死に対する勝利へと導き、私たちが神様の光の中で頑強に生きられるようにすることできる最高権威でいらっしゃることを真に認識するようになりました。

まさに全能神がこうおっしゃる通りです。

    「神のいのちの力は、いかなる力にも勝る。そしていかなる力をも超越する。神のいのちは永遠であり、神の力は非凡であり、神のいのちの力はいかなる被造物や敵の力によっても簡単に圧倒されない。神のいのちの力は存在し、時と場所にかかわらず明るい輝きを放つ。天地は激変するかもしれないが、神のいのちは永遠に不変である。万物は過ぎ去るが、神のいのちは依然としてそこにある。それは、神が万物の存在の源であり、それらの存在の根幹だからだ。」(『言葉は肉において現れる』の「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」より)

    今日からは全能神にしっかり従い、真理の追求に全力を尽くし、神様が人間に授けられる永遠のいのちを得たいと思います。

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