贖い(あがない)とは
「贖い」の概念は聖書を理解する上でとても大切なので、少々固い内容ですが、概要だけ説明したいと思います。(聖句は新改訳2017より)
贖いとは、何らかの束縛状態にある人(奴隷、捕虜、罪人など)を、他の人が代価(身代金など)を払ってその状態から解放することです。
あなたが捕らわれており、いつ処刑されるかもわからぬ身だと想像してみてください。
誰かが犠牲を払ってあなたのために身代金を払い、解放してくれたら、感謝してもしきれませんよね。
イエスは、主に2つの束縛状態から、私たちを解放してくださいました。
1)律法の束縛
神は人々を教え導くため、律法を授けましたが、行いによって正しい人間になろうとする人は、律法に束縛され、律法の呪いから抜けられなくなっています。
2)罪の束縛
聖書で言う罪とは、神が人のために定めた道を踏み外すことです。(参照:『過ちを犯さない人はいない』)
私たちは誰も完璧ではなく、罪を犯すので、その罪に束縛されて、神から切り離された状態になってしまいます。
そこで神は、私たちがその状態から贖われて、すべての罪を赦されるよう、御子イエスを送ってくださいました。
この御子にあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。(コロサイ1:14)
この贖いには、かなり大きな代価がかかりました。イエスの命です。
[イエスは]多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。(マルコ10:45)
また、律法から贖われて、私たちの行いによらず神の恵みにより正しいとされるようにしてくださいました。
神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。(ローマ3:24)
それどころか、この贖いを信じ受け入れる人は、神の子とされます。
それは、律法の下にある者を贖い出すためであり、私たちが子としての身分を受けるためでした。(ガラテヤ4:5)
そして神は、子である私たちを神の家である天国に迎えてくださいます。
神の恵みはなんと素晴らしいのでしょう。
「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」主に贖われた者はそう言え。(詩篇107:1,2)
旧約聖書の時代から、主に贖われた人は心が感謝で一杯になり、それを言いたくてたまらなくなるのです。