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サンクトガーレン(神奈川)

 日本でクラフトビールが盛んになったのは、1994年の酒税法改正が大きく関係しています。それまで年間2000キロリットルと定められていたビールの最低製造量がこの年、60キロリットルへと大幅に緩和されたのです。
 これにより小規模事業者の参入が相次ぐことになるわけですが、規制緩和を後押ししたのが、神奈川県厚木市のマイクロブルワリー(小規模醸造所)、サンクトガーレンの存在でした。

 同社の岩本伸久さんはもともと、家業である飲茶の製造販売業に従事していた人物。アメリカ担当として日米を行き来する中で、たまたま口にしたエールビールに傾倒します。

「日本のラガービールはそれまで実はあまり得意ではなかったのですが、初めて飲んだエールビールの華やかな味わいがすっかり気に入ってしまって。どうにか日本でもこういうビールがつくれないかと、イメージを膨らませていきました」(岩本さん)

 しかし、年間2000キロリットルという最低ラインは、大瓶で毎日600本以上を売り続けなければ裁けない数字です。そこで岩本さんは、規制のゆるいアメリカでビールの醸造を開始し、自社の飲茶店で提供を開始。すると、これがたちまちアメリカで評判になりました。

 一方ではこの時代、アメリカが日本に強く市場開放を要求していた背景があります。高まる岩本人気を受けて、「日本はなぜ、これほど優れたブルワーにビールをつくらせないのか!?」とアメリカのメディアが騒ぎ始めたのも追い風でした。
 要はアメリカにとって、日本の世論を動かすために岩本さんというブルワー(醸造家)の存在はうってつけだったのでしょう。その結果、行政がついに重い腰を上げたのが1994年だったのです。

 晴れて日本でビールがつくれるようになった岩本さんが立ち上げたサンクトガーレンは、まさしくクラフトビール市場を切り拓いた立役者。ぜひ、その功績を頭の片隅に入れながら、今日も美味しいビールを味わってください。

〈Text By Satoshi Tomokiyo〉


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