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ない

こんばんは、びびです。

ここ最近、色々なことが重なりすぎて落ち込みが酷いです。

困ったもんです…

私には「ない」ものが多い

引っ越したくても家が「ない」

生活保護だからと弾かれるため、未だに見つからない。

決して条件をあれこれつけているわけでもないし、ワガママ放題言ってる訳でもない。

でも、保護受給者だからという理由で弾かれる。

そんなときに頼れる人がい「ない」

もちろん事情を知っている友達もいるし

話を聞いてくる精神保健福祉士さんもいる。

ただ、今つらい!というときに連絡がつく人はいない。

そりゃそーだよ、みんな仕事してたりママしてたり…

こういう時本来ならばきっと家族に話すのだろう。

しかし私には、そんな家族もい「ない」

正確には生きているかも分からないし

何をしてるのか何を考えているのかも分からない。

私が受けていた心理的虐待のこともしら「ない」

ま、知ったところで認め「ない」だろう。

自分たちの子育ては間違ってなかった

この子は勝手に病気になったんだ

そこに輪をかけるように暴言を吐く弟

病人なら家から出るな、金を使うな

死ねるもんなら死んでみろなんて平気で言う

母親が体調を崩したのは私のせいだと詰めた

健康で、奥さんもいて、じいちゃんばあちゃんのしがらみもなく育てられ

好き勝手やっていた上に、地方の大学から戻ってくる時は

我が家の持ちアパートに長い間無料で住み(家賃8万)

就職しても1か月で辞めて帰ってきても何も言われない。

私が体調を崩して仕事を辞めざるを得なかったときは両親に何度も責められたのに。

自分の思う通りに行かないからと辞めた弟のことは誰も責めず、次にやると言い出したことを応援していた。

親に愛され、姉をバカにし、奥さんを下に見る

見事な馬鹿な男の出来上がりである

なんであんなのに丸め込めれているのか。

それは父親がなにも出来ない人だから。

ATMひとつ使えず、お金を下ろすこともできない。

もちろんご飯も作れない。

母親が床に伏してしまうと、何も出来ない木偶の坊である。

これは、祖母に甘やかされていたうえに母親がなにもさせなかったからだろう。

私の顔の目の前で目くじら立てて、血走った目で怒鳴りとばし

首根っこをつかみ引きずられても

家族はだれも助けてくれなかった。

基本的には心理的虐待ではあるが、所々身体的虐待もあるのがしんどいところである。

すべて支配されてたってことよね。

弟と喧嘩になって、殴られたことも蹴られたこともあるが

すべて喧嘩は私のせい。

殴られようが蹴られようが、上が悪いのだ。

話を聞くこともせず、お姉ちゃんなんだから!と。

私がそこに抵抗しても、弟のことは知らないところで怒っている

お前が気にすることじゃない。

そう言われた、じゃあここで怒っても同じじゃんと言っても頑なに怒ることは無かった。

祖母の前では、両親の株が上がるようないい子になり

親から嫌われたくない一心でろくにワガママも言わず

そりゃ、そんな環境に3.4歳から置かれていたら15.6で体調崩すのも今になればわかる。

当時は、なんで私が…の反面、私が病気になったことで両親を悲しませている

そうやって自分を責めた。

さらに体調が悪いと言えば、ため息をつかれ

母親にはそんな辛そうな姿見たくないと泣かれ

そんなされたら自責が酷くなるだけで、なにも出来なくなった

私にだけ過干渉が酷く、出かける時の「だれと、どこに、なにをしに」は義務化され

洗脳された状態の私は、一人暮らしを初めてからもすべて伝えないといけないと思っていた。

また、恋愛ごとにも口を出し茶化してくるため年頃の女の子にとったらキツかった。

こんな思いをするなら、恋愛をしなくていいとなった。

そうしたのは親なのに、彼氏は?結婚は?子供は?と散々聞かれた。

ふざけたもんである。

私だって、彼氏が欲しかったし結婚もしたかったし子供だって欲しかった。

それを洗脳というなかで無きものしたのは自分たちなのに…

今になれば、意地でも恋愛をし駆け落ちでもなんでもいいから離れたら良かった

ただ、既に病気を発症していた私はコンプレックスのひとつと思い前向きになることは出来なかった。

周りのみんなのように恋愛していれば良かったと後悔しても仕方ないが

今頃、もう少し違う生活をしていたのかもしれない。

悔しい思いが次々に溢れてくる。

もういいやと捨てたはずなのに

緊急連絡先にもなって貰えないため家が借りられない

生活保護だから家が借りられないとわかると

嫌でも音信不通の実家を憎む。

でも、憎むことは悪くないと思っている。

たとえ誰かが体調が悪かろうが、病気を抱えギリギリの娘を捨てた人達に同情する義理もない。

なにが自立のためだ。

今なら、家族の誰よりも自立していると思える。

依存ではなく、頼ることを覚え、頼る先を増やし

自分のご機嫌は自分でとり

毎日のお金の計算もすべて一人でやっている。

私は、一人では自分の母親であり父親なのだ。

いつまでも祖母に依存していた父親とも

父親に意見できない母親とも

理屈で親や奥さんをねじ伏せる弟とも違う。

私は私の足で歩くんだ。

たとえこの命の灯り消えるまで独りだとしても。

どんな形だとしても幸せになるんだ。

それが一番の復讐だと思うから。

今は辛いことばかりなのも事実である。

限られたお金の中での生活。

物価高まじで困る…

いつ壊れてもおかしくない雨ざらしになっているチャリで走り回る日々である。

保護という偏見の中での家探し。

都心部に近いゆえに、家賃も高く諦めるしかないかと思った矢先に

大家さんがポストを全部開け、チラシを捨てていたところを目撃し…

ここにいたら危ないとギリギリの中での家探し。

正直かなりこたえるが、もう無理だとすり減って行く心に

オシャレなカフェやお笑いライブなどで自分を甘やかし

ゆっくり植物を眺める時間をあげるようにしている。

今まで無意識に出来ていたが、余裕のないなかのため今は意識的にしている。

さらにいつ少しでも仕事を始められるか分からない不安。

なにか私に出来ることはないのか?とは思うが

今は、腰のリハビリや顎関節症の治療メンタルの安定…

仕事よりも大事なことがたくさんあるようだ。

もどかしいが、もう少し我慢しようと思う。

あと1ヶ月もすればまたひとつ歳をとる。

私の私のための私の人生は、去年の今頃始まった。

実年齢はアラフォーでも、まだ1歳である。

ひとつずつ、ひとつずつ。

焦らず、ゆっくりと。

先日仲のいい植物店の店主さんと話していて

「自分が悪いって思わなくていいのよ」

そう言われて涙が止まらなかった。

家が見つからないのもきっと私がワガママ言ってるからだ…

そう思っていた私に、今はみんな見つかってないから大丈夫よと。

ここでひとつ発見があったのだが…

周りに保護受給者がいないと、生活保護だからと家を貸して貰えないということは知らないらしい。

そうなの?!とかなりびっくりされたが、私よりも年上の色々な人と交流のある人なので

私の事を腫れ物に触るようにすることもなく

たまたま来た常連さんに、なんか物件ない??この子が探してるんだって〜と聞いてくれた。

常連さんも保護だからと色眼鏡で見ないで、そうなの?!知り合いが探してたから聞いてあげようか?と心配してくれた。

保護だからということを知っても、なにも変わらず話を聞いてくれる。

同じ女性で年上の店主さんや常連さんが近くにいることが心強い。

植物が好きで伺ったお店。

植物が繋いでくれたご縁。

大事にしていきたい。

自分から飛び込まないと、信頼して貰えないし

ご縁を結ぶこともできない(これは恋愛とか関係なく)

人見知りをしない性格で良かったと思う瞬間である。

ただ、たまーに昔の悪い癖で八方美人になりそうになるので気をつけよう。

なんかぐちゃぐちゃになってしまったが…

少し気持ちが楽になった。

色々なものが「ない」私ではあるが

あるもので補いながら、人として優しく寄り添える人になりたいと思う

そして、なにかやりたいことが見つかればと思う。